8 任されました!!
ドォンッ……、ドン、ドンン……
慶事を祝し、古くから伝わる祭祀用の大太鼓が見張り台で打ち鳴らされる。体内までも揺らす、花火や大砲の音にも似たそれは遠い山肌に反響し、緑豊かな谷あいを隅々まで満たした。
行き交う旅の商人のひとりは、おやと眉を上げて関所の鷹獣人に伺う。
「お祝いごとですかな」
「ええ。うちの長が結婚したんです。今日は、その披露宴なんですよ」
◆◇◆
この日、谷の子どもたちは普段以上におめかしをした両親や祖父母に連れられ、昔から長と祠守りの一族が住まう川沿いの奥地、“館”へと向かった。それは、谷の入り口である関所を背にすると渓流の上流。左手側にある。
舗装されていない長閑な道は、さまざまな獣人たちでいっぱいだった。
花束を抱えるものや、酒樽を担ぐもの。手料理をぎゅうぎゅうに詰めにしたバスケットを運ぶものも。馬車ではなく、徒歩でゆくものは存外に多い。
もちろん、翼ある一族ならば川向こうの集落からでもひとっ飛びだ。見上げると、よく晴れた青空を背景に大きな影がよぎる。
先頭を飛翔するのは大工を営む鷲の棟梁。そのあとを傘下の有翼獣人らが次々と連なり、圧巻だった。降り注ぐ陽光は幾重にもプリズムの輪を描く。
それを見て、翼のない、まだ角も生えていない子どもたちはキャッキャと喜んでいる。――昨年生まれたばかりの幼い仔まで参列を許してもらえるなんて、と、若い山羊獣人の夫婦は微笑みあった。
「ザイダル様も気さくなかたよね。長く留守にされていたけど、その分見識もおありだし、腕っぷしも強くて頼りになるわ」
「そうそう。たしか、長が帰ってこられた日だっけ? キースドラゴンが…………、あっ。あの辺だ。ギルドのハンターをまとめて連れて退治してくださって。助かったなぁ」
「お祭も楽しかったわよね。あの日、たったひとりでドラゴンの足止めをしてくれた人間のお兄さんが女の人だったなんて…………。ねぇ?」
「うんうん。ましてや、今日の花嫁なんだからね」
「「――万年独身を危ぶまれた、ザイダル様の!!!」」
息ぴったりに長を揶揄る山羊夫妻に悪意はなく、むしろ親しみしかない。
谷にひとりきりの熊獣人・ザイダルはひとが好すぎるほど好く、子どもたちからも慕われた。
念願かなってのようやくの結婚の報せに、谷の人びとの心は期待と喜びで膨れ上がった。一週間前に祠守りの少女から通達があって以来、ずっと。
「あ、屋根が見えたわ。ふふ、コリスちゃんったら。大張り切りね」
快晴の青に、ややくすんだ赤の屋根瓦。壁は堅牢な石造りで、獣神の祠があるという背面の断崖とほぼ一つになっている。
夜になれば灯すのだろう、すでに幾つもの雪洞が軒下や樹々に結わえられ、色とりどりのリボンがそれらを結ぶ。
定刻。
花嫁のお披露目はすぐに行われた。
誰の目にも見やすいよう、庭の手前には雛壇が組んである。そこに、やや畏まった装いのザイダルと、おそらくは彼女の生国のものだろう、淡い薄荷色の裾の長い衣装をまとう天女のようなシオンが現れた。
沸きあがる歓声(※一部怒号)。笑い声に花吹雪。
挨拶を述べ、しあわせそうに寄り添うふたりは、誰の心にも希望を灯す得がたい一枚の画となった。
そうして。
それから――
◆◇◆
「お疲れ様でした! シオンさん!」
「ありがとう、コリスさんも。大変だったでしょう? 急なことだったし、楽器があるからって。無茶させちゃったかな」
「いいえ……、いいえ!!」
ぶんぶんと首を横に振り、コリスは興奮の面持ちで手の中の笛を握りしめた。谷に伝わる、こちらも祭祀用の横笛。今朝打ち鳴らしてもらった太鼓同様、館の一室に保管されていたものをシオンが見つけ出したのだ。
(本当は、ケントウリ様に所在を教えてもらったんだけど)
ひとさし、神子舞を終えたシオンは息を整えながら思い出した。
あの日、祠へ結婚の報告に上がったとき、どうすれば獣神たちも永らえてコリスを“祠守り”から解き放てるだろうかと相談した。その答えがあまりに意外だったので。
「初めてにしては、すごく上手でしたね。笛。聴いたことが?」
「はい。昔……すごく昔。わたしの一族が代々祭を任されていたころ。名手の家系があって、これは、その家の宝でした。笛だけじゃなくて、太鼓も。選ばれた者にしか触らせてもらえなかったんですよ」
「コリスさんは、触らせてもらえなかった……?」
「ええ」
困ったような微苦笑で、コリスは視線を笛に落とす。
「当時の長からの厳命でした。『お前には館と祠の管理と、我らの子孫の守護を頼みたい』って。きっと、片親が魔物だからだって思いました。わたしが獣神様がたをお祀りしたことは、そういう意味ではなかったんです。今まで」
「そっか」
しょんぼりする桃色髪の少女を撫でたい衝動を懸命にやり過ごし、シオンは、さも名案が浮かんだかのようにコリスに微笑みかけた。
「あのね。今日吹いてもらった八つの節回しの繰り返し。それは、私がセイカで養親から教わったいちばん簡単な奉納曲なんだけど。セイカには、いろんな地域の神々への作法を調べて書物にまとめている学者さんもいてね。ジョアンのお師匠さんなんだって」
「へええっ」
(! 手応えあり。いけるか?)
シオンは慎重に、慎重にぎりぎりの『提案』をした。
「そのひとなら、谷の祭祀についても詳しく知ってるかもしれない。百歳近いかたなんだ。ひょっとしたら失われた舞楽譜だって」
「!! ほっ、ほんとですか? 知りたい! 行ってみたいです! セイカに」
「よーーし。よく言った、コリス!」
「ふえっ!? 何です、長。とっくに酒飲み大会に捕まったんじゃ」
「知るかよ。ほれ」
「ん?」
――――いや、じっさい、谷の青年衆に捕まってどんどん酒を注がれていた新郎・ザイダルだったが、そこはほんのりご機嫌になったくらいの酔いで事なきを得たようだった。(※現在、新郎席の周囲には酔い潰された若者が数名倒れて死屍累々の有り様となっている)
コリスは、手渡された一枚の紙をひらいた。
そこには大陸共用語で、こう書いてある。
“此度のことを教訓に、来年より獣人の谷と我が国青霞の若者ないし少年少女を交換留学生とし、互いの文化への架け橋としては――”云々。
「……小難しいですが、つまり? ひょっとして??」
「ああ。行ってこい。護身役にジェラルドともう一人、適当に選ぶから」
「っ、えぇえーーーー!!!? い、いいんですか? わたし、もう若くありませんけど」
「黙ってりゃいいんだよ」
「やったぁ! ありがとう長! ありがとうシオンさん! わたし、絶対“祠守り”のわざを探して来ますね。谷の皆さんの“力”になれるように」
「はい。お願いします」
「任せたぞ」
「任されました!!」
喜び勇んで控室から去るコリスの尻尾が見えなくなるころ、ふー……、と安堵の息をついたザイダルがシオンの肩にもたれた。
よしよし、と、シオンは熊耳のつけね辺りを撫でる。もちろん労いの意味で。
「良かったですねザイダル。コリスさん、きっと、新たな谷の女神になれますよ。本人が望めば、ですけど」
「だな」
「…………ちょっと? 何してるんです」
「いや、いい女だなぁと思って」
「!? 馬鹿なことを。見た目でほだされないでください。男装に戻った私にも同じことが言えますか?」
「言える。もちろんだ」
「や。あ、あの」
――おかしい。
会話の合間に頬に片手を添えられ、もう片方の手が腰に伸びた時点でぎくりとはしていた。
いつの間にか頭を撫でていた右手をとられ、熱っぽいまなざしを向けられている。
まだ宴は始まったばかり。このあとは当然、シオンも席に戻らねばならないのだが……。
と、そこで。
通路の向こうから、極上のマタタビ酒で出来上がったジェラルドの声がした。
「おーーい、ザイダルー。宴は終わってねえぞ、出てこー……あ。居た」
「「!!!」」
バッと弾かれたように距離を取ったふたりに気づく様子もなく、風のように現れたジェラルドは、なぜか颯爽とシオンを抱き上げた。
「きゃあ!」
「待て!? なんでそうなる」
「え、だって。お前、シオンのいるとこなら来るだろ? なら、シオンを運べばお前もあっちに戻るだろって。連中が」
「うぜぇ……。もう起きたのかあいつら。性懲りもなく」
「がんばって相手しろよ」
「はいはい。わかったから手ぇ離せ」
「おっと」
花嫁をもぎ取った花婿は、あやうげない足取りでさっさと前庭へと戻った。その後ろを虎獣人がついてくる。
待ち受けていた谷の人びとは完全にお祭り騒ぎ。
これを、屋根の上から見守るように弾む三つの光と、青く波のようにたゆたう光があったとか。なかったとか――
酒席での戯れ言と流されてはいたが、たしかにこの日、谷は『お客様』を迎えていっそうの華やぎに満ちていた。
人間の『お客さん』だった彼女の、あてのない旅の終着点は谷で。
――――また、新しい門出もここから。
翌年、セイカからやって来た三名の学生たちは、おっかなびっくりの体で“館”へとやって来た。
彼らを出迎えたのは大きな熊獣人の男性。それに、ちょこん、と可愛い熊耳の生えた黒髪の赤ちゃん。
傍らには、やさしく微笑んで視線を合わせてくれる、ほっそりと背の高い女性がいたという。
「遠路はるばるようこそ。よく来たね。いらっしゃい、『獣人の谷』へ」
〈おしまい〉
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
また、イラストをいただけた二名のユーザさまや、ブックマーク、応援ポイントを頂戴できた方々へも深く感謝申し上げます。
後日、谷の披露宴の様子など、アルバムのようにあとがき部分を追加できればと思います。
支えてくださいました方々。本当にありがとうございました!
 




