6 私も(後)
「良かったのか?」と訊かれれば、反射で「もちろん」と答えるしかない。
会話のため、彼の隣へと移動した。大層な人混みも、二メートル越えのザイダルと一緒では勝手に道が出来てゆく。
心配そうな、ひとの好さそうな顔がほほえましくて、自然と口角が上がった。ふわりと微笑む。
「だって、もう追われる身じゃない。ジョアンとは、会おうと思えば会えるもの。私は、侍女になって谷に居られなくなることのほうが寂しい」
「……あんた、とんでもない女だったんだな。参った」
「え?」
ザイダルは、軽く破顔してわくわくとした瞳を向けてきた。
その真っ直ぐさに、思わずどきりとする。しかも手綱を握っていない左腕を伸ばされ、右手を捕まれた。
「!!!」
心臓が跳ねる。おそらくは赤面した。
落ち着かなさが天井知らずなんですが……? と見上げれば、やたらとにこにこと微笑まれる。
「良かった。お前さんが、そういう風に嬉しそうなのは。俺も嬉しい」
「う、うん?」
手を繋がれたまま、まごまごと答えた。
ふたり並んであちこちのテントを覗き、コリスへのお菓子や細々とした生活必需品を買い揃えた。
ほどなく門に着き、荷を移してもらう。ザイダルがロバを業者に返して戻ると、どこからともなく鐘の音色が響いた。素朴で伸びやかな音だった。金属の打音が空気に溶けてゆく。
夕空を見上げるふたりに、旅籠づとめらしい寡黙な御者は馬車の扉をひらきながら教えてくれた。
「あれがラックベル名物。うちの宿の敷地に建ってる、古い尖塔の鐘ですよ。ここ数十年は『幸せを呼ぶ』って噂なんです。塔守りをしてくれてる爺さんが気まぐれで、たまにしか鳴らないから。お客さんたちは運がいい」
「へえ」
――感心したように瞬き、次いで視線を交わして笑い合う客人たちに、(この人ら、新婚みたいなんだよな……)と、御者が思ったのは秘密だったりする。
◆◇◆
座席の片側は荷物で埋まっていたので、同行者とは隣り合って座る羽目になったシオンは、当然のようによからぬ雰囲気に持っていこうとするザイダルの気を逸らすため、懸命に話の花を咲かせ続けた。
――――が。
「お、そろそろ着くな」
「うん」
見慣れた景色にほっと息をつく。
……その隙に、またしても唇を塞がれてしまった。
慌ててびくともしない胸を押しやったが、じっと覗き込まれ、背もたれの座面と壁に手をつかれる。身動きが敵わない。
(〜〜!?!? どっ、どうしよう。もうすぐ館に着くのに。いや、それ以前に『こういうこと』は、そう軽はずみにすることじゃ……??)
視線を合わせられず、さりとてはっきり拒むこともできずに固まっていると、妙に沁みる、確信的な声音で囁かれた。
「シオン。俺の嫁さんにならないか」
「!! あ、あの。それは、獣神様たちの……?」
「――ばかか? あんたが好きだからだ。あんたが谷にいたいと思ってくれたように、俺は、あんたと生きたい。一緒に居たい。だめか?」
「!」
―――――ああ、もう。
嬉しくてもこんなに泣きたくなるなんて。
うっかり目を拭こうとすると、レンズに手が当たってしまった。思わず笑んでしまう。
「だめじゃありません。ザイダル」
カチャリ。
長年お守りにしていた。それを、そっと外した。
細い銀縁。褪せた真鍮の留め金。朴訥とした丸眼鏡は、養父の形見でもあったから。何となく背に隠した。恥ずかしくて、目を伏せたまま。
「好きです。私も」
――……こんなの、余人に聞かせられるわけがない。
揺れを抑えて、ゆっくりと馬車が進む。
ひそめた声の合間に恋人たちになったふたりは会話のあいまに何度か口づけを交わし、お互いに頬を染めていた。




