4 然るに。郷(コウ)どの?
長い黒髪、切れ長の黒い瞳。日に焼けて引き締まった頬は精悍で、体躯は虎獣人のジェラルドをもう少し細身にしたよう。年齢は、たしか三十路過ぎのはず。
藍鈍色に金の縁取りを施した武官服の煉公子は落ち着きと闊達さをそなえた人格者のようで、腹違いの弟・樂公子とは比べようもなかった。緊張してうまく口上を述べられないシオンにも鼻白むことなく、むしろ、かなり気遣ってくれている。
「まず最初に、弟の振る舞いについて深くお詫びする。二年前の件も。彰洛の住まいから無理やり連れて行かれたらしいね? 説得も何もなく」
「は、はい」
太子は悲痛な面持ちで当時の状況確認をしていった。
何でも、神殿上層部の暴走については国王陛下も長年頭を悩ませており、后妃の父・柳玄を神官長に据えて内部調査を進めるなど、中央府としては手を尽くしてきたらしい。
ところが『古狸』と如杏公主が揶揄する老人たちはとんでもなく狡猾で、わがままな気質で知られた第二公子の樂に秘密裏に近付き、言葉巧みに篭絡した。改革の旗頭にすべき若い世代を取り込むことで、先に保身をはかったのだ。
「……連中が、教育という名の洗脳を駆使して法術士にあてた予算をほぼ全額巻き上げていたのが明らかになったときには、残念ながら樂もともに罰するしかない状況だった。しかしながら、此度の条約破りは陛下といえど庇い立てできない。王家として、これを正式に陳謝いたします。ザイタル殿」
「ああ」
ザイダルは鷹揚に頷き、ふと煉に尋ねる。
「ところで、弟君への具体的な処断は?」
「上級神官位の剥奪、横流しされた金額の返還……、これらは他の老害たちにも課しているが。あいつは王族なので一般の労役は難しい。かと言って、単なる禁錮や幽閉では更生の余地が少ない。よって、私が管理する軍部預かりで一から性根を叩き直そうと思うが。いかがか」
「妥当なところだな」
「…………」
シオンはこれらのやり取りを畏まって拝聴していた。というか、口を挟む余地はなかった。
妥当。
聞くだけで、いや、樂公子はそれなりに非道なことをしていたわけだが。処罰を谷に委ねないあたり、王族の身内への精一杯の温情なのだと察した。
シオンも薄々感じている。谷の人びとの結束力は半端ない。
今回、自分を捜索してくれた獣人たち全員に礼を伝えに行ったときも「気にしなくていい」と笑い飛ばすばかりで、みんなシオンの無事を喜んでくれた。女だと知られたので、余計にかもしれない。
おまけに、あの飄々としたジェラルドですら樂公子をくっきりと敵認定しており、「あいつ、谷に来たら血祭りな」と物騒な笑顔をしていた。帰路のことだった。
驚くと同時に、いつの間にか身内扱いをされていたことが嬉しかった。
ザイダルも、その辺の谷の人びとの心情を踏まえての手打ちなのだろう。
不可侵条約が結ばれたのは数百年も前という。これで、あらためてセイカ側からも獣人への偏見や軽視の類いが取り払われればいいが……。
「然るに。郷どの?」
「! はい」
物思いに沈んでいたところを、さっと切り込むように太子が水を向けた。シオンは慌てて顔を上げる。「何でございましょう」
「その。此度は、我が妹の如杏も君に会いたい一心で母后を唆して、単身転がり込んだようだ。さぞ迷惑だったのでは」
「いいえ、そんな」
こちらまでパッと素顔に戻るほど、肉親らしい物言いだった。ふるふると首を横に振り、やんわりと否定する。
「公主様には、もったいなくも私を覚えていてくださり、訪ねていただいて嬉しゅうございました。あげく、こんなに高価な衣装一式まで下賜してくださったのです」
「ああ。その薄荷色の。見覚えがあると思ったら、如杏の品だったのか。なるほど、よく似合っている」
「恐れ入ります」
「では――もしも、妹の侍女になってくれないかと願えば叶うだろうか?」
「は?」
訊き返すシオンの隣では、ザイダルがムッと眉を寄せていた。
口をひらきそうな熊男の肩にそっと触れ、ひとまずは黙ってもらう。
シオンは、慎重に伺った。
「それは……つまり?」
「妹は幼いころに神殿に召し上げられ、神子よ奇跡の公主よと周囲から祭り上げられて育った。さいわい、当時の教育係は神殿当局の引退法術士だったために老害どもに毒されることはなかったが。おそらく、気を許せる友はいないのだと思う。君には、できれば生涯未婚を貫くつもりらしい妹を、側で友人として支えてもらえればと……。だめだろうか?」
(ジョアンの侍女)
ザイダルと煉の視線は痛いほど感じつつ、シオンはきちんと考えた。
煉は太子だ。
よほどのことがない限り、次代のセイカは安泰と言えるだろう。もしも提案を受け入れたとして、それは無理に神殿で働かせるということではないはず。
もちろん、神殿でのまっとうな奉仕を厭う気持ちは毛ほどもない。養い親の郷英は神子舞から法術を扱う際のことば使い、女神への感謝や心得までもじつに丁寧に教えてくれた。
法術士としてのジョアンは、その理想形に近い。
きっと、郷英と近い考えの人物が教育に携わったのだろう。信頼に価する。
けれど――……
いまは。
ちらりと隣を窺い、ザイダルを見つめた。
彼もこちらを見つめている。
あの日、ふらっと立ち寄った海沿いの街で声をかけられた。その縁がなければ、いまの自分は居ないだろう。
谷で得られた、温かな日々を失うことを思えば、心がぎゅっと締め付けられるほど。
シオンは居住まいを正した。
煉に向けてだった。
「太子様。私は。如杏様の侍女には――」




