1 勤務中に口説くなよ
谷のハンターギルドは、基本的にほっこりのんびりしている。昔から、谷に魔物が入り込むことは稀だったからだ。
ちょうど件の期間、一週間の休暇をもらって川向こうの友人と一緒にバカンスを満喫していたメリルは、久々の出勤で同僚を二度見した。
「あら? ひょっとしてシオンさん?」
「はい。おはようございます、メリルさん」
「え、ええと」
どうしても気になることがあって、涼やかな挨拶にうまく返せない。もごもごと口ごもる。メリルはカウンターの定席に座り、こてん、と首を傾げた。
「……女装? 支所長の命令ですか?」
「違います。いや、違わないですけど」
シオンは、困ったように笑った。
レンズを通さない彼(?)の瞳は澄んだ水色なのだと初めて知った。虹彩が淡くて、とても綺麗だ。
緑の光沢がつややかな栗色の髪も、それを片側で束ねるスタイルも記憶と同じ。落ち着いた物腰も。――なのに、装いが異なるだけで印象はずいぶんと変わる。まるで本当の女の人のようだった。
(違うのに違わない……。どっち??)
メリルの頭は、だんだんとこんがらがってきた。
「じゃあなぜ」
「じつはここ数日、色々あって。おれ……じゃない、私は」
――――――
シオンは書類整理の片手間に、さらりと説明を始めた。
元はセイカの法術士だったこと。神殿のやり方が嫌で逃げ出したこと。本来は女だということ。
兎獣人のメリルは、それらを、ぴん、と耳を立たせながら聞き入った。
「うそ」
「嘘じゃありません。すみません、騙すみたいになっちゃって……。少し前、たまたま神殿とかち合う機会があって、谷の皆に女だってバレたんですよ。それで、今さら男装を通すのも何だし。かと言って女物の服はないしで、見かねたジェラルドが制服を貸してくれました。昨日から」
「ああ。なるほど」
合点の行ったメリルは、隣からまじまじとシオンを眺めた。どう見ても、ふつうの人間の女性だった。
谷の獣人たちは、基本的に服は自分で繕うか、仕立て屋で注文する。個々の翼や尻尾の位置、大きさや形がまちまちなので、既製品を取り扱う被服商そのものがないのだ。
いっぽう、大陸中に展開している魔物ハンターギルドなら、どの支所でも人間用の制服を常備している。メリルの制服も既製の制服を仕立て直したものだった。――丸い、尻尾用の穴を開けて。
事情を察したメリルは、それでも落胆の溜め息を落とした。
「うぅ……。残念だわ。折角の推しカプが」
「カブ?」
「何でもありません」
こほん、と頬を赤らめて業務に戻る先輩に、シオンは頭の上でいっぱい疑問符を浮かべた。
◆◇◆
あたらしい受付嬢効果なのか、ギルドホールは普段より賑わっていた。依頼者もそれなりにいる。
そこへ、午後になるとザイダルが現れた。案の定一直線にシオンのカウンターへと近付き、これに遠巻きなハンター及び冒険者たちが「う゛ッ」と苦い顔をして離れて行った。
(ははあ)
メリルは自身も客を捌きながら、これには大いにときめくものを感じた。
対するザイダルは真顔で、にやけたところは欠片もない。どうやらシオン個人に頼み事があるようだ。
シオンは思案顔であり、困った風情ですらある。
外回りから帰ったジェラルドが出くわしたのは、そんな場面だった。
「おいおーい、勤務中に口説くなよ」
「違う。違わんが」
「どっちだよ」
(うわあ〜)
ちょっとした既視感。
結局その日、シオンは早退した。
客が捌けて一息をついたジェラルドは、ふしぎとご機嫌な様子の受付嬢に首を傾げた。彼女の『趣味』を知っている所以のことだ。
てっきり、シオンが女と知って一番がっかりする奴だと思っていたが……。
「意外に凹んでないな?」
「だって、職場が華やかになるのはいいことですもの。シオンさんは普通にしてますけど、周りのほうが楽しくて」
「そうだな。ありゃあザイダルが悪い」
「うふふ」
にこにことしていたメリルは、ふと彼女の早退理由が気になった。
ジェラルドは、あっさりと答えた。
「あー、例の件な。セイカからのお偉いさんがラックベルに到着したって知らせがあったんだ。ホラあいつ、長だから」
――――なんでも、先方からシオンを同行させよってお達しがあったらしいぜ、と。
これは、やや案じるような声音で付け加えた。




