3 がんばってね
数分は存外に短い。コリスは囲まれていた。
――『扉をこじ開けられるかも』。
ジョアンにはああ告げたものの、祠は獣神たちの坐す特別な空間だ。薄汚れた人間が入れるわけがない。
よって、安心して侵入者たちを燻しにかかっていたわけだが……。
現在、裏庭。
獣化した右手を元に戻し、さも小屋に用がありますよ、という風を装ってひょいひょいと勝手口を出ると、とたんに行く手を阻まれた。まずはひとり。
男が無言で短く指笛を吹くと、たちまち他の奴らも集まってきた。前後左右に展開した黒尽くめの男たちは総勢五名。先に聞いておいた会話から察するに、これで全員だろう。
じりりと狭まる輪の中心で、コリスはのほほんと空の籠を手に立っている。
「――娘。隠すと痛い目にあうぞ。高貴な出で立ちの人間の女性を匿っているだろう。案内しろ」
「まあ! なんてわかりやすい悪人っぷりかしら。少しは加減してあげようと思ってたのに」
「加減……? おいおい、笑わせんな。立場わかってんのか? お嬢ちゃんの細腕で、いったい何をどう加減するってんだ」
「染、こいつも連れて行きゃどうだ? 都の金持ちあたりが好みそうな容姿だ。さぞ高く売れるだろうよ」
「そうだな」
――高く売る。
ぴくり、と、それはコリスの怒りの琴線に触れた。言葉通り、本当にむだな殺生は控えようと思っていたのに。
なんて。なんて愚かしいんだろう。どうして、人間どもって学ばないんだろう。これだから。
「おい」
「……」
固まり、沈黙した少女が恐れをなしたと勘違いしたひとりは、斜めうしろから近付き、華奢な肩に手をかけようとして――――後悔した。パッ、と鮮血が散る。
「さわらないで。下郎。わたし、むしゃくしゃしてるの」
「なっ!?!?」
そこからはひたすら、男たちにとっての悪夢だった。
最初のひとりは正確に腕の付け根の腱をかき切られ、傷口を押さえて蹲ってしまう。逆上した二人目は小刀を抜いて斬りかかったが、鋭利な爪が閃いて片目を切られた。怯んだところを腹部に回し蹴りを食らい、見事に吹っ飛んだ。
三人目、四人目も似た塩梅で次々にやられてゆく。五人目となった染は背中の長剣を構えつつ、額に流れる汗を拭う余力もなかった。うわ言のような罵り文句が滑り出る。
「バケモノめ……!」
「皆、そう言うのよね。知ってるわ」
さも飽き飽きと言わんばかりに少女が言い放つ。
その、妖しい光を宿す赤い瞳にいっそうの侮蔑がまじったときだった。「……殺しちゃおうかな」
「ひぃっ、――ッ!? うわあああぁぁぁ!!!」
「“けがれし男の足元の地よ沈め!! 丈よりも!”」
(!? これはっ)
突如、耳に飛び込んだ古風な言い回しと男の悲鳴に毒気を抜かれたコリスは、目の前の光景を凝視した。
とても正確に、男たちの足元だけが落とし穴に変化していた。局地的大陥没…………と、言って良いのだろうか。
やり場を失った、長く伸びた人差し指の爪がすすす、と縮む。振り返り、息を切らせてやってきた護衛対象を視界に収めた。開いた口が閉まらない。
「信じられません。何てことをしてくれたんです? あんなやつらを助けるなんて、どうかしてます。第一、あなたが出てきてどうするんですか……!」
「何言ってるの! わたくしが助けたのは貴女のほうよ、お馬鹿さん!!」
「ふえっ???」
完全にいつものコリス。
そのさまに、ようやくジョアンは人心地ついた。
――――――
「解せません」と、さかんに瞬きをする愛らしい少女は、過去、すでに命を奪いすぎている。
恵娜女神は豊穣を司るため、必要悪までは断じないおおらかさがあるものの、みずからの神力が及ぶ範囲で行われる人間たちの『法術』に関しては厳然とした一線を引くかただ。
つまり、邪な願いには絶対に力を貸さない。
遠目にもコリスからは苛立ちや憎しみ、冷酷さが感じられて、それらの“気”はつめたい炎となって吹き上げるようだった。
正面から向き合い、両肩にやんわりと手のひらを乗せたジョアンはきっぱりと言い切った。
「貴女、相っっ当、女神様にしごかれるわよ。間違いないわ。がんばってね」
「えええ? 女神…………って、セイカ国の? どうしてですか」
「内緒」
「えーーっ! ずるい、教えてください!」
「だーめ、よ」
◆◇◆
こうして五名の侵入者たちは、それぞれ別の穴に落とされてよじ登ることも許されず、しかも雨まで降ってきたとあって、絶好(?)のタイミングで帰還したザイダルの投降勧告に、一も二もなく縋り付いた。
帰ってきたシオンはジョアンとコリスに揉みくちゃにされていた。
不穏な目つきになったコリスは一言、「――その公子、わたしも殴りたかったです」と、呟いたとか何とか。(※誰ひとり殴れていません)
やがて、ハンターギルドから派遣された荒っぽい冒険者らによって『影』たちは穴から救助され、手当を受けた。死者はひとりも出なかった。
彼らの、ラックベルへの護送手配。セイカからの正式な外交官が到着するまでの各種手続きに折衝案件。
もろもろで忙殺されながらも、ザイダルはちゃっかり、女性陣によって連れ去られそうになったシオンを呼び止めた。
「シオン」
「? はい」
「これ。森に落ちてたぞ」
「……………………、あっ!」
腰のポーチから丸眼鏡を取り出し、とっさに目を瞑った彼女に、ぎこちなくかけてやる。
すると、周囲の冒険者たちや獣人たちが軒並み「あれ?」と首を捻った。
――なんか、見たことある。
満場一致の野郎どもの心の声を背に受け、ザイダルは他意なく告げた。
「もう変装の必要はないと思うんだが……。以前、夜明けにこっそり奉納舞してただろう? ああいうの、堂々とすりゃいいと思う。また見たい。綺麗だった」
「!!!!!」
垂らした、緑がかった長い茶色の髪。水色の瞳。整った容貌はみるみるうちに赤面して。
すらりと背の高い女性が、最近魔物ハンターギルドで働くようになっていた人間の青年・シオンだと、その場にいる全員にバレてしまった。
決定的瞬間だった。
これにて五章に移ります。




