2 泣きますわよ
「いいですか? 鍵をこじ開けられることもあります。そんなことはさせませんが、できるだけ静かにしていてくださいね」
「ちょっ……、コリスさん!?」
言うが早いか、ジョアンを祠の奥まで連れてきたコリスは、ぱっと手を離してなよやかな肢体を押し込む。
勢い余ってジョアンは敷物の上に転がってしまったが、そのまま手心なく扉を締め、施錠してしまった。
ガチャン!
「あぁっ、もう! なんて手際の良さなの。信じられない」
「――おはよう。恵娜の国の公主。災難だったね」
「ケントウリ様」
そっと差し出された少年の手のひらから視線を辿らせると、苦笑する半人半馬神がいた。ジョアンはありがたくその手をとる。「かたじけのうございます」
「いえいえ。ところで、また侵入者だね。獅子神と鳥神は、いま休んでいるんだけど、祠守りは何と?」
「コリスは、相手は五人だと。わたくしはここに隠れているよう言われました。……お邪魔でしたか?」
「まさか」
おどけるように肩をすくめた少年神が、ちらりと祭壇を流し見る。岩をくり抜かれたそこには、中央に雄々しい獅子。両隣に立派な尾羽根をした鳥と、壮年男性風の半人半馬が佇んでいる。
造形美は無くはないが素朴。そして、どこか味のある石像だった。
昔、ここに集った獣人たちが心を込めて削り出してくれた。ゆえに、この場所を起点に『館』は建てられた。この像を依り代に。
――獅子は力を。
――鳥は伝播を。
――半人半馬は仲立ち。他種族との仲裁や調停の役割を担う。
もう何千年と過ごしてきた三柱の在りようだった。
そんなケントウリの寂寥が感じとれて、ジョアンは気遣わしげに問う。
「レオニール様とガルーダ様は、昨晩の遠話で消耗されたのですね。もう、そんなにも弱っておられるなんて。…………宜しいのですか? たとえ我が女神がこの谷の守護を引き継いだとしても、このままでは貴方がたの消失は免れない。ザイダル様や、谷の獣人たちは悲しむのでは」
「う〜ん、そうだねぇ。そう言われると、複雑な気持ちになるね。困ったな」
言葉のわりには涼しい声だった。
ケントウリは石像の前まで歩み、獅子像の頭部をそっと撫でた。目線は柔らかい。
「私とガルーダは、レオに仕える半神だった。レオの消失がすなわち、私たちの消失。べつに、消えるのはいいんだ。レオが愛したこの場所を守れるなら。『ひと』の寿命って、そういうもんだろう?」
「コリスさんが泣きますわよ」
つい、咎める口ぶりになってしまう。
どうも、あの少女の悲しむ顔は見たくない。忌むべき魔物の血が、ああもはっきり流れているのに。
ケントウリは振り向き、寂しさをケロっと忘れた悪戯っぽいまなざしとなった。
「ふふっ。コリス。最後の祠守りだね。いまも生きる唯一の異端。いろんな偶然が重なって、あの子は生身をそなえた神のようになってしまった。言うなれば彼女も『半神』なんだ。はやく、そのことに本人が気づけばいいんだが」
「…………え? 失礼。『半魔』ではなくて?」
「生まれはそうだけど」
唸り、腕組みをして俯くケントウリには年齢不詳な風情が漂う。頬や口元は変わらず瑞々しいのに、瞳だけは達観した老人のようだ。
ずいぶんと人間臭い仕草だと、ここの長ならば遠慮なく突っ込むのだろう。ケントウリは、ややあって大きく息を吐いた。
「あの子が我々よりも長く残るのは、あの子が産まれた瞬間からわかっていた。だからこそ、ふつうの獣人のように我々を崇めさせてはいけなかった。――元気だった間、彼女に姿を見せなかったのはそのためだよ。半神は、仕える神のもとで然るべき修行をこなし、眷属にならなければ守るべきものを得られない」
「すみません、仰る意味が」
たじたじとジョアンが気圧される。
神についての知識はそこそこあると信じていた。だが、初めて耳にすることも多かった。
――――半神。眷属とは。
「最終的には、彼女自身が決めることだけれど。いずれは、あの子がこの谷を守る半女神になれるんじゃないかと思ってる」
「!!! それは……つまり?」
ジョアンのなかで、自身が受けた神託が実現可能な道筋を打ち立てた瞬間だった。
紫の瞳をいっぱいにみひらく美姫に、もうじき消えるかもしれない半神は力強く頷く。
「守護を願う神に、力と血脈を捧げる『ひと』の代替わりじゃない。長い目で見れば、神そのものの代替わりになる。コリスと新たに縁を繋げられるのは、新たな血。
恵娜女神とも、ザイダルとも繋がれる。――シオンは、あの子を神たらしめるのにもっとも相応しいと思うよ」




