8 ――シオン。助けに来たぞ
本日二話目投稿です。
緞帳めいた窓の帳がびっちり下りているせいか、部屋が全体的に薄暗い。それで、今が何時かもわからない。
だが、素直に尋ねられる雰囲気でもなかった。
せっかく身を起こしたのに顎を掴まれて。
ぐっと顔を寄せられて。
やっぱり、ちょっと顔立ちもジョアンに似ているな、と思ったときには怪訝そうに眉をひそめられた。
――なお、距離感は変わらない。睫毛の長さまで見て取れる。
「よく……、ここまで無防備な女が二年も、国を出てぶじに過ごせたものだな。昨夜、配下が『見覚えがあるから』とお前を連れてきた。男物の服だった。ご丁寧に体型まで誤魔化して。――つまり、砦からも変装で逃げおおせたということか? 男の格好で」
「!! 見たんですか! ……ぐっ」
「質問だけに答えろ。口ごたえは許さん」
「――……ッ!」
口ごたえも何も、ふつう、喉を締められては声など出せない。この男おかしい。
相手が機嫌を損ねると面倒なタイプらしいと直感したシオンは、それでも反抗的なまなざしになるのを抑えられなかった。抗議のためにはくはくと口を開閉する。
男はそれに、酷薄そうな笑みを浮かべた。
瞳にはこの上ない愉悦の光。それに、あらためてぞっとする。
(〜〜!?? こいつ、やばい。完全に関わったらだめなやつ……!)
本能的な忌避感。戦慄が胸をよぎる。
力加減からして本気ではなさそうだが、ひとを痛めつけて喜ぶのなんか、およそ正気の沙汰じゃない。
シオンは心でジョアンに謝った。――すみません、全然似ていません。ごめんなさい。
そうして記憶を探った。
王の第二子である高位神官。名前は忘れた。
二年と数か月前に自分を故郷から攫った張本人で、ジョアンが教育係に付けられるまではやたらと絡んで来た。べたべたされたと言っていい。
漠然と暇なんだと思っていたが、単にいじめっ子気質だったんだろうか……。
すると、沈黙(※物理)をどう受け取ってか、王の子ともあろう男が苛立たしげに舌打ちした。
「!」
「余裕だな。もう生娘でもないということか。まぁ、見つけたときも二十歳は超えていたようだし」
容赦なく後ろに倒され、どさりとのしかかられる。
両腕を拘束され、ようやく喋れるようになったシオンは、思わず「は?」と、素で訊いた。ぎりりと手首に食い込む指の圧に、声音は自然と不機嫌になる。
「いま、それは関係ありますか」
「あまりない。どうせ、やることは変わらんし」
「………………正気ですか? おれ、いや私は単なる元・青霞の民で、はっきり言ってもう戻りたくないと思っています。それに、仰るとおり、とりたてて美人でもない平民の行き遅れですよ。なぜ」
「よく回る口だな……もういい、黙れ」
「!!」
片手で口を塞がれ、今度こそ言葉を封じられてしまった。その段で気づく。これでは。
男はにやりと笑った。
「法術を使われては敵わんからな。好みの顔に痕が残るのは嫌なんだが、しょうがない」
「!? 〜〜んぐっ! むぐぐ!??」
上掛けをはぎ取られ、借り物の寝間着の帯を慣れた手付きでほどかれた。しゅるりと顔の辺りに持ってこられ、瞬時に猿轡をされるのだと悟る。
冗 談 じ ゃ な い。
「んーーーーッッ!!!!」
抵抗虚しく、きつく口内に綿の布地を噛まされた。
こんなことなら、身分なんか慮らずさっさと風圧で吹き飛ばせば良かった……! と、心底後悔するも、もう遅い。
がむしゃらに叫び、身をよじって逃れようとしたが、かえって機嫌が良くなるだけだった。胸元の袷に手をかけられて絶望的な気分になる。
こんなことなら。
(ザイダル……!)
――――逃げなければ良かった。
ちゃんと向かい合えば良かった。神殿からの追手だって、こんな歪んだ私情まみれなのだったら、然るべき手順を踏んで法術士だと名乗り、外国に亡命する手段だってあったのに。
外国。
“獣人の谷”にだって。
「っ」
「…………なんだ? 外が騒がしいな」
ふと、蠢いていた指が止まり、首筋に埋もれていた公子の茶色い髪が離れた。
息があがり、涙が滲んだせいで、不鮮明な視界に細く光が差す。なんと、両開きの分厚そうな扉がたわみ始めていた。
間隔を空けた、無視し難い数度の衝撃。それから轟音。
ドォォォン!!
「!?!? なっ、何事だ!」
「ふーー……。硬い扉つけてんじゃねえぞ。手間取ったじゃねえか」
「ザイダル。お前、それ、無茶苦茶」
(!!!)
四角く切り取られたような逆光のなか、見慣れたふたり分のシルエットが顕になった。
呼べない。声を出せないシオンに、扉を体当たりで粉砕した熊獣人は、無様にうろたえる貴人に一瞥すらせず、に、と豪気に笑ってみせた。
「遅くなってすまん。――シオン。助けに来たぞ」




