7 きりきり行くぞ
朝日の射し入る厨房でしゅんしゅんと湯が沸く。かまどの火を落としたコリスは、心持ちしょんぼりと肩を落とした。
こんなに悲しいのに、体は勝手に動いてしまう。シオンが連れ去られてしまったのに。
(もどかしいな……)
溜め息をつきながらトレイに朝食を乗せていった。
◆◇◆
こんな気持ち。忸怩たる思いは、留守居役の自分は綺麗さっぱり消し去らねばならない。
心配なのは自分だけではないし、ザイダルたちは、ずっと手を尽くしている。何より、シオンは今ごろどんな扱いを受けているのか。一刻も早く救出したい。
そのために。
「――よしっ!」
ふんすと顔を上げ、気合いで前を向く。内扉代わりに垂らした布の簾をわずかに屈んで避け、つとめて颯爽と朝の挨拶をすることにした。
「おはようございます! ジョアンさん。昨夜はちゃんと休めまし…………、おや?」
「もうっ! 『おや』じゃないでしょ? コリスさん」
ジョアンは、バンッ! と両手でテーブルを叩いて起立した。おまけに拗ねたように睨んでくる。
コリスは戸惑いがちに首を傾げた。
「どうしたんです? せっかくの綺麗なお顔が台無しですよ。隈が」
「隈なんかどうだっていいのよ……! それより賊は? ザイダル様は、まだお戻りじゃないの? まさか、何の手がかりも?」
「!! すみません、今説明しますね。とにかく座って。食べながらお話しましょう」
ジョアンの剣幕はもっともで、コリスは慌てながらもホッと力を抜いた。同時にちょっぴり反省する。
心配なのは、唐突に護衛対象となったこの女性も同じ。立場を考えればいっそう責任も感じていたのだろう。彼女自身、自国の体制や暗部への認識が甘かったのは否めないが。
(神殿づとめのお兄さんとは険悪みたいだし。侵入者が自分への追手ってことも、薄々勘付いてるのよね?)
しょうがないなぁ、と苦笑し、ジョアンの目の前に次々と湯気の立つ食事を並べてゆく。昨夜のスープの残りに細かい練り小麦を混ぜたものや、とっておきの杏ジャムを添えたスコーンも。
「……」
すると、ささくれた表情をしていた公主様は目をぱちくりさせ、緩慢ではあったけれど大人しく椅子に掛けた。幸いにも好物があったのかもしれない。
――――良かった。
コリスは苦笑を微笑に変え、できるだけ穏やかに話すよう心がけた。
「ゆうべ、シオンさんの拉致現場は確認できました。昨夜のうちに、首謀者は特定済みです。今日、これから長たちが救出に向かうはずです」
◆◇◆
いっぽう、谷から馬車で一時間ほどの町・ラックベルにて。
宿が立ち並ぶ一角で、ひときわ広い敷地面積と強固な外壁を誇り、内堀まで巡らせた高級旅籠“幸せの音色亭”では、ちょっとした一悶着が見られた。
宿の下男と用心棒が正面入口で、団体客相手に口論となっている。
「だーかーらっ! 料金なら支払うって言ってるだろう? 私らはここに泊まれるって聞いて、一月前から楽しみにしてたんだ。なんだってダメなのさ」
「いやぁ、ですから。こちらは、昨日からさる高貴な身分のかたがご宿泊を」
「貸し切りなんすよ奥さんがた。気の毒だけどさぁ、日を改めるか、別の旅籠にしたらどうだい?」
「無理よぉ! 今日泊まるためだけに、あれやこれやを片付けてきたんだから。ねぇいいでしょ? たったの五人くらい」
「「駄目なもんはダメですって」」
――――――――
何だ何だ、と、宿の内外でひとが集まる中、裏の通用門ではまた別の異変があった。
とはいえ、こちらは静かなものだった。詰めていた番の者が二名、正面の騒動見たさに持ち場から目を離した隙にひとりの虎獣人が塀の上まで跳躍し、敷地の内側から外にロープを投げただけだったので。
「よっ、と」
「でかいのに身軽だねぇザイダル。ロープは回収しとくか?」
「当たり前」
「りょーかい」
忍び込むなら夜のほうが良かったのだが、なにぶん、アナグマの親戚夫妻によると、怪しい集団が門を通ったのは昨日の日没後だった。うち、一名は袋詰の大きな荷を担いでいたという。――成人ひとりくらいの。
状況的にシオンが薬で眠らされていた可能性は高かった。加えて親玉がいけ好かない樂公子であること。速攻身バレしているであろうことを鑑み、夜を待つのはかえって危険だと判断した。もちろんザイダルの独断だ。
「べた惚れだねぇ」
「うっせえ、きりきり行くぞ。――ちっ、連中の匂いはもう辿れない。やっぱ上階か?」
「公子サンならそうだろうけど。本気で行く?」
「当たり前」
「……そっか……了解。お? 早速だぜ」
「貴様ら、何奴だ! どこから入った? 獣人風情が………………っ、!?!?」
「ほお」
「へえぇ」
門番とは違い、装束からしてセイカの兵士風。しかも思い切り人間風を吹かせているとあっては、ザイダルもジェラルドも冷たい笑顔にならざるを得ない。
ふたりは息ぴったりの連携で左右から男との距離を詰め、ザイダルは男の右手を手刀で打った。抜剣を防ぐためだった。
ジェラルドは素早く懐に入って襟合せを引き掴み、無造作に放り投げた。勢いよく地面に叩きつけられたセイカ兵は、蛙が潰されたときのような声をあげて動かなくなる。
「やったか?」
「やってねぇ……!」
物音を聞きつけ、やがて建物から続々とひとが来る気配がした。
しかし、彼らが駆けつけたとき、既にそこには兵士がひとりで伸びているだけ。
熊獣人と虎獣人は、また別の侵入経路を探るべく、あっという間にその場をあとにしていた。
次回、シオンさんです!
たぶん、奴とふたりきりです!! (告げ口風)
ジェラルド:「いや待て。これ以上焚き付けてどうする」




