5 探したぞ?
幼いときの夢を見ていた。
――ぐらり。ちょっとだけ気持ちが悪い。
あのときもこんな風に、自分のなかの天地が曖昧になる揺れ方だった。
本当の父母は死別したという。それでも里親の村長一家は優しく、大事にしてくれた。
紫苑という名も、老いた村長がくれたはず。
(へえぇ……、そうだったのか)
夢を見る自分。
夢のなかの幼い自分。
それらは重なるようでちっとも重ならず、夢を見るシオンは、忘れてしまった過去をなぞるようにそれらを受け入れた。
ちいさい。五歳にもなっていないように見える。か細い幼女は、あちこちに真新しい擦り傷を作っていた。
そんな状態で眠りながら目を回すのも仕方ない。
――この匂い。覚えがあった。
自分も、ついさっき嗅がされたのだから。
ガタゴトと乱暴に揺れるロバ車は質があまり良くないようで、剥き出しのささくれた床板を転がることで傷がどんどん増えたらしい。
荷物よりもひどい扱いに眉をしかめる。
すると、御者台から野太い声がした。
『笑えるなぁ! こんなガキひとりに大金だぜ? 神殿も酔狂なこった』
『おいおい、声がでかいぞ、起きたらどうする』
『構いやしねぇよ。見るからに気弱そうな娘っ子じゃねぇか。ちょっと脅せばいいだろ』
『違いない』
(……こいつら!?)
ズキ、ズキと頭が痛む。鼓動が早まる。
それは現実の痛みなのか、夢の中の男どもへの嫌悪感によるものか。あるいは、目の前が真っ赤に染まるような義憤のせいなのか。
シオンは思い出してしまった。
当時、青霞で法術士は、なぜか生まれにくくなっていた。それで神殿は報奨金を増やし、国土をくまなく探させたのだという。――無邪気な片言の“ことば”を、女神の理に則って体現しうる、奇跡のわざの持ち主を。法術士の雛を。
それまで、法術士は自薦他薦を含む申告制だった。
才のある子はそれなりにいたため、よほど家が困窮していたり、女神と国に仕えたいと志す者でなければ『正規の法術士』は目指さなかったという。
彼らは各地で災害を防ぎ、戦場に派遣され、攻撃にこそ加わることはなかったが間接的にひとを殺めた。そんな術士たちは総じて長生きできなかった。
(理由は、術で御法を捻じ曲げてしまったからだったか。法術士自体が激減したんだよな。神殿で読んだ書物にあった。むりやり覚えさせられ…………。ん? いや、見せてくれたのは如杏だっけ)
記憶を二重に探るような不確かさ。
呼応するように、夢のなかのシオンも呻き声をあげた。
そのときだった。
『うぎゃあ!』
『ひっ! た、助け……!!』
ロバ車が急停止する。御者台の男たちは何かに驚き、我先にと駆け出して峠の向こうへと去っていった。
束の間の静寂。
そして――――木箱のような荷台に閉じ込められていてもわかる閃光。真っ白な光が収まったあと、勝手に荷台の扉がひらいた。
そこに、居たのが。
「可哀そうに。攫われたのか……。どうなってしまったんだ、この国は。嘆かわしい」
(!! 彼は!)
そっと、傷だらけのちいさなシオンを抱き上げる。
自身の服が汚れるのも構わずに保護し、丁寧に手当てをしてくれた。家へと連れ帰ってくれた。
あのときの自分は、うまく喋れなくなっていた。
元いた村は――……焼かれたから。
男たちは人攫いで、野盗だった。
強大な法術を使える子どもがいると聞いて、奪いにやって来たのだ。
彼はそんなことは話さず、むしろ、元々の親族の娘を引き取ったように隣家の人びとに伝えた。自然に養女としてくれた。
そのひとの姓は郷。名を英。
こっそりと、「私も法術使いなんだ」と教えてくれた。養い親となってくれた。
お茶目で人の好さそうな笑顔が印象的な、ごくふつうの、初老の男性だった。
◆◇◆
「うっ……。英……とう、さん」
「何だ。目が覚めたのか」
「!!!」
夢の余韻をぶった切る現実の声。生身の男性の声に驚き、跳ね起きた。とたんにくらりと霞む視界に、シオンは上掛けに突っ伏す。へなへなとして、体に力が入らなかった。
部屋。
どこかの旅籠だろうか。上級な宿だ。布団も清潔で、いつの間にか着替えさせられている。
…………女物の寝間着に。そのことに、少なからずぎょっとした。
その様子に、起きて早々尊大な声がけをしてきた男がくつくつと喉を鳴らす。
笑っているのだとわかった。また、その笑い方にも覚えがあった。
さぁっ、と、シオンの血の気が下がった。
「貴方は」
「久しぶりだな、郷紫苑。いや、嘘の下手くそな妹が言っていた。外国人で男なのだったか。“シオン”」
「! くっ」
相変わらず豪奢な神官服。人差し指にはめた玉の指輪がきらめいたかと思うと、無遠慮に顎を上向かされた。否応なく目が合う。
男――セイカ国の公子にして高位神官の樂は、線の細い容貌にうっすらと笑みを刷いた。
紫の垂れ目。ジョアンよりも茶色っぽい、うなじまで伸ばした髪。
「やれやれ。妹の行方を追わせた者には望外の手柄だったな。ずいぶんと探したぞ? 郷よ」




