4 『獣神の谷へ。そなたの友を訪ねよ。彼の地と愛し子に救いを』
サブタイトルを変えました。
「胃が痛い……」
「そりゃそうよ! 誰のせいだと思ってんのよ」
「そうですわ。可哀想なシオン」
「ぐっ」
まるで矢が刺さったかのように胸を押さえるザイダル。
コリスはすかさず、「痛かったのは胃じゃないの」と、冷静に突っ込んだ。
◆◇◆
食卓に現れなかったシオンについては、コリスの口から早々に知らされた。
それはつまり、長の部屋での発見当時から「ちょっと一人になりたい」と訴えられたくだりまで。
結果、ザイダルは食事中えんえん針の筵を味わう羽目になった。
――もちろん、ザイダルも深く反省している。
言いたいことを言いすぎたし、シオンの気持ちはろくに聞けなかった。事を急いてしまったのは否めない。
思い出すと後悔は微塵も感じないあたり、とんでもない惚れ方をしてしまったと更に反省してしまうのだが。
あのときは、コリスたちが来てくれて本当に良かった。
「……」
「……」
「…………こほん」
夕食後。食後茶を啜る三名は、それぞれに微妙な沈黙を挟んだ。
新たな客人のジョアンは、三獣神からおおむね好意的に受け入れられた。とくに、自他ともに認める美女好きの鳥神の盛り上がりようは凄かった。
重々しく古風な獅子神の天然ぶりもいつも通り。
そうして、もっとも恵娜女神への興味を示したのが半人半馬神だった。浅黒い肌の美貌に柔和な笑みを浮かべ、謝意を伝えたのも抜かりなく。女神のお告げに関しても、じつに巧く詳細を聞きだしていた。
――……曰く、『獣神の谷へ。そなたの友を訪ねよ。彼の地と愛し子に救いを』と。
(救い、ねぇ)
ザイダルは、青霞風の濃い香りの茶が半分ほど残った器を、コトリとテーブルに置いた。
「で、ジョアンさんよ。あんたが確かに女神の遣いだってぇのはわかった。だが、あの“お告げ”とやらの真意は何だ? 具体的にはどうするのか。恵娜信徒のあんたや、シオンにはあんな短文で意味がわかるのか」
「申し訳ないのですけど」
ふぅ、と溜め息に似た仕草で器の湯気を飛ばしたジョアンが、億劫そうに視線を流す。
「神とは、大いなる理。意志そのもの。我々ひととは存在が異なります。あのかたが示す“言葉”はいつだって大まかですし、細かなことは一切わかりませんの。
でも……シオンはどうかしら? あのかたは神殿の外で、より女神を身近な存在として育ったようです。わたくしとは違う受け取り方ができるのかもしれませんわ」
「シオンなら……。そうか」
「お告げのこと、シオンさんにはまだ?」
「ええ」
谷の味方が相手なら、多少のことは水に流せるコリスは、ジョアンへのわだかまりはすっかり失せたようだ。ごくふつうの客人に接するように菓子を取り分けたり、茶のお代わりを準備したりと細やかに気を配っている。長の家系からは、こっそり『世話焼きコリス』と親愛を込めて呼ばれるどおりだった。
――――人知を超えた意志。
ある意味、コリスもそれに当てはまる。
世にも珍しい『半魔』として、老いと死から忘れ去られてしまった。谷の、唯一の祠守り。
(そういえば、コリスも初見で彼女を気に入ったらしいな。『愛し子』ってのは、そういうもんなのかね)
むう、と難しい顔のザイダルに、ジョアンはふわりと天女の微笑みを見せた。
「ご心配なさらずとも、女神は意地悪なかたではありませんわ。うふふ。内緒にしていましたが、わたくしには嫌いな兄がいますの」
「? はあ」
「今回、夢でのお告げに飛びついたのは、ちょうど都の兄が鬱陶しくなったからですわ。公主としてではなく、法術士としての務めを優先させてくれる母に頼めば、小うるさい兄に悟られずにここまで来られますもの。女神様は、本当にお優しいかたです」
「はあ」
「……失礼、ジョアンさん。その、いけ好かないお兄さんとはどんなかたです?」
いまいち公主の言うことを察しきれないザイダルに代わり、コリスがそれとなく会話に入る。
ジョアンは気にした様子もなく、あっけらかんと告げた。
「セイカの第二公子。樂ですわ。もうすぐ三十路ですのに子どもっぽくて。そのくせ、体裁には人一倍煩いんですの。いつも、神殿の上役だからとわたくしにも大きい顔をして。――そうね。今回の家出でいちばん煽りを食ったのは彼かしら。法術士の管理部長でもあるから、きっと神殿の爺たちにも大目玉だわ。いい気味」
クスクスと笑うジョアンに、コリスがほえぇ……と唸る。「よくわかんない兄妹喧嘩ですね」
「そうかもね」
「ん? ちょっと待て公主さん。その口ぶりだと……二年前、神殿から逃げたってシオンは言ってたが、そのときも??」
「あら」
急に顔色を変えた谷の長に、ジョアンはおっとりと首を傾げた。それから、思い出したように付け加えた。
「そう。地方視察の折り、たまたまシオンが法術を使う場面に出くわしたそうで。恥ずかしげもなく、人さらい同然に神殿に連れて来ていました。わたくしが気付いたから良かったものの…………、いろいろと危なかったんですのよ? 兄は、シオンが正式に法術士としての身分を得て、そこそこ貢献した頃合いを見計らって彼女を側女にするつもりでした」
「なッ!?」
「えっ、側女……? つまり、ゆくゆくはお手付きさんに?」
「そのとおりですわ、コリスさん」
「ひええぇ! やだ陰湿! シオンさん、だから逃げたんでしょうか」
「どうかしら。そうとも言えなさそう、――!?」
「!!」
ふと、瞬間。
隣国の公主と谷の長の目がみひらく。それから、ふたり同時に視線を合わせた。
衝撃は切那で、詳しい場所も『何が』ともわからない。それでも胸にズシリとのしかかる予感の重さに、両者は瞳を険しくしている。
「コリス。シオンは山中だったな? 夜には戻るって?」
「え、ええ。そう言ってましたけど」
「いま、ちょうど日没か。どの辺なのか……くそっ。行くか」
「そうですわね。心配です」
「いやいや、あんたは館にいろ。俺が、夜目の利く奴らを連れて出る。コリス、行ってくる」
「え? え? どういう……長??」
伝播する緊張感。
尻尾の毛を逆立たせたコリスは不安そうに尋ねた。
椅子から立ち上がったザイダルは、窓の外へと目を光らせながら答えた。
「レオニールから遠話が届いた。良くないものが谷に入ったらしい。――たぶん、人間。侵入者だ」




