2 大丈夫ですか?
――ささっ。
――さささっ。
ふさふさとした金色の尾を派手にくねらせ、足音だけは立派に消したコリスが館の通路をゆく。稲妻型の軌跡を描きながら。
(忍びの者みたいだわ……、全然忍べてないけど)
と、後ろを歩くジョアンは思った。
◆◇◆
ジョアンの客室は、管理のしやすさを考慮してかシオンの部屋の隣になった。
使っていない部屋はすべて封じてあるとはいえ、元々定期的に掃除しているとのこと。お陰でさほどの手間もかけずにベッドメイキングまで終了し、いまは窓を開けての換気中。すわ夕食の支度かと思いきや。
「ねえ貴女。さっきから何をやってるの?」
「……」
ぴく、と、やや垂れた片耳が動く。
声は聞こえているはずなのに返事がない。振り向きもしない。
やがて、ひとつの部屋の手前にたどり着いたコリスは、そうっと窺うように扉と壁の隙間に耳を押し当てた。
ははあ、と、ようやく得心のいったジョアンの顔が明るくなる。
「盗み聞き?」
「しっ! だめです、黙って………………、はわわわっ!!?」
「こら。何してんだ、コリス」
ガチャッと扉がひらき、なかからのっそりとザイダルが現れた。
『何』と訊いてはいるものの、答えはわかっているようで心底呆れて果てている。こちらを見おろす瞳は黒々と輝き、口の端は下がったまま。
いわゆる上機嫌と不機嫌がないまぜになった表情に、コリスは思わず目をみひらいた。
(えっと……どっちなの? これは)
さかんに瞬きをするコリスから視線を外したザイダルは、む、と半眼でジョアンを見つめた。
「これから“祠”に行く。お前さんが、うちの獣神たちに会いたいってんなら連れてくが」
「まあ。喜んで。でも、わたくしだけで宜しいの? シオンは」
「シオンは……いい。コリス、悪い。頼む」
「え? ええ」
後半部分をコリスに耳打ちしたザイダルは、ジョアンを伴って祠に向かった。
――――そう言えば静かすぎる。シオンは?
「!」
ちょっと考えてからあらゆる可能性を吟味し、突然ありえない予想に行き着いて、慌てて扉を開ける。
(まさか…………、まさかですよね?? 長あぁッッ!!!!)
赤くなったり青くなったり。
入室すると杞憂はすみやかに晴れた。
女性にしては長身のシオンが、壁際の床に座り込んでいる。髪が多少ほつれているだけで、着衣に乱れはない。倫理的な無体はなかったようで何よりだ。
が、様子がおかしい。
顔が赤い。真っ赤だ。両手で口を押さえている。その仕草はまるで。
コリスは放心状態のシオンに、おそるおそる声をかけた。
「大丈夫ですか、シオンさん」
「!!! コリスさんっ? 平気ですよもちろん。すみません、ええと…………あっ。何か手伝いましょうか? 手伝います。これから厨房ですよね。ざ、ザイダルは祠に行ったでしょうか? ジョアンの報告も兼ねて」
「は、はい」
すらすらと流れるような説明にコリスは圧倒される。
いや、まったく平気ではなさそうなのだが……。
シオンは跳ねるように立ち上がり、きびきびと動きだした。
◆◇◆
ふたりそろって二階に上がる。心配になったコリスは散々迷った挙げ句、やっぱり口をひらいた。本人は、ちっとも気付いていないようなので。
「あのう……。眼鏡、しないんですか? 襟元にかかってますけど」
「はっ!!?」
露わになった薄い水色の瞳。
端正な横顔を再び紅潮させ、シオンは「かけます。ありがとう」と、やや早口で礼を告げた。
――――丸眼鏡を装着したシオンは伏し目がちになり、もう一度。
今度は、手の甲で唇を隠した。




