9 顔貸してもらおうか?
「お帰りなさい、長! シオンさん! 狩りはどうでした………………ん?」
幌を被せた乗合馬車がカポカポと去ってゆく。
コリスは大きな瞳をぱちくりさせた。
見慣れた、整えてももっさりとした黒髪と大きな上背。熊獣人のザイダルが見える。それに、すらりとした立ち姿のシオンも。
今朝よりも一名増えている。
彼――もとい、彼女の後ろをしゃなりしゃなりと歩く美女は初見だった。狩りの拾いものにしては大きい。
コリスは、今しがた裏の小屋から取って来たばかりの野菜の数々を前掛けで作った即席袋にぎゅうぎゅうに詰めている。今夜のメニューは秘蔵の森レンコンのサラダに青菜と鶏の炒めもの。丸めた黒糖蒸しパンに普通の雑穀パン。玉葱と人参、ひよこ豆をじっくり煮込んだチキンスープにしようと決めていた。
もちろん、ひと一人が増えてもどうってことはない。毎回余裕を持たせて作っているのだから。
だが、問題は。
「どなたですか? そのかた。シオンさんのお国のかたでしょうか。衣服が」
――セイカ風ですね。綺麗です。まるでお姫様みたい。
忌憚なくそう告げようとしたコリスは次の瞬間、とんでもない台詞によって精神的に横っ面を叩かれた。
ザイダルとシオンは、そろって証言できる。この仁義なき戦いにおいて最初の攻撃を仕掛けたのは間違いなくやんごとなき青霞公主・如杏だった。
「なんてけがらわしい。半魔なの、この子?」
「ッ!?」
「ジョアン!!」
「!! なっ、なんですって……? 貴女、とびきり失礼です! 名を名乗りなさい。わたしはコリス。れっきとした“獣神の谷の祠守り”。その末裔です!」
「まあぁ、それはそれは。神さまがたもお気の毒なこと。精魂込めて護る民からの祈りは薄く、捧げられた血脈までまがいものとあっては、弱り遊ばされるのも致し方のないことでしょうね。お察ししますわ」
「!!!! ムキーーーッ! もう、頭にきました! 怒り心頭です! 谷から去りなさい、この痴れ者め!」
ぶるぶると震えるコリスは一瞬泣いてしまうかと思ったが、果敢に言い返した。一歩も怯まなかった。
――――獣神の谷。
それが、この谷本来の名なのだと初めて知る。
シオンは思わず胸を打たれ、ザイダルは険しい顔で舌打ちした。つかつかとジョアンに近づく。ぐいっ、と後ろから肩を引いた。
「おいあんた。聞き捨てならねぇな。うちの祠守りにこれ以上文句付けんなら、こっちにだって考えがある。今すぐセイカに送り届けてやってもいいんだぜ?」
「あら。それは困りますわ。失礼を――謝罪いたします、コリスさん。申し訳ありませんでしたわ」
ザイダルの威圧感あふれる物言いに、さしものジョアンもあっさりと引き下がる。
こうもあざやかに頭を下げられては、コリスもそれ以上反撃できなかった。前掛けを掴み、悔しげに言い募る。
「うう〜〜……で? どこの誰ですって? シオンさんと同郷とはとても思えませんが」
「そう。わたくしはジョアン。セイカの王の娘。ゆえあって、女神のお告げに従って参りました」
「『ジョアン』……はっ! あなた、まさか。シオンさんから手紙を受け取りましたか」
「ええ」
あんなにメラメラと怒りに燃えていたコリスから陽炎じみた“力”の迸りが消えてゆく。ほっと息をついたザイダルとシオンを前に、両者の戦いは何とか決着を見せたようだった。
――ちょっとした余波も残しつつ。
「シオンへのお返事では、残念ながら貴女がたの長、ザイダル様への輿入れはお断りしていますが。こう見えても友と、この地に関しては心から救いたいと思っております。宜しくね、コリスさん」
「!」
「は???」
ぽかん、とするコリス。
ギクッと肩を跳ねさせるシオン。
ザイダルは、思いっきり隣のシオンをガン見して訊き返した。シオンはぎくしゃくと目を泳がせる。
「え、ええと」
「ちょーーっと、顔貸してもらおうか? シオン」
「あ」
わしっ、と手首を掴む。そのままずんずんと館に入って行ってしまった。
((……))
取り残された初顔合わせのふたりは、微妙な間合いで互いを見る。
とりあえずの年の功を発揮したのはコリスで、やや遅れて彼女にも客間を用意すべく動きだした。
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嵐、近し。




