8 おれは『男』です
流れる黒檀色の髪。紫の瞳のセイカ美女・ジョアンは、ギルドを出てからも多くの獣人たちの目を引いた。
なぜなのか。
種族が人間なのはもちろん、装いが「隣国の貴族子女です」と言わんばかりなせいもあるが――
◆◇◆
「ねぇねぇシオン。あれは何ですの? 水浴び場?」
「あぁ、あれは共同の洗濯場です。セイカにもあるでしょう?」
「えっ、嘘。都のはあんなに綺麗な水じゃないわ。囲いもあるし、せせらぎに屋根と足場を足しただけにも見える……」
「せせらぎなんですよ、ほぼ」
落ち着いた物腰を心がけ、ほんのりと微笑む。幌馬車から身を乗り出す公主さまに困ったように瞳を細める。落ちては大変なので、それとなく腕を引いた。
すると、ザイダルは堂々とジョアンの肩を引き戻して再び座席へと掛けさせた。美女の憤慨にも動じず、淡々と説明する。
「うちは、水だけは豊かなんだ。北のウェリヤ山脈からは雪解け水が流れ込むし、南のローエ山脈は大荒野からの暴れ風なんかを遮ってくれる。年間雨量もちょうどいい。ああいう、渓流に流れ込む名もない川ならいくらでもあるんだ。それを、川筋まるごと飲料用と洗い物用とで分けてる。谷の恵みだよ」
「ああ、なるほど」
まじまじと、ジョアンは遠ざかる景色から目を離さずに呟く。「それも獣神がたの御力?」
「…………じゃ、ねえかな。多分。獣神たちに興味があるってんなら、あとでうちの“祠守り”に尋ねるといい」
「祠守り?」
「おれが世話になってる館の主です。獣神がたが祀られた祠を代々管理する一族があって、今はひとりだけ。可愛い女の子ですよ」
「ふ〜ん」
つやめく桜色に塗られた爪を唇に当て、ちらりと流し目を寄越す。そうすると迫力の婀娜っぽさだった。同性ながら、どきりとして目を丸くする。
ジョアンは、雅やかな小鳥のように首を傾げた。
「うふふ。さっきのハンターギルドでも思ったけれど。ずいぶんと『殿方』が板についてるのね、シオン? すごく自然。あの人たちも探せなかった道理だわ」
「それはどうも」
――あの人たち。
それが神殿の上役を指すことは漠然と感じ取れた。むりやり連れて行かれた日々を思い出し、自然と眉がひそまる。
豊穣の女神恵娜神殿。その法術士管理部。
彼らときたら、本当に法術士を便利な労働力としか見なさない連中だった。
◆◇◆
五年前に他界した養父は、自身も法術を使えることを隠しながら地方の街中で代筆屋を営んでいた。シオンはその跡を継ぎ、慎ましく暮らしていた。
ある日、近所の子どもが水路で溺れる事件が起きた。長雨のあとで流れは急で、はっきり言って一刻を争う事態だった。シオンは、とっさに派手な法術を使った。子どもは無事に助けられた。
――が、そんなときに神殿のお偉いさんが後ろを通りがかるとは思わなかった。
馬車から降りた自称・神官は、やたらと高級そうな身なりをしており、居丈高だった。まるで、その辺の果樹から食べごろの実をもぐように「いいものを見つけた」と、連れ去られて。
そういえばあの男。
あいつもジョアンと同じ色の瞳だった。ちょっと垂れ目で……。
(いや、まさかね)
たいして興味はなかったし、覚える気もなかったが、公子の誰かは神殿の幹部候補だとどこかで聞いた。
セイカに公子はふたり。
ひとりは、ゆくゆくは王になる長子・煉。もうひとりは。
「ええっと……、誰だっけ」
「何が?」
「あ、いいえ。何でも」
「ふううん?」
先ほどとは違う調子で抑揚。ジョアンは反対側に小首を傾げると、急に悪戯を思いついた表情になり、しどけなくシオンに寄り掛かった。
本当の男性なら、間違いなくのぼせ上がる。腕に当たる柔らかな肢体や上目遣いの破壊力に、シオンはぎょっとした。
「ちょっ!? ジョアン。やめてください、そういうの」
「どうして?」
「どうしてって」
きょとん、と瞬くシオンの顔を覗き込み、ジョアンがクスクスと笑う。
ふと、そんな戯れ合いを見守るザイダルと目が合った。ひとの好さそうな熊男は、何とも言えない顔で口を出しかねている。
シオンは慌ててジョアンと距離をとった。
――――そう。町中で予想以上に目立ってしまったのは、彼女の親しすぎる態度によるものだった。同性ならばともかく、異性でこれは傍目に刺激が強すぎる。(※確信)
「勘弁してください……! 今は、この馬車も貸し切りだからと気が抜けるのはわかりますが。おれは『男』です。いいですね? 覚えましたね?」
「つれないのねぇ、シオン」
「い、い、で、す、ね!?」
「はいはい、努力するわ」
そうこうする間にガタゴトと馬車は揺れ、坂道の向こうに館が見えてきた。
ほっとしたのも束の間。
予想外の修羅場は、そのあと起きた。




