6 ジョアン。貴女まで
ジョアンはまず、母后の柳氏を味方につけて念入りに準備を整えたという。
おかげで出奔の気配は悟られることなく、最初から上級籠屋――複数の人足による籠での貴人の移動手段――で運ばれ、苦もなくここまで来れたのだとか。
たまたま街道とは別ルートの峠越えで大地王蛇に出くわし、無情にも籠屋に置いていかれてしまって、こんな目に遭ったそうだが。
「不用心ですね。公主様なら余計に、です。せめて護身の者を雇うなりしなければ」
「そうねぇ。今度からは気をつけるわ」
「……そうちょくちょく家出されては、王宮警備も母后様のご実家も立つ瀬がなさそうですが」
「逃げにくくなるわね」
「当たり前ですッ!」
――つい声を荒げてしまったが、セイカ国の法術は万能ではない。邪な心や神の理に背く事象には作用しないのだ。
よって、魔物に『爆ぜよ』と言っても効きはしない。魔物は神の御法が及ぶ外にある。だから、敬虔な恵娜信者は魔物を『外法のモノ』と呼んで忌み嫌う。セイカでは魔物由来の素材ですら忌避する傾向にあった。
「ところで公主様は」
「ジョアン、よ。シオン」
「…………ジョアンは、なぜここに? まさか、本当に女神のお告げがあったわけではないでしょう」
「あら。どうしてそう言えて?」
「「え」」
のどかな青空の下、眼下には谷の関所が見えてきた。白茶けた街道の砂地も。
遠目にも蛇の巨体は目立つ。ちらちらと行き交う人々の好奇の視線を感じながら、ザイダルとシオンは思わず声を合わせて問い返した。
ジョアンは意味ありげに微笑むばかりで、それ以上を語らなかったが。
今、このとき。
谷を守ってきた三獣神の力が薄れ、新たな神の加護を願わねばならないような大切な時期に『お告げ』とは。まさか――?
◆◇◆
「ちょっと待っててくれ。ジョアン……『どの』のことは、身分を伏せて話しておく。しばらく谷に居るんだよな?」
「了解」
「ええ。ぜひ、そうさせてくださいませ。助かりますわ」
関所に到着すると、手続きのためにザイダルが先に歩んでゆく。
シオンとジョアンは門の端に寄り、ぽつん、とそれを眺めた。
石造りの門に立っていたのは、革鎧を着込んで背に鷹の羽を生やした若者だった。嘴はない。
鳥系獣人のこういうところが、完全鳥顔のガルーダとは違うな……などと不敬なことを考えつつ、シオンはふつふつと沸き上がる喜びを抑えきれない。ちょっと、顔にも出てしまった。
(〜〜やった! さすがは恵娜神。なんて話のわかる女神様なんだ。能力的に申し分ない法術士のジョアンを遣わしてくださるなんて………………ん? でも、ちょっと待てよ??? 何か忘れてるような)
「……」
シオンは気付いていないが、こういうときの彼女は如実に心のなかが表情になって現れる。
一人百面相をする友人を見つめ、ジョアンはにこにことした。
傍目には初々しいセイカ人の恋人たちに見えなくもなかったのだが、すべては足元に放置された大量の獲物のインパクトが勝り、そうと印象づけられなかったのは幸運だった。
――もろもろの意味で、ザイダルとシオンにとって。
「よ。ご苦労さん。こっちは狩りの帰り。あそこの別嬪は客人。アースサーペントに襲われてたところを助けた。身一つだったんで、しばらく館で預かるよ」
「わかった。お帰り、長」
――――――――
「! 長って……。やだわ、シオンったら。ザイダル様なの? あなたが手紙で奨めてきたお相手のかたって」
「そう。どうです? 悪くないでしょう」
「悪くないというか……ええ、そうね。いいかただと思うわ。でも」
「ん?」
おや、残念。女神のお告げはそっちではない……? と、シオンは片眉を上げた。
ジョアンは申し訳なさそうに苦笑した。
「隠していたわたくしが悪いのだけど。ほら、いちおう王宮には戻るつもりだし……。父が許すとも思えないわ。婿に来てくださるならともかく。ね、それならあなたが彼の番になればいいんじゃないかしら。いい雰囲気よ? あなたたち」
「ジョアン。貴女まで」
がっかりと肩を落としたシオンはズレてしまった眼鏡を直し、すばやく友人の耳に顔を寄せた。こそこそと囁く。
「むりですよ。おれは男で、流れの『防御魔法の使い手』としてここにいます。女で不思議の技を使う流浪人なんかが長の妻に納まったりしたら、それこそ青霞と獣人の谷はお隣なんです。速攻でバレて連れ戻されるでしょうが……!」
それだけはご免です、と付け加えた。




