3 退屈ですわぁ
シオンの故国。セイカ国について。
以前、ちらっと手紙でやりとりをした「ジョアン」という女性視点です。
「セイカ」は、正しくは「青霞」という。
国土は大陸中央部よりやや東。北海に抱かれた広大な半島を国土とし、古くより豊穣の女神恵娜を主神と仰ぐ。単一の、人間たちの国だ。
とはいえ、いくつもの部族の興亡の末にいまの王朝があった。
現在、この国を治めるのは壮麗なる社氏。連綿と続く神官の一族がいつの間にか后を輩出するようになり、やがて数々の武官・文官位を占めていった。
いくらかの政争はあったものの、社氏はうまく乗り切った。その果ての禅譲を受けての数代。今上の御代となる。
その、社氏の一派――
◆◇◆
(退屈ですわぁ)
神殿に仕え、法術を駆使する『聖なる公主』と世間から持て囃されようと、花の時期は矢よりも速く過ぎる。
如杏は物心ついたときより公主教育と法術の研鑽につとめ、働いて働いて、気がつけば二十八になっていた。
母の実家・柳氏の屋敷は如杏にとって格好の休息所だ。避難所ともいう。
――とはいえ、最近はそうとも言いがたく。
与えられた部屋の格子窓を開け放し、小川と池を配した庭を愛でていた。すると、入口のほうからどやどやと騒がしい気配が近付いてくる。
如杏は(またか)と吐息し、いつもの『神子』としての顔を取り繕った。もたれていた脇息を押しやり、きりりと姿勢を正す。
先導の者はすぐにやってきた。
「お休みのところ失礼いたします、如杏様。兄君の樂公子がお見えです」
「わかりました」
しゅっ、と衣を鳴らし、庭を背に座り直す。
そうこうする間に控えの侍女が客用の席を設え、瞬く間に歓待の準備を整えた。
細身の兄は、色とりどりの綾錦を垂らした衝立を避け、悠々と入室した。
「入るぞ如杏」
「樂兄様。今日はどうなさって?」
「また、白々しい……。先月、お前宛に文が届いたろう。見せなさい。異国文字だったようだが、お前は一目みて『シオン』と言ったそうじゃないか」
「そうでしたっけ」
「〜〜この、抜け抜けと……! いい加減白状せぬか! それは二年前に国境で行方知れずとなった、あの郷紫苑ではないか? 元は野良の法術士であった」
「兄様」
「な、なんだ」
キッ、とまなじりを強めた妹公主に、樂は思わず怯んだ。
――如杏の面立ちは、完全なる母后譲り。きつめの美女と称されるそれは、じつは、樂の苦手とするところでもあった。
如杏は、じとりと兄を睨んだ。
「情けない。仮にも一度は神殿預かりとなった女性に対して『野良』だなどと……。それでも、ゆくゆくは太子様をお助けするために、神官長の位にお就きになろうというかたですの?
それに、あれは郷様ではありません。わたくし、幼いときより何度も他国へ遣わされました。そのとき縁を得たかたに『シオン』と仰るかたがいたのです。男性ですし人違いです…………ッ、きゃ!? 何を」
ダンッ!
卓子に拳を打ち付け、樂は激昂していた。
「男だと……!? お前、あれほど陛下からの縁談を蹴っておいて! 公主としての慎みはないのか、愚か者め!」
「ああ、もう」
如杏は嘆息した。
すこぶる扱いづらかった。
兄は、王の器ではないものの実務能力は悪くない。多少の癇癪持ちだが、あの手この手で人心掌握を常とする古狸たちの巣窟――恵娜神殿においては、赤子のように可愛がられる次代の長だった。
(叔父上が嘆かれるのもわかるわ)
現在の神官長は后妃の兄。この屋敷の主でもある。如杏はわざと脇息にもたれ、苦しそうに胸を押さえた。
「申し訳ありません、兄様……。わたくし、発作が。もうお帰り下さいませ」
「しかし」
「お帰りを」
「――わかった。体をいとえ。後日また」
「ええ」
兄は来たとき同様のけたたましさで去って行った。
如杏は今度は額を押さえ、そうっと懐に隠しておいた紙を抜き取った。異国からの手紙だ。
手紙は青霞ではない別の場所で作られたらしく、やや厚手で鄙びた地を思わせる。
都は雅やかで華やか。けれど、つくづく飽いていた。古狸どもをあやすのも、子どものような兄のご機嫌取りも。
「旅に出たいですわぁ……」
呟きは人知れず露台の上。
池に面した空へと吸い込まれた。
◆◇◆
後日、一等地に建つ柳氏の屋敷は蜂の巣を突いたような騒ぎに見舞われた。
王の掌中の珠、稀代の法術士とも名高い如杏公主が忽然と消えたのだ。
彼の女の文机には整頓された書物や硯に筆。一枚の紙があったという。薄様のそれには、流麗な文字でこう綴ってあった。
“お許しくださいませ。女神様の神託により、友を訪ねて参ります。ひと月かふた月。必ずや戻りますので、どうかご心配なきよう。如杏”




