9 長をそんな風に見られますか……?
(元気だなぁ)
二階に上がると、入れ違いにコリスがすごい勢いで飛び出していった。フライ返しを持ったままだった。
階段の辺りで一悶着あったようだが、助けを呼ぶ声はしなかったので、ほぼほぼ出来上がっていた夕食の配膳をする。
やがてコリスが戻ってきた。
ふだんは垂れ気味の金色の犬耳を、ぴん、と立てていたり、唇を尖らせていたり、怒りのオーラは伝わるもののそれが何なのかわからない。
――――が。
(ま、いいか)
のっそり現れた熊男の緊張感のなさに思わず笑んでしまい、シオンはコリスに椅子を引いてあげた。
「はい、お嬢さん。どうぞ。今日も一日ありがとう」
「えうっ!? そそそそんな」
おずおずと、それでも大人しく椅子に掛けるコリスはなんて可愛いんだろう。(※語彙瀕死)
ふさふさの尻尾は背もたれの下から椅子の後ろへ流せるようになっている。こうして見ると、非常によく出来たデザインだった。
コリスの正面にザイダル。ふたりの間にシオン。四つ脚のケントウリとレオニールは床に敷いた絨毯に直接腰を下ろした。――片方は、寝そべったというべきか。
シオンは、ちらっとガルーダを流し見た。
鳥神は依然としてシオンの肩に乗っかっている。
「あなたは? ガルーダ」
「気にすんな」
「…………そうですか」
不思議な面子を含む晩餐は、こうして始まった。
◆◇◆
食事は食事として、三名はあっという間に美味しく平らげてしまった。もともと空腹だったせいもあり、一人は見た目通り。二人は見た目以上の健啖家なせいもある。
機嫌の直ったコリスが淹れてくれた食後茶はやさしい香りと温もりで、一同はようやく今後の谷についての話し合いへと舵を切れた。
「ザイダル、コリスを養女にしませんか」
「は?」
「!! ゴフゥッ」
すっとんきょうに聞き返すザイダルと、派手に咳き込むコリス。どうやら『長の系譜の書き換え』をもって新たな“力”を獣神がたに吹き込む方法は考え及びもしなかったらしい。
シオンは出来るだけ丁寧に誤解を解きつつ、説明を加えていった。
「コリスは獣神がたの姿が見えたり見えなかったりするようですが、潜在的な“力”は強いです。いにしえの巫女の血筋と聞きましたし」
「大げさだわ」
「コリス」
むう、と下げられた口角。祀り上げられるのを良しとしない彼女らしく、そこは不服そうに眉をひそめている。
ザイダルも険しい顔をしていた。
「うーん。盲点ではあった。コリス、お前はどう思う?」
「ありがたいけど、わたしの半分の血は長を名乗るにふさわしくないと思うの。ごめんなさい、シオンさん」
「いいえ。でも『半分』って」
「――古い、魔物の王の血だ」
「え?」
「ばっ、お前、ガルーダ! ちょい言葉選べよ!」
「……」
急に部屋が、しん、とした。
両手で前掛けを掴んだコリスがしょんぼりと俯く。
(魔物の王。コリスが? つまり……、半魔ということ??)
しかし、彼女の外見で獣人らしくないところは何処にもない。魔王と一口にいっても、いったいどの魔王なのか――
彼らは世界の秩序を作り出した神々とは同世代と言われる。ガルーダの言葉を鵜呑みにするなら、コリスは何歳になってしまうのか。
ケントウリに視線を移すと、それらはあっさり判明した。
「昔、紅蓮狐と呼ばれる魔物の王がいた。彼女は、その王が当時の祠守りの巫女を見初めたことで産まれた子だ」
「そうだったんですか……」
悪いことを聞いてしまった、と臍を噛むと、意外にもザイダルからフォローが入った。
「あー、でもな。そのお陰で代々の祠守りは歳をとらねぇ守護者を得たようなもんだったから。俺の家もそうだ。なんのかんのと面倒見てもらったよ。な?」
「そう?」
「うんうん」
「……なら、よかった」
コリスはほんのり目元を染め、はにかむように微笑んだ。
なるほど、そういう理由で……と切ない気持ちでいると、ごろりと寝そべるレオニールから急に声をかけられた。
「そなたは? シオン。そなたからは豊穣の女神の強い息吹を感じる。ずっと谷にいてもらえるとうれしいのだが」
「? それは、定住という意味ですか?」
「ちょっ!!!! おい、レオ!」
「どうどう。ザイダル」
「馬のくせに『どうどう』言ってんじゃねえぞ、ケントウリ!」
「うわあ〜。そう言われるとねぇ」
(? 何なに。なんだろう、この流れ)
気色ばむザイダル。飄々とするケントウリ。
ひたすら首を捻るシオンに、コリスはとうとう嘆息した。
それは深く、重々しいものだった。
「あのね。彼らは、『あなたが長の花嫁になれば?』と言ってるんです。どうですか? シオンさん。長をそんな風に見られますか……?」
これにて第二章を終わります。




