8 だから言うておろうが
「えっ!! 谷の北側にゴブリンが……!?」
「そうなんだ。だから、これからはあんまり一人で森に入らないでね。コリスさん」
「ううう。わかりました」
◆◇◆
館にはなんとか日暮れ前に到着した。順番に湯を使わせてもらい、さっぱりと埃を落とす。
ザイダルは先に済ませ、谷に帰ってからの日課だという祠参りへと向かった。
夕食の支度もコリスがしてくれるその間、ゆっくりと湯舟に浸かるのは申し訳ないくらいの至福だな……と目を閉じた。
(これで、当面は森歩きは無し。しばらく腰を据えてかかろう)
谷の守りを万全にするためにも、獣神がたの延命、あるいは新しい神の加護を得ることは必要不可欠なのだから。
――陶器のバスタブ。タイルの床。タオル掛けには蔓葡萄が巻き付く意匠の真鍮飾りがあったり、館は本当に何気ない部分がその辺の高級旅籠の上をゆく。
無銭宿泊の分は、ちゃんと報いないといけないな……と意識を改め、体の水分を拭き取ってから用意しておいた服に袖を通した。
法術で瞬時に髪を乾かし、ざっと梳かしていつもの形に。もはや女装よりも馴染む男物の長衣は生活の一部だ。
「ジェラルドも、おれにギルドの受付嬢の格好をさせようだなんて。よっぽど暇だったんだろうな……フフッ」
白兎のお嬢さんやコリスならともかく、あそこの制服は自分には無理だろう。可愛すぎる。そう考えるとかえって想像してしまい、余計に滑稽で笑ってしまった。
浴室を出て左手に二階への階段がある。その手前でばったり、ザイダルと鉢合わせた。
「あ」
「あ……おつかれ、ザイダル。今日は獣神様がたも一緒に夕食を?」
祠から出てきたところなのだろう。両肩に獅子神と鳥神、後ろに半人半馬神を連れている。
シオンが流した視線の終着点にいたケントウリは、長の代わりににっこりと笑顔で答えた。
「いいや。我々は本来、食事を必要としない。供物に込められた祈りで足りてるからね。今日まで君が、谷のために森中を廻ってくれたと聞いた。ありがとう」
「どういたしまして」
ほのぼのと笑み交わすと、ふわっとガルーダが翼をはためかせる。
やがて、派手派手しい南国の鳥さながらの極彩色が顔の横へ。ちゃっかり左肩に乗られてしまった。
「よう。そうしてると女ぶりが上がんじゃねえか。眼鏡、無いほうがいいんじゃねえか?」
「眼鏡……? ああ、忘れてた。お風呂に行ってたんです。だめですね。気が抜けたのかな」
あはは、と笑って誤魔化し、胸ポケットに入れたままだった丸眼鏡を装着した。
とたんに「な〜んだ」とぼやく鳥神に、「ガルーダの好みはわかりやすいです」と返す。
その一部始終を黙って見つめていたらしいザイダルに気づき、ふと視線を合わせた。
「ザイダル?」
「あ、ああ。何でもない。行こうか。二階だろう?」
「はい」
こうして見ると、ゴブリンの集団を一人で斬り尽くしたハンターには正直見えづらい。おまけに、ぺたりと濡れた髪がいっそう無防備さをかきたてている。
階段をひとつ上がり、振り返る。
手をかざし、軽く意識を集中した。
「『水よ乾け』」
「!」
“言葉”に応じ、ぶわっと生じた温風がゆるゆると動いて生え際から後れ毛へと移動する。風が消えたころには、綺麗に渇いてふわふわな熊耳と同色の髪になった。
シオンは満足げに頷く。
「よし。おれはコリスさんを手伝いたいので、先に上がってますね。ゆっくりどうぞ」
「………………おう」
そうして、仕事を終えた満足感で機嫌よく階を上がった。
だから聞こえなかったのだ。小さくとも重々しい、レオニールの声を。
「――長よ。だから言うておろうが。我々は、シオンならばそなたの妻にふさわしいと、再三認めておるのに」
〜本日の舞台裏〜
ザイダル「(小姑が四人いるみてえだ……)」
レオニール「何か?」
ザイダル「いいや、何でも」
※フライ返し片手に階段を駆け下りるコリス
「だ、れ、が、小姑ですってー!?」
ザイダル「なんで聞こえてんだよォォッ!!!!」
シオン「元気だなぁ」←二階のキッチンから




