1 なんだ。あいつ、言ってねぇの? (前)
「おーい、シオンーーーーっ」
「! はーい、ここですよーー」
頭上高く茂る枝葉。樹の根が隆起してこんもりと苔生す大地。
手つかずのわりには、ちゃんと光が差している。
澄んだ緑の木漏れ日を受けながら顔を上げ、シオンは、呼ばれた方向へと大きく声を張った。
◆◇◆
獣人の谷は別名『常春の谷』という。それほど春が長く夏は短い。冬も短い。
地図上では海から遠く離れた内陸にあり、雪冠を戴く青い峰々に挟まれている。
谷自体の海抜は低くなく、町の周辺域には豊かな森が広がっている。数え切れないほどの泉とせせらぎを抱える、おだやかな自然の楽園としても有名だ。
獣神たち曰く、彼らの加護は両方の峰よりも内側を満たしており、山肌にも森にも今までは一匹のゴブリンすら近寄らせなかった。
よって、谷に魔物が現れることはないと認識されていた。
――が、残念ながら、それは先日のキースドラゴン襲来までのこと。
幸いにも被害はゼロ。個体は迅速に討伐されて住民たちに美味しく召し上がられたとはいえ、今後も同じことが起こらないとは言えない。
谷の平和は恒久ではないと、実証されてしまったからだ。
そんな中、正体不明の祠の客分と見なされていたシオンは、帰ってきた谷長・ザイダルにより、宴の場で正式に流れの防御魔法士であると紹介された。
『昨今、各地で魔物の被害が頻発している。谷にも現れたらと、心配になってな』と、さらりと言い添えて。
それで、いま。
結果として、シオンは腕利きの魔物ハンターでもあるザイダルやジェラルドとともに森をぐるりと探索していた。およそ一ヶ月以上に渡る大仕事だ。
やがて、遠目にも軽やかにしなる尾をくねらせ、絶妙のバランス感覚でひょいひょいと巨大な樹の根や倒木を飛び越えたジェラルドが現れた。
「よ。言われた通り置いてきたぜ。あの石」
「ありがとう。魔物はいた?」
「いや、見なかったな」
「そう……良かった」
本日の“当番”はジェラルドだ。
あれから、ザイダルは何かに付けてシオンの探索に付き添ってくれていたが、なにぶん留守が長すぎた。
谷は、王国とまでは言わないまでも緩やかな自治区と見なされている。当然他国からの使者や交易目当てに他国の使者や商人が訪れることは、ままあって。
はあ、と溜め息をついたシオンは簡易的な地図を広げ、ジェラルドが担当した区域の部分に携帯ペンで印を付けた。
赤字で☓。地図の端には“知らせ石の配置図”と走り書きがある。
ひょいと長身を屈め、シオンの手元を覗き込んだジェラルドは、感心したように頷いた。
「大したもんだ。『防御魔法』って、こんなに便利だっけ」
「…………石を使う魔法は、かなり遠い砂漠の国に伝わる方法なんだ。昔、教わる機会があって」
「へ〜」
もちろん嘘である。正確には、半分が嘘。
砂漠に石を用いたご当地魔法が存在することは確かだが、特別な鉱石を精錬した珍しいものだった。
文字数が多かったので、前後編に分けました。
サブタイトルの台詞は後編にあります。
新章よろしくお願いします!




