5 危ねぇ、避けろーーーー!!
沢を背に崖を見上げていたシオンは、少しばかり危機感を募らせていた。
気のせいではなく、かち、と目が合ったキースドラゴンが突然咆哮をあげ、短い四肢を駆使して意外な大胆さを見せたからだ。すなわち。
「おいおい。ちょ、それは」
――――ズザザザッ!
バキッ! バキバキッ、ドォン!!!
木々の向こうに粉塵。いくつもの枝を派手に折り、巨体が転がり落ちた地響きが足元を伝う。
驚いたことに、ほぼ垂直の崖を滑り落ちたにも拘わらず、ドラゴンは鳴き声一つあげなかった。つまり、それは大した外傷は受けていないということ。万事休すか。
(うわ。やばいな)
魔物の放つ本能――生き物を屠りたい、という純度の高い殺気がひたりとこちらへ向けられる。
目論見通りとはいえ、当然ながら逃げ道も隠れる場所もない。せっかく遠かった距離はどんどん縮まり、あっという間に森を抜けて来た奴と対峙した。
「けっこうでかい…………、うわっ!!? 『風の壁よ、遮れ』!!」
十歩ほど先のキースドラゴンが口を開けた瞬間、背筋がぞくっとする予感にさらされ、反射で法術を行使した。案の定なぶられるような熱の余波に襲われる。炎の息だった。
風なので当然火の勢いは削げない。あげく、じりじり近寄るものだから、こちらも後退せざるを得ない。
足場はとっくに沢のごろごろとした石に変わり、立ち回りには不都合だ。かくなるうえは。
荒ぶるキースドラゴンを捕獲するための精緻なロジックを脳内に組む。順序よく“願い”を具体的なイメージに。強さと深さも。
「――『抉れよ大地。竜を転ばせるほど』」
「グアッ!?」
奴の右の前脚部分の岩場が陥没する。
だめだ、浅い。もっと深くしないと、と、更に集中した。
が、不意はつけたらしく、炎は止まったものの別の危機が高まった。激昂した竜の顔の近さからいって噛みつきか…………、噛みつきか。(※むしろそれしか思い至らない。こっちだってテンパっている)
幸い、関所の方角からは馬の嘶きと蹄の音が届くようになった。
数は多くなさそうだが、精鋭ならばそれでいい。
意を決し、賭けに出る。
(ふつう、防御魔法に地面を抉るものなんかないからな……。やるなら今。救援が来るまでに、だ)
「『大地よ、もっと深』…………へっ!? うわぁあっ!!」
いやいや待ってほしい。このキースドラゴン、機敏すぎやしないだろうか。
なんと、さっきの陥没で戦闘パターンを学んでしまったらしく、法術の気配を察して跳躍してきた。
振り上げられた前脚の先。尖った爪が鈍く光る……――!
後ろに飛び退くことで鋭い爪の一撃は回避できたが、着地に失敗した。不揃いな石に足をとられ、今度はこちらが転倒してしまう。
「痛つ……、うっ」
勝ち誇ったような竜面が迫る。のそり、のそり。
あー、次はどうやって逃げようか……。そんな考えが力なく過る。噛まれるのは痛いから勘弁だ、とも。
そこで。
耳が何か、重量のある尖ったものが飛来する際のヒュウゥゥ…………という風切り音をとらえた。
近づいてはいるものの、まだ遠そうな馬脚に首をひねる。
(?)
「おいあんた! 危ねぇ、避けろーーーー!!」
「!!!!!!」
「グッ、ギャアァァァァ!!!」
シオンは目を疑った。槍だ。それがドラゴンの胴体を貫通している。凄い精度だった。
しかも結構手の込んだ品で、そんじょそこらの番兵が持つ穂槍には見えない。どちらかといえば上位級の傭兵やハンターたちが愛用していそうな……。
「な」
「――こら、ぼーっとしてんなよ、兄ちゃん! まったく手のかかる」
「? ひゃあ!」
そうこうするうちに救援らしい一人に横合いからさらわれ、いとも簡単に片腕で腰を抱かれた。すとん、と馬上に乗せられる。
そのまま駆けて、ややあって方向転換。
後方からは体格のいいハンターたちの一群が見えた。シオンは逆光のなか、自分を助け出した大男の顔を確認し、ぽかん、と口を開けた。
「ザイダル。どうして」
「どうしてって。そりゃ、こっちの台詞だ。コリスからの知らせで慌てて戻ったんだが?」
手紙、着いてなかったか? というのほほんとした問いに、シオンは脱力した。額に手を当てて瞑目。深々と息を吐く。
「……とにかく、礼を言います。ありがとうザイダル。でも、お願いですから、もう手紙より早く帰るなんて真似はやめてください。心臓に悪いし、おまけに、何の心の準備も出来なかったじゃないですか……!」




