第95話 シューゲイザーズ(靴を見る人々)‐8
悲鳴は上がらなかった。短剣をはじく音もだ。したのは何者かが床を蹴って後ろへステップした微かな音と、壁に突き刺さった短剣の金属の震えだけだった。
マリアはその場に大量にあった剣の一本を引き抜き、アイリーンの前に躍り出た。普段帯剣している装飾付きの剣と、装飾のない剣――そして遺跡でも使って見せた一対のピッケル型の装備、雷槍――は、万が一戦いになったときに身元がバレる元になるため、持って来ていなかった。武器は短剣が何本かだけ。うち一本は今しがた投げたところだ。
アイリーンの前に庇うように出たため、すぐ襲い掛かられてもいいようにマリアは剣を構える。しかし意外なことに突然現れた闖入者は、マリアやアイリーンに攻撃しようとはせず、手の中の長剣を腰から足にかけての垂直方向に持ったまま、やや中腰に立ってこちらと相対していた。
闖入者は身長はマリアと同程度、薄い鎧をつけた若い男だった。
今は攻撃して来ていないが、友好的ということではない。マリアの投擲によって阻まれはしたがこの男は明らかにアイリーンの首を折るつもりだった。
腰に黒い塗料の塗られた剣を下げている。男は、マリアではなく、アイリーンのほうを見て尋ねた。
「誰だ? どうしてここに来た?」
アイリーンは黙っている。マリアもだ。
男がにやにやと笑う。
「おい。せっかく話そうとしてるのに、その機会を逃すっていうのか? お前らがどこから来たかは知らんが、ここを探りに来たんだろう。今のうちに話して情報を聞き出すのもありだと思うけどな。まあどうせ? ああ。どうせ殺し合いになるんだし。俺も殺す前にいろいろ聞けたらいいと思うんだ」
マリアは剣先を遊ばせ、いつでも攻勢、守勢、どちらもできるように準備している。
「騎士だな」
マリアが言った。
「ほう、なぜだ?」
男が言った。
「剣だ。剣身を黒く塗ってるが、柄は使い古されてる。傭兵上がりやそこいらのチンピラだったら、自分の剣なんてものは持たない。騎士か、道楽者の貴族かだ」
「それはちょっと偏見混じりだと思うがな。でもまあ、そうだ。俺は元騎士だ。そっちは現役――それも貴族の騎士だな」
「それは何故?」
「ナイフを投げたときに思ったんだ。品がありすぎるってね」
男がそう言って馬鹿にしたように笑う。マリアは一切笑わない。それに気が付いた男は黙り、場を静けさが支配する。
「そうだ。俺の名前を教えてやろう。俺はサビアン・カテドラル。一応、貴族だ。君らと同じ。憶えて帰る必要はないがな」
男の言葉の、最後の呼吸がされたと同時にマリアは、残った短剣の一本を投げた。突貫してきた男がそれを剣で弾き、回転しながら襲い掛かって来る。
「チッ」
マリアは舌打ちをして剣の腹でそれを受け止め、そのエネルギーが剣全体に伝わる前に横に受け流した。そしてそのまま受け流した方向へ体勢を傾け、ちょうど、互いの位置を交換した形で、もう一度相対することになる。
続いて動いたのは、マリアのほうだ。下から上へ剣を振り抜く。サビアンも先ほどのマリアと同じように受け流す。そしてマリアの頭へ蹴りを放った。マリアはそれを、片手で防御するが、威力に耐え切れず、体勢を崩して一歩下がった。
そこを隙と見たサビアンは剣をマリアの方目掛け振り下ろす。そのまま行けば、サビアンはマリアを袈裟切りにする。潜入という今回の性質上、金属鎧はない。いちおう、皮の鎧を中に着ているが、小ぶりのナイフぐらいしか防げない代物だ。このままでは殺されてしまう。
マリアは剣を持った手ではこの攻撃を防ぐ時間がないと判断し、咄嗟に剣を持っていない手を攻撃の軌道上に置いた。刃を腕で受け止める。しかし、想像されるような出血もダメージもない。
「手甲か。そこだけ金属を用意したな」
男が吐き捨てるように言う。マリアは足の位置を変えて姿勢のバランスを保ち、剣を振るった。
互いの武器と武器がぶつかり合い、どちらも剣を取り落とした。サビアンは剣を弾かれ、マリアの武器は衝突の瞬間に、柄から嫌な音が聞こえたためだった。武器を失った二人は衣服を掴み合い、もみ合いになる。




