第88話 第三幕 シューゲイザーズ(靴を見る人々)
自治会の部屋にはすでに彼の騎士が待機していた。一人薄暗い部屋で待っていたというのにどこにも座っておらず、恐らくシャルル王子が座るのだろう最奥の椅子のうしろに馬鹿みたいに突っ立っていた。「エドマンド、資料を」シャルル王子が言う。彼の認識では、エドマンドの《《これ》》は態々言及するほどのものでもないらしい。アイリーンの背中の後ろに立って彼女の入室を待ちながら、マリアは思った。
「さて、続きといこう」
エドマンドから渡された資料を机に並べ、それぞれ椅子に腰を下ろした。言うに及ばず、最奥の椅子に一人と、その対角線上、入口から見て左側の椅子にアイリーンが座り、その後ろにクレアが立つ。まだ見慣れない。セオリーならマリアはシャルルの正面に座るべきだったが、彼女はアイリーンの向かいの椅子を引いて腰を下ろした。
資料の前に、魔導照明が置かれる。四角い形で真ん中にプリズムが円状に並べられており、そこから灯りが出ていた。
資料は古代遺跡のことから、”予言の民”のこと、そしてエリザベートの父親のこと――シャルル王子が言及していた事柄もあれば、そうでないものもある。マリアが今知りたいこともいくらか……。
「それで? どういう流れにのって、最後はどこに行きつく予定なんです?」
マリアが柏手をして、会話を始めるよう促す。エドマンドが彼女を諫める視線を送り、それに構わずシャルル王子が頷く。
「この計画の始まりは、戦争の前だ」
シャルル王子が話し始める。
「数年前のカダルーバとの戦争――あれば今思えば、不自然だった。理由がわからなかった。昔から好戦的だし、外交では互いの価値観の違いからよく衝突していた。君ならわかるんじゃないか? 同性愛の扱いも例にあげられる。カダルーバでは同性愛は法で禁じられているからね。彼らはロマーニアスには菌床があると――そう言っていた。だから気づかなかったんだ。攻め込んでくる理由がないことに。
もちろん、対外的な理由はあった――カダルーバ貴族がこちらの土地で虐殺された事件――あれを切っ掛けにしている。だけどこんなのは、この大陸の歴史を鑑みれば、いくらでも理由にされてきた。不当な開戦の常套句だ。
僕らはそれを信じてはいなかった。けれども、これを単純な侵略戦争と考えていたのは、大きな間違いだった」
「目的があったと?」
「――そう。それこそ、古代遺跡だよ」
シャルル王子が資料をマリアの前に差し出す。それはエリザベートと足を踏み入れたあの遺跡に関する資料だ。
不審な点はない――出土記録、雇われた業者、責任者、かかった予算など、見た目は奇麗だ。
「この古代遺跡は、マルカイツ侯爵が辺境伯に変わって責任者となっている。これは珍しいことだ――発掘者にインセンティブがあることを考えれば、その権利を放棄するようなものだから――でもそもそもその予算がなかったとすれば、納得は出来る。問題はこの遺跡はいつ発掘されたのかだ。遺跡の発掘について、知識は?」
マリアが資料を片手に、唇を尖らせ肩をすくめて首を横に振る。
「遺跡は普通、森のずっと奥でほんの少しだけ地表に顔を見せているか、地下にずっと埋まっているかのどちらかなんだ。地上に出ている遺跡は探検家や冒険家が発見して国に報告することが多い。去年も三件ぐらいあったかな。神代以後の新しめの遺跡が二つと、古代遺跡が一つ。対して地下に埋まっている遺跡は? これは偶発的に発見する他ない。採石場や採掘施設が見つけるんだ。でもこのメウネケスの遺跡は、そのどちらでもない。遺跡が見つかったのはディミオン近郊で、確かにここは鉱石の採掘が盛んにおこなわれている。それならつじつまが合う、そう思うだろう? でもね、ここに採掘施設があったという記録はないんだ」
「そんな馬鹿な。確かに見ましたよ」
遺跡の周りには調査目的の道具のほかに、ずっと放置されているとおもわれる鉄鉱石の山が積まれている荷車があったのを、マリアは憶えていた。
「周辺の採掘視線の分布と照らし合わせてみたから、間違いない。そもそも戦前、あそこは森だった。戦後、突然開いた土地になったんだ。そんなこと、ありえない。ただ一つの可能性を除いて」
シャルルが語り、続く言葉をマリアが継いだ。
「……戦時中に掘られたってことですか?」
「事実を照らし合わせれば、そうなる。そして僕はこれこそ彼らの目的だったのではないかと思う」
彼ら、とはカダルーバのことだ。
シャルルが言う。マリアは驚く。そして、同時に納得もした。カダルーバ絡みだとすればフェリックス王が慎重になるのもわかる。下手に追求すれば、また戦争になる可能性もある。前はなんとか撃退したが、兵力ではカダルーバはロマーニアスよりも勝っている。次も上手くいくとは、戦場を知っている身としては簡単に言えなかった。
そしてここで、一つの疑問が浮かんだ。
「さっき、”予言の民”のバックにいる連中がわからないとおっしゃっていましたよね? 流れからすればカダルーバが後ろにいると見ていいのでは?」
シャルル王子が返答する。
「君の言うとおりだ。”予言の民”の大本にはカダルーバが関わっていると僕は見ている。でも中間にもう一人、誰かがいると思うんだ」
「根拠はあるんですか?」
「ある。”予言の民”はカルトだけど、信仰はこの国の宗教が母体なんだ。彼らからすればカダルーバは教会以上の異端なんだよ。だからカダルーバの人たちに従うとは思えないんだ。少し弱いけど、筋は通る」
エドマンドが言葉を継いだ。
「目下、一番の候補がマルカイツ侯爵なんだ。遺跡の責任者とくれば、当然の疑いだろう。お前、なにか見たり聞いたりしていないのか?」
マリアは思い返していた。そして、確信をもって言う。
「実のところ会ったこともない。お嬢さまが会いに行った時も私は病院に行っていたから、同席していなかった」
「お嬢さまを一人であの男と会わせたのですか?」
マリアの言葉を聞いたクレアが、辛抱たまらずといった調子で割って入る。
「あの男?」
マリアが怪訝な声で繰り返す。
「なにか不味いのか?」
クレアがハッとして、一歩、後ろに下がる。元の位置に戻った形だ。恥じ入るように俯き、しかしメード服の生地を握る拳からは、苦悩が見て取れた。
「その話は、後だ」
シャルルが話を引き戻した。
「とにかく、彼らの目的は遺跡にある古代の遺物だろう。調べてみると今、大陸のあちこちで古代遺跡の盗掘が起っている。中には君たちが見たという”マンティス”と思しき長手の怪物の目撃証言もあった」
マリアはクレアをじっと見ていたが、やがて眼を離し、シャルルに向き直る。
「見た、というか襲われたのが正しい。ゴーレムに襲わせたが、ぴんぴんしているようだ……」マリアが皮肉っぽく笑った。「それで、なにかな? ここまでの話を総合すると、敵は古代の遺物を使ってクーデターを企てていると?」
「そこが一番の疑問だな」シャルル王子が認める。マンティスやあの鎧男の持っていたハンマーのような強力な遺物はそう出土するものではない。少し役立つようなものがあっても、国を転覆させるようなものはまず見つからない。そんなものにかけるところがカルトらしいと言えば、それらしくはなるかもしれないが。「でも僕はだから心配なんだ。彼らはどうも、ある種の確信を持って遺跡を襲っているような気がする。まるでなにかあるとわかっているかのような……」
「どういう意味です?」
「そのままの意味さ。彼らはいくらかの遺跡を襲ったが、逆に言えばいくらかしか襲っていない。最小限、そこにあるものを求めているかのようだ」
マリアは遺跡での彼らの会話を思い出した。確かに彼らは、あの遺跡に目的を持って来ていた。それがなんなのかは、わからないが。
「その点についても調べておく。わからないことをここで考え続けても、仕方がないからね。とにかく君にやって欲しいことは、第一にはマルカイツ侯爵に関することだ。もしかすると、強硬な手段に出ることもあるかもしれない。その時に、犠牲を出さないよう、手伝いをして欲しい」
「家の中に手引きをしろと? それはどうかと。まだ私が自分でやったほうがマシだ」
「それならそれでもいい。むしろ助かる……。それからあとは、時々でいいから、僕らがついていられないときに、アイリーンを守ってやって欲しい。もちろん、エリザベートのことも気にしてやって欲しい。彼女の味方は、君だけだ」
マリアはもうその点について、反応もしなかった。
そこまで話したところで、シャルル王子は解散を宣言した。時間ももう遅くなっている。マリアはアイリーンと二三言葉を交わすと、彼女に許可を取り、その場を去ろうとしていたクレアを呼び止め、デートに誘った。




