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巻き戻り令嬢のやり直し~わたしは反省など致しません!~  作者: 柏木祥子
三章 魔術師の演出のもとにロマーニアス王国民並びにカルト教団によって演じられたエリザベート・デ・マルカイツの迫害と暗殺
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第86話 とても普通のことです。-7

 手抜きはしなかった。しかし手加減はした。もしどちらも本気だったなら、マリアの一撃でハンスの鎖骨は砕け、二度と剣を握れなかっただろう。


 マリアはハンスの騎士人生には、さしたる興味もない。胸糞は悪いが、ここであからさまに手を抜いてエリザベートに感づかれるリスクを冒す気はない。もちろん、反撃のチャンスを与えたわけでもなかった。ただひたすらに、長引かせようとしただけだ。


 マリア・ペローはそれを成し遂げた。ハンス・アーレントがこの数週間でどんな成長をしようと、今のマリアが相手では、一矢を報いることもできない。痛む肩を庇いながらでは、なおさらだ。ハンスの動きをマリアは完全に読み切っていたし、明かしている手の内はもちろん、ハンスが読まれていないと考えている手の内も全て対応して見せた。


 数分の間、打ち合いが続いた。マリアは肩を強く突いたあとは、ひたすらハンスの攻撃をいなし、片方の足だけを執拗に木剣で打った。痛みだけでなく、屈辱も与えるやり方だ。オーディエンスははじめこそ、無視するか、せいぜい野次を飛ばすかぐらいの反応しか見せなかったが、二分を過ぎたころにはみな、この決闘とも、もちろん訓練とも言えない見世物から目が離せなくなっていた。


 マリアはいつもの皮肉っぽさからは考えられないほど集中し、そして冷酷だった。ハンスは彼女の本気で、一切の容赦もない攻撃をいなすこともできない。足を引きずり、肩をかばい、訓練場をぐるぐると回って彼女から逃げる――それを続けるだけだ。


 そして――数分が経つと、心を奪われていたはずのオーディエンスたち――彼らがこの見世物の評価を吐き捨て、変わらない光景や状況に”飽きた”ころ、マリアは満身創痍のハンスの、もう一方の足をこれまでで最も強い打撃で崩し、その場に転ばせた。


 自分の足首を目掛けて振るわれた木剣を軽く弾くと、木剣の腹を足で抑えつけ、持ち手を蹴って離させた。肩を蹴って仰向けに寝かせると、首を二度、軽く剣先で撫でた。それで終わりだった。マリアはハンスの木剣を拾って自分のものと一緒に元の位置へ戻すと、エリザベートのほうへ歩き出した。


 彼女は戦っている間、一度もエリザベートのほうを見なかった。歩いている時も同じだった。彼女が眼の前に立つと、エリザベートは「いいわ」と言って踵を返した。マリアはその背を見送り、歯ぎしりをしながら倒れたままのハンスを振り返った。


 実はこのイベントは、遡行前にもあった。その時もエリザベートは、おのれのお付きの騎士であるマーヴィン・トゥーランドットにハンス・アーレントを立てなくなるぐらい痛めつけるよう命じたのだ。


 マーヴィン・トゥーランドットはハンス・アーレントに勝利した。しかし、彼に恥はかかせなかった。時間をかけ、ここ数週間で教えたことを実践させ、最後には一太刀いれさせかける度量さえ見せた。


 この違いは、マリアとマーヴィンと指導者としての適性もあろう。エリザベートに対してどう考えていたかということでもある。マーヴィン・トゥーランドットという人間は、職務に対してどこまでもドライだった。ドライだったからこそ、エリザベートの行動を自分のやり方で受け入れ、結果的にエリザベートの思い通りにはさせなかった。


 何故自分が遡行前に上手くいかなかったことを繰り返したのか、その理由はエリザベートにも分からなかっただろう。


 マリアが自分の言うとおりにしたことについても、判断を下せていたとは言い難い。


 エリザベートは騎士舎から離れていくにつれ、頭を支配していた熱が引いていくのを感じた。浜辺にあった不安感は、その波とともに少なくなったが、まだそこにあり、再び累積する兆しを見せていた。


                 ▽


(以前にもこういうことはあった)


 マリア・ペローは自分にそう言い聞かせた。戦争の頃を思い出していた。


(以前にも、こういうことはあった。私が他人を犠牲にしなくてはならなかった瞬間、誰かを見殺しにしなければならなかった瞬間、死屍累々のなかで勝利のラッパを聞いた瞬間だ……)


 深夜、学院の庭でのことだった。マリアは甲冑を着て、学院の庭に設置されたベンチに腰を下ろしていた。


(私のやりたかったことがこれか? どうだろうな。あのお嬢さまの助けになってやりたいとは思っているはずだが、どうだ? 今の私はそれを曇らせてやしないか?)


 マリア・ペローは金属に覆われた指で側頭部をこつこつと叩いた。邪悪な考えを頭から追い出すようにだ。ここまで来てエリザベートを見放す考えを少しでも持つことは、ひどく偽善的で、傲慢な行いだと自分を責めた。


 ハンスは医務室へ運ばれた。動けないことはないだろうが、トラウマを植え付けられてもおかしくはない。


 自分はそういうことをやったのだ。自己陶酔なんぞでそれを覆い隠すなど、恥知らずのやることだ。


「そう、思ってるんだけどな」


「なにをどう思ってるの?」


「なんでもない」マリアはベンチを振り返って、アイリーンを見やった。彼女はいつものそばかすの散った愛らし気な顔立ちに、ほんの少しだけ陰を挿し込ませていた。「何故いる? いや……なぜ私に話しかけようと思った?」


 自分はエリザベートの味方でい続けようと、改めて決意していた矢先だ。もはやエリザベートが言っていたように、アイリーンがこれを計っているとも思える。だが違うだろう。この娘は《《ひどくタイミングがいい》》のだ。非科学的でも、非魔術的でもあるが、そういう人間はいる。天才的なタイミングで天才的な効果を発揮させる、一種のカリスマのようなものを持った存在は。


「ああ、ごめんなさい。声をどうかけたら、あなたが振り向いてくれるかわからなかったものだから」


「謝らないよ。今回のことは」マリアが言う。


「ええ、そうでしょうね」アイリーンが静かに、悲し気に言う。


 アイリーンはマリアの隣に腰を下ろした。マリアはそれを拒否しなかった。それはもう、そういう意味だろう。さもありなん。だが、マリアは意図してエリザベートを裏切ろうとは少しも思わない。むしろ彼女に魅力があるからこそ、エリザベートの傍にいようとさえ思う――彼女は天邪鬼なのだ。


「勘違いしないで欲しいけど、私、怒っていないわけではないの。あなたがああいうことをしたことだけじゃないわ。マルカイツさんがやっていることもずっと。でも、怒りの表現の仕方って、難しい……私、あまり怒ったことがなかったから。でもね、今回は、怒れると思ったわ。あなたに決闘を申し込もうと思ってた。勝つ算段だってあったのよ? でもね、医務室についたときハンスが言ったの。”このことでマリアと距離は取らないで欲しい”ってね」


「そんなことを?」


「どういう意図かは、わからないけど。でもやられた本人がそういうから、私は怒りの矛先を納めるしかない。でもだからといって、赦そうとも思わない。でしょ? だったあなたは謝らないし、その気もないんだから」


「嫌いたいなら、どうとでも。私は気にしませんよ」


 そう言うと、アイリーンは”ぐっ”と言葉を詰まらせた。


「……実を言うと、あなたのこと、嫌いではないわ。今でも。わからない……はっきりとその光景を見ていないからかもしれない。愛想がよくて、ウィットがあって、私達に関わってくれたあなた以外知らないからもしれない。いいえ、恐らくは、ハンスが庇ったのは理由の一つでしょう。でも、それ以外にもある。あなたとまだ関わりたい」


「それで、なにが言いたいんです?」


「一度だけでいい。私の味方でいて」


「はい?」


 マリアの心は平静だった。それは、自分がたとえなにを言われても、アイリーンの側に着くことはない――そう確信しているからだった。


 その時まで、揺らぎは少しもない。


 「それはどういう意味です?」マリアはそう言いかけ、背後に人の気配を感じて振り返った。暗がりのなかに、人影があり、こちらへ歩いてきていた。中庭に灯っていた小さな明かりのもと、その人物の顔がくっきりと映ると、マリアは驚愕した。


 クレア・ハーストだ。エリザベートの前の”お付きのメード”であり、遺跡に出発してから帰ってくるまでの間に忽然と姿を消した――あんな手紙を残してどこかに行ったメードが、目の前にいる!


 あの青い瞳と、麦色の髪……マルカイツ家とは装いは違うが、使用人の服装である。なにより、深い思索を感じさせる顔立ちが、その認識を確信まで持っていった。


 マリアは驚いて口をぱくぱくとさせたまま、動けなかった。クレアはマリアを見て、瞳を揺らした。なにか言いたげに。


 あるだろう。いくらでも話すことがあるはずだ。言うべきことも。だが互いにそれを失している。互いの負い目がそうさせていた。エリザベートを未だにどうすればよいかわかりきっていない――その負い目が互いに共通している。


 クレア・ハーストは結局、マリアにはなにも言わず、アイリーンに向き直った。そして、要件を伝えた。


「お嬢さま。来られました」


 マリアはもう一人、暗がりから歩いて来るのに気が付いた。


「アイリーン。僕から話そう」


 マリアは再び驚いた。と、同時に今度は笑い出しそうになった。「どんなカルマだ」と思ったからだ。カルマなどという言葉を使いたくなったのは久しぶりのことだった。


 マリアは立ち上がって、わざとらしくお辞儀をした。


「マリア。君に話しておかないといけないことがあるんだ」


 シャルル・フュルスト・ロマーニアン。ロマーニアス王国第三王子にしてエリザベートの婚約者が、そこに立っていた。

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