第82話 とても普通のことです。-3
シャルルはアドニスに先に小会議室にいて欲しいと頼み、騎士二人に案内をさせた。エリザベートは三人とすれ違いざまに軽く会釈すると、シャルルの前に立った。
「ごきげんよう。シャルル様」
「ごきげんよう。エリザベート。どうしたんです? パーティは退屈でしたか?」
「いいえ! そんなことは勿論ありません! ただシャルル様と学院に入ってからあまり話す機会がないものですから……私は寂しさのあまり死んでしまいそうですわ!」
「そうか……でも……」困ったように眉を下げるシャルル。「僕は懇親会の来賓方をもてなさないといけないんだ……どうにかこの後に時間を取るから、会場に戻ってはくれないかい?」
「ええ、もちろん! 邪魔をするつもりはありません。ただ邪魔をしないのであれば、ここにいてもいいでしょう?」
エリザベートは懇願するかのようにそう口にした。シャルルは婚約者に対してどう返答すべきか考えた。いつも――特に最近は、周りに横柄な態度をとって暴れまわっている婚約者に対して。
好意がない、わけではない。今、シャルルの目の前にいるエリザベートがそうであるように、彼女にはいつも余裕がないのだ。懇願は正真正銘の懇願であり、周りに当たるときは、やはり必死になってあたるのである。
そういう面を、愛おしく思うこともある。何事にも必死であるというのは、美徳と言えなくもない。しかし多くの場合、彼女が必死であるというのは、ただ悪辣な人間の蛮行のようにただ諫めてしまえばいいという問題ではないという、理解にややこしく、解決に多層の構造を孕んでいる。
返事をしないシャルルに不安を覚えたのか、エリザベートが裾をぎゅっと握りしめ、小さな雫が現れそうなほど湿った眼で彼を見上げた。
「ねえ、シャルル様? 私のことがお好きですか……?」
シャルルは驚いた。時間が翻って、質問がやってきたのかと錯覚した。やはり彼は、返事に窮する他なかった。どう、好意を伝えるか、そもそも伝えるべきなのか、悩ましいところだ。
彼女とはいずれ、話をしないといけないとシャルルは考えていた。学院でのことだけではない。彼女の父親のこと、古代遺跡のこと、この国で起こっている問題全てだ。
エリザベートの問題はその中では、比較的時間の余裕がある。彼はせめて今を取り繕うと、口を開いた。壁向こうの生徒たちの喧騒とは別に、小会議室のほうからシャビエル司教の怒気を孕んだ声を聞くまでは、そうしようと思っていた。
シャルルはぱっと顔を上げ、行かないと、と言った。
「ごめん、エリザベート、話はまた後で! 会場で話そう!」
「あっ」
シャルルが行ってしまう。そうなればエリザベートに止める術はない。涙を呑んでシャルル王子の背中を見送り、会場へ帰るか――そう考えたところで、エリザベートは《《くらり》》と視界が明滅し、体が《《ぐにゃり》》と曲がるのを感じた。
▽
「この男をここから追い出しなさい! さもなければ……」
シャビエル司教はシャルルが現れたのを見て、アドニスを指して要求した。
保守派の教会は急進的なフェリックス王の政策の象徴とも言えるアドニス・ケインズを毛嫌いしているのだ。話では教会の内部では現王の指は一つ欠けているとせせら笑っているらしい。内部で笑うことはできても、こうして外にいれば醜悪に顔を曲げ、その本性を露呈させるのだ。
「さもないと、どうなさりますか?」
シャルル王子は一歩も引かなかった。気迫に押されたシャビエル司教は黙りかけるが、理は自分にあるとばかりに立場を変えず、王国の未来を嘆くそぶりさえ見せる。
「シャルル王子、これは甚だしい教会軽視だ。教会としてこの男を即刻退去を要求する! だいたいなぜそもそもこの場に呼んだ!」
「ケインズ氏は正当な学院の出資者の一人です。それに王の指であらせられる。学院の生徒たちも彼から学ぶことは多いはずだ。もちろんあなたから学ぶことも……あるだろうが」
「なにを、貴様……!」
皮肉が伝わったか、シャビエル司教が言い逃れできないほどの失言を犯しかけたとき、小会議室の椅子に座っていたアドニスが立ち上がって間に入った。
「まあまあ。こんな場でなにを巡って言い争いをするというのです。そもそも主役は我々でなく、生徒だ。スピーチの順番や、誰が同時にスピーチをするかなどで、どうして揉めなくてはいけないのですか。この国の宗教は寛容を説いていたはず。そうでしょう」
「お前と話すことなどない! 平民上りがどう取り入ったかは知らないが、まかり間違っても子供に向けてスピーチをするなどと! 毒の思想をばらまいてこの国を腐らせる! どうしてわからないのです! この男がいるのなら私はスピーチなどしない!」
シャルル王子が口を開こうとしたところを、アドニスがそっと制止した。
「帰ると言うなら、ご勝手に。代わりに私が二つ話を出来ましょう」
「いや、一つと半分だ」
今の今まで小会議室の端で黙ってじっと座っていた貴族が口を挟んだ。場に奇妙な沈黙が流れる。
「一つと半分」アドニスは肯定した。「どうされますか?」
シャビエル司教が口をわなわなと言わせ、悔しそうに歯噛みした。ここにとどまればアドニスの思惑にはまるのがわかっていたからだ。だが、教会としてスピーチもせずに帰ることもできない。みじめなままここに座っているしかないと気付いたシャビエル司教は、椅子に音を立てて座りなおすと、近くに立っていた部下に荒々しい声で飲み物を会場から持ってくるよう命じた。
アドニスは王子を振り返った。
「お気持ちはわかりますが、いけません。対立をあおるようなことをあなたが口にしてはいけない。教会は以前ほどではありませんが、まだ力がある。表立って立ち向かうのは、まだ時期ではない」
シャルル王子は頭を下げた。
「おっしゃるとおりだ。申し訳ありません。あなたにも、お飲み物をお持ちしましょうか」
アドニスが顔を綻ばせた。
「いや、けっこう。スピーチの前に水を飲むとなぜか咳が止まらなくなるのだ。ふつうは乾いているほうがよくないはずなのだが。逆でね」
二人は談笑した。




