第81話 とても普通のことです-2
遠くの赤い色をした三角のケーキや、アーモンドのフロランタンが積まれたテーブルの傍に、空になったお盆を片手に突っ立っているコンスタンスと、隣には恐らくどんなに距離が離れていようと判別できるであろう、巨体に童顔の騎士――エドモンド・リーヴァーの姿があった。
コンスタンスは給仕のためにここに来ているのだとして――持っていたお盆が空になったので戻ろうとしたところを、エドモンドに捕まったらしい。聞こえの悪い言い方だが残念ながら事実だ。エドモンドは頑張って身振り手振りも加えてなにか話しているが、コンスタンスは仕事をしない口実で一緒にいるだけで、お盆を持っているほうの二の腕のあたりを先ほどからしきりに摩っている。退屈なのだろう。いろいろな形に装飾されたフルーツ・タワーの載った丸テーブルの近くに立っていたマリアを見つけ、ぴっと背筋が整った。「コンスタンス。仕事か?」「うん。そう」貴族としての位階も同じマリアとコンスタンスは、二人でいるときは砕けた話し方をしている。(マリアがそうしていいと言い、コンスタンスが受け入れた形であるので、上下関係はともかく尊敬被尊敬の関係ではある)。
エドモンドが露骨に気落ちして肩の上まであげて彼女の興味を惹こうとしていた腕を下げて、マリアのほうに向きなおる。
「ペロー」
「リーヴァー」
まったく親しくない二人は、この程度だ。
「お嬢さまは?」
コンスタンスが言った。
「お嬢さまは会場の裏だ。シャルル王子に会いに行った。それから城のお偉方にも」
「お前は付いて行かなかったのか?」
エドモンドが尋ねる。他意はないようで、眼が少年のようにくりくりしていた。
マリアにとって男女関係なく、あまり好みの眼ではない。
「私は多方に好かれる人間じゃないし……そっちはどうした? お前こそ王子様についていなくていいのか?」
「おい。殿下をそんな風に言うのはやめろ。不敬だぞ」
口調は柔らかかったが、冗談ではなかった。マリアは軽く仕草で謝って、所在なさげにして背筋が曲がっていたコンスタンスの背を撫でてしっかりと立たせた。
「それで? どうしてだ。なにか瑕疵でもあるのか?」
エドマンドはマリアではなく、コンスタンスを見ている。
「そんなものはない。ただその……俺がいると部屋が狭苦しくなると……そのように仰られる方がいたんだ」
「はん。随分気を使った言い方だな。教会のやつか?」
エドマンドは答えなかった。ゴシップの種にはなりたくなかったからだ。マリアのことをあまり信用していなかったし、コンスタンスの前で人の悪口を言いたくなかった。
「構えるなよ。多分同じ奴だと思っただけさ」
マリアは傍を通ったメードのお盆からフルートグラスを取ったが、匂いを嗅いだだけで飲まずにそのまま持った。フロランタンに手を伸ばし、口に運ぶ。唇で食むと、掌を手酌のようにしてぱりぱりと控えめな音をたてて食べた。
食べ終わるとマリアは掌に落ちたくずを叩いて下に落とし、飲み物を一口飲む。何故だかコンスタンスとエドマンドの二人はその一部始終を見ていた。コンスタンスは自分もマリアと同じようにしたかったが、給仕で入っている手前、そうするわけにはいかないと珍しく自制をきかせている。
エドマンドは単純に、この場から離れるタイミングを失ったようだ。コンスタンスともっと話をしたかったが、マリアに自分がアプローチをかけているところをみられるのはプライドに障る。
結局、コンスタンスが給仕の仕事に戻ったことで、エドマンドもマリアに一言残してその場を去った。マリアはフルートグラスを片手に、どこに行くか頭の中で決めた。曖昧にふらりと足を動かしたとき、どこに向かってしまうのかを恐れていた。
▽
マリアと別れたエリザベートは会場を横ぎり、奥の扉から廊下へ出た。料理などが運ばれてくるのとは別の通路で、少し薄暗い。ただ警備の騎士はいた。入らないようにとエリザベートに注意しようとしたものの、彼女が何者か知るとその場で固まって動かなくなった。動き出したかは、神のみぞ知る。彼女はそんなものに構わずさっさと赤い絨毯の敷かれ、等間隔にカーテンの閉じた窓のある廊下を歩いた。
▽
そのころシャルルは、丁度、ホールの裏手で要人たちを迎えたところだった。
カンテラをぶら下げた馬車が暗がりの道を通ってやってくる。三つ、連なってやってきた馬車がホール裏手のアーチ状の門の前に止まった。シャルルは両隣に騎士を置いていた。一人はジョン・ミューラーという、王城で指南役をしている騎士で、もう一人はエイドリアン・ブラックウォーターという、これまた有望と目されている騎士だった。
シャルルの騎士はエドモンド・リーヴァーである。それは周知の事実だ。エドマンドはシャルルの忠実な騎士であり、同時によき友人でもある。
そんな彼をこの場で外さなければならなかった理由が、初めに馬車から降りてくる。
「もっとゆっくり止めないか! まったく……」
大げさな白い法衣を身に纏った老人が、同じく白い法衣の若い男に支えられる形で降りてくる。老人は途中までその手助けに従っていたが、シャルル王子の姿を認めると、まるでそれがとんでもない失態であるかのように若い男が支えていた手を跳ねのけ、砂利の上にまっすぐ立った。
「申し訳ありません。このような時間にお呼びたてしてしまい……懇親会はもう始まっております。準備ができましたら、一言頂ければと思います」
「それはもう、喜んでさせていただきます」
エドガー・シャビエル司教。数年前までは大司教として教会を纏めていた人物である。最近は教会の別派閥にその座を追われたものの、いまだに根強い権力を持っている。国民を第一とし、貴族の利権とともに教会からもその権力を削ぎ落しているフェリックス王に対し、シャビエル司教は旧態依然とした保守派の典型例と言える。今回は教会との関係を少しでもよくしようと考えて懇親会でスピーチをしてもらおうと招待したが、案の定、いくつかの条件を付けてきた。――自分のことは殿下自らが招待すること、スピーチの内容を一任すること、そしてフェリックス王の教会軽視へのつまらない意趣返しのつもりか、シャルル王子にエドマンドを出迎えから外すよう迫った。まったく、くだらない。しかし、シャルル王子は内心穏やかではなかった。婚約者であるエリザベートと違い普段あまり怒りの感情を表には出さないが、この要求をきいたときは、少し気分がそばたった。エリザベートについてシャルルも話を聞いていた。古代遺跡のことや、他にも最近は色々な悩みが尽きない。それらに気を揉んでいたこともあって、シャビエル司教の言葉を余裕をもって受け止められなかったのである。
シャビエル司教が若い司祭とともにホールの階段を上る。二番目の馬車から学院に出資した貴族が降りてきた。いかにも貴族らしい豪華な服装で、まるで市民に寄り添ったようなことを言うが、本当は自分の立場が脅かされやしないかと思っている。下手に出て探りを入れようとしている。こちらも典型的な貴族だ。シャルルに軽い挨拶をし、ホールへ上がっていった。
三番目、最後の馬車から降りて来たのは、シャビエル司教とも、二番目の貴族とも違った人物だった。
アドニス・ケインズ。王位が現在のフェリックス王に移ってからはじめて平民から抜擢された”王の指”の一人だ。学院が現在の形になるまでずっと関わり続けた人物でもある。
シャルル王子はほっと胸をなでおろした。あの二人だけが招待客だったらと思うと、気分が沈んだ。
「殿下。お疲れですかな?」
どうやらそれが顔に出ていたらしい。杖を突き、スーツにネクタイを締めたアドニスが穏やかにシャルルへ声をかける。
「ああ、いえ……失礼をお詫び申し上げます。こちらです。ケインズさん」
招待客が全員到着したため、アドニスとともにホールへ戻ろうとするシャルル。この後はいったん、全員をホールの会議室で待機してもらい、用意が出来次第会場に出て行ってもらう予定である。
シャルルとアドニスは、やや斜めながら、横並びになって立った。
「殿下はこの国の未来に必要なお人です。どうかご養生ください」
アドニスが言う。憂いが顔に浮かんでいる。
「本当に申し訳ありません。招待した立場でありながら、このような姿を見せて……」
「いえ、いえ、それは私がいやらしいほど、目ざといだけでございます故。殿下にはなんの瑕疵もありませんとも」
「そう言っていただけると、こちらもありがたい。個人的にあなたが学院の生徒たちにどんなスピーチをなさるのか、楽しみにしております。自分のような立場としてはあまり褒められた態度ではないかもしれませんが」
シャルルがはにかんで言った。アドニスは愉快そうに、しかし控えめに笑った。
「おやおや、では原稿を見直すのに、時間が必要かもしれませんね」
シャルルは心が落ち着くのを感じた。ホールの廊下を歩いていると、会場の喧騒が壁越しにでも伝わってきた。そしてシャルルは正面から、婚約者であるエリザベートが歩いてきているのに気が付いた。




