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巻き戻り令嬢のやり直し~わたしは反省など致しません!~  作者: 柏木祥子
三章 魔術師の演出のもとにロマーニアス王国民並びにカルト教団によって演じられたエリザベート・デ・マルカイツの迫害と暗殺
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第78話 架空の狂気-7 (エリザベート)

 かつてエリザベートは、エグザミンに自分から話をしたことがあった。エグザミンの治療は当世では珍しい投薬治療だ。会話する必要がないことが売りの一つであり、だからこそエリザベートは大人しく治療などというものを受け入れていた。


 にもかかわらず、いつものように椅子に座らされたエリザベートは、薬を飲んだ後で、うとうととしながら、口から出るままに、喋り出した。


「時々、嫌いだとか憎いだとかそういう気持ちを出すことに、すごく疲れている気がする。なんでこんなことをしているのかと思う。私は誰かを嫌いたいわけでもなければ、憎みたいわけでもないのに。それで、それなら嫌いだと感じてるもの、憎いと感じてるものを受け入れてしまおうと考える。そうすると、嫌いだとか憎いだとかそういう気持ちがまた沸いてくる。そういうマイナスのエネルギーに自分が妥協を迫られてるっていうのが、まったく気に入らないんだと思う」


「嫌悪も憎しみも、重要な感情ですよ」


 エグザミンが言う。手に白いカンバスのようなものを数枚持っている。


「それらを感じることはとても重要だ――浮き沈みがなければ、我々は自分がどこにいるのかもわからない。世界は凹凸と穴とでできているのです。それはさておき――今は、どうです? 憎しみを感じますか?」


「なにに?」


「例えば、こんなものに」


 エグザミンがこちらへ見せたのは、アイリーン・ダルタニャンの姿絵だった。黒い髪から撫で気味の肩、細い鼻梁と頬に散った細かいそばかすまでもが再現されたその絵。まるで生きているかのように、エリザベートの前に現れる。


「ストレスを感じていますね」


 エグザミンが絵で自分の顔を隠しながら、エリザベートの内情をそう評価する。


「先ほどの話ですが、負の感情を感じること自体は、健全ですが、それを正しく発散できなければ問題が起きます。私の薬はあなたの感情を消し去ることができますが、それでもやはり、ストレッサーは潰しておいて損はありません。こうやって」


 エグザミンはアイリーンの絵をぐにゃぐにゃに曲げた後、横に引き裂いた。エリザベートは姿絵が悲鳴をあげて消えるのを、その耳で聞いた。眠気が最高潮に達し、意識を手放そうとする中、姿絵の悲鳴は、エリザベートの中で反響し続けていた。


 エリザベートの耳に、再びアイリーン・ダルタニャンの話題が飛び込み始めている。300人以上の新入生の中にいる、木っ端の男爵令嬢の娘ごときが、どうして学院で有名になったか。エリザベートはよく()()()()()


 アイリーン・ダルタニャンの武勇伝は、入学式から始まっていた。彼女は上級生の伯爵令息が、失態を犯した取り巻きに対し廊下であまりにひどく責め立てているのを見て割って入り、反対に長い説教をした。令息ははじめこそ生意気な男爵令嬢に言い返そうとしてはいたものの、彼女の雄弁かつクリティカルな語りに負け、ものの十秒で形成は圧倒的に不利な状況になっていた。


 アクシデントはその場での出来事を越え、アイリーンに対する嫌がらせが少しのあいだあった後、これを見とがめたシェーン・マクナラハン伯爵令息によって件の令息に対する糾弾がなされ、解決した。


 アイリーンは学院の中で渦巻く不満や、平等という学院が掲げる理想に対してねじ曲がった現実を一手に引き取り、変えてしまえるだけの不屈さがあった。


 ある生徒などは、伯爵令息に命令されてアイリーンをインク泥棒にしたて上げようとしたものの、彼女と会話しただけで改心して告発する側にまわったぐらいだ。


 アイリーンの特徴は、たとえ敵が自分の味方になったとしても、禊がなければそのまま赦したりはしないところにある。恐らく誠実なのだ。


 彼女の名前は徐々に徐々に売れていった。彼女は学院に巣食うリベラルの旗印になりかけていた。アイリーンとエリザベートが直接二度目に相まみえたのも、この時期であったように思う。


 一度目は、入学してすぐ、エリザベートが怒りにまかせていたところを、アイリーンに止められてのことだった。詳細は記憶にないが、かなりの言い争いになったのは憶えている。アイリーンの基本的な武勇の一つだ。


 今回は、遡行前と違い、意図的にそれを回避した。しかし、アイリーンは自分とのことがなくとも順調に名前を大きくしていっている。


 やはり衝突は避けられないか。エリザベートは思う。違う。()()()()()()()。あのアイリーン・ダルタニャンのことはやはり気に入らない。


 そして、その時は唐突にやってきた。アイリーンを含んだ数人と、エリザベートを含んだ数人が廊下で鉢合わせとなったのである。


 クラス教室と、実習室を結ぶ、陽の光が強く入って来る場所だった。エリザベートたちが校舎の奥へ進もうとしたところを、アイリーンらが現れた。隣に一人、後ろに一人、人間を携えている。片方はヨハンナ・デ・フロレンティーン。アイリーンの親友であり、伯爵令嬢だ。”王の指”の一人の娘だが、父親と違ってリベラルな思想を持つ、菜食主義者である。もう一人はメアリー・レスト。令嬢のくせに占星術にかなり執着している。変人だ。


 向こうが三人に対してこちらは四人。かなり広いとまではいかない廊下では、どちらかが下がらなければおさまりがつかない状態になっていた。


 とはいえ、他の二人はともかくアイリーンは”道を先に通ること”などには大した興味はない。どちらの階級が上だとかというのも考えず、ただ道を譲る余裕があるからと廊下の端によって、両者の対立をさせないようにする。


 それをエリザベートの近くにいたベルナデッタが台無しにする。フロレンティーンに向けて「男爵令嬢のお付きをするのってどんな気持ち?」と毒を吐く。


 周りの令嬢がくすくすと笑う。エリザベートたちは立ち止まって、アイリーンらの道を塞ぐ。


 フロレンティーンはあくまで冷静だった。声を荒げることも、過剰に煽ることもしない。ただ純粋な疑問を装って、こう言った。


「そっちはずっと、そこの侯爵令嬢のたんやつばきでいるつもり?」


「なんですって!」


 ベルナデッタが怒りのあまり顔を真っ赤にする。


「ヨハンナ」


 アイリーンがフロレンティーンを窘めた。あまりに行き過ぎた発言だと知らせた。


 フロレンティーンの代わりに非礼を詫びるが、媚びたわけではない。アイリーンはベルナデッタに対しても寂し気な顔をする。


「どうして、ぶつからなくてもいいのにぶつかろうとするんです。貴女が私たちを言い負かしたとして、それでなにが得られるというんですか」


「黙りなさい。さもないと……」


「どうしますか? 私のことを誰かに言いますか? 誰に言いますか? あなたのお父さま? それとも誰か、話を聞いてくれる人?」


 ベルナデッタが言葉を詰まらせる。平等を謳うこの学校では、個人の心根としてはどうかわからないが、概ね処罰や処分に関しては平等でいようとしている。大きな問題が起きたとき、同席するシャルル王子がその方針でいるためだ。忖度なく、ベルナデッタがアイリーンを追放しようとしても、それは難しい。


 エリザベートの耳元で、エグザミンが囁く。


「邪魔者は排除しなければならない」


 エリザベートは頷く。


「黙って」


 エリザベートが言う。ベルナデッタに視線を投げていたアイリーンが「どうして……」と呟いて目を丸くする。


 ここまで黙ったままでいたというのに、ここで火種をさらに増やす理由がわからなかったのだろう。


「あんたが意見してるのは、あんたよりずっと上の人間よ。平等が好きなようだけど、おあいにく様。この国は貴族制で、あんたがそれだけ言ったところで差は確実にある。それで今まで上手くいってきたの。今さら変える理由もない。そんなに平等がいいなら共和制の国にでも住めばいいんだわ」


「生きずらさを感じる人たちに、国外へ出て行けと言うの? あなたは。今までうまく行っているのは、下で押しつぶされている無数の人たちがいるから。そしてその人たちはうるさい邪魔者じゃなくて、この国の一員でしょう。誰もいない国で独裁したいなら、それこそ外に出て行けばいい」


 負けじと言い返すアイリーン。厳しくも果敢な彼女の姿は、ここでもまた人々の目に焼き付けられる。


 エリザベートはヒートアップしてアイリーンに人格否定を含めた言葉でぼろくそに言ってやり、アイリーンがやんわりと返す。


 鬱憤を貯め込んだまま持ち越しとなった怒りは、表面に出てこないほどに感情の海へ広がっていっても、底に層となって横たわっていた。それはふとした瞬間――波がほんの少しでも激しくなれば、海の中で砂塵となり、エリザベートをかき乱した。


 エリザベートとアイリーンの関係は、遡行前から、そして今回もそのようなものだった。

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