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巻き戻り令嬢のやり直し~わたしは反省など致しません!~  作者: 柏木祥子
二章後半 予言はできない、私達
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第70話 Extraordinary my heart(to you)

 ある午後のこと、エリザベート・デ・マルカイツはお付きの騎士とメードを伴い、市街の図書館へ向かった。


 以前、メードのコンスタンスに”時間の魔法”の手がかりを求めて大量の本を借りに行かせた図書館だ。まったくの空振りに終わったが、蔵書自体は多い。エリザベートはここを利用しに来ていた。


 普段であれば、やはりコンスタンスに自分の名前で借りに行かせるところだが、今回は話が違った。どうしても自分の手で借りに行きたい本があったのである。


 その日のエリザベートは非常に機嫌がよかった。ここのところ癇癪が鳴りを潜めている彼女だが、先日シャルル王子に連れられて王立学院の校舎ツアーに参加したことで、さらに機嫌がよくなっていた。他の二人は途中までしか参加していないので知らないが、いいことがあったらしい。珍しく浮かれている彼女は、浮かれついでにシャルル王子が今好きだと言う本を借りに出たのだ。そういった思い入れの込められたものを誰かに借りに行かせるのは、思い入れ自体を毀損するのではないか――侯爵令嬢にしてはややせせっこましい考えのもと、彼らは市街へ出たのである。


 はじめ彼女のお付きの騎士であるマリア・ペローは、この外出にあまり乗り気ではなかった。ここのところ市民運動がさらに活発化しており、これに乗じて貴族を相手に強盗を働こうなどという輩まで出没しているらしい。憲兵隊が街の中を巡回して、かなり物々しい様相だ。


 これにあの妙な仮面の連中が絡んでいたりするのか。タイミングを考えれば、あり得ない話ではない。安全管理の上では、外出は喜ばしいことではない。


 だがそこを指摘しても、エリザベートは「憲兵隊がうろうろしているのだから寧ろ平時より安全だ」と屁理屈をこね、外出を断行。それならば自分が守ればよかろうと、マリアは仕方なくそう思い直した。


 エリザベートは非常に機嫌がよかった。それは、マリアと会話して以降続いていることだった。手紙の魔術師のことも、予言の民のこともまだ解決していないが、それを忘れるほど機嫌がよかったと言ってもいい。


 なぜここまで機嫌がよいのだろうか? 言語化の難しい事項である。それでも無理に解釈してみれば、それはようは、根拠のない自信のようなものだった。一つのことが上手くいけば、他のことも上手く行くような気がするという、一種のランナーズハイだ。


 エリザベートの機嫌は、途中でコンスタンスが自分はこのカフェにいたいと宣ってもまだ続いた。終わったらカフェでお茶をしましょうと言ったところだった。市街地は庶民向けのカフェしかないため貴族街まで出向いてしようと言う意味の言葉だったが、コンスタンスは目の前のカフェのことだと思ったらしい。平時なら妙におどついているのにも気づいただろうが、この時のエリザベートは気が付かなかった。


 コンスタンスがカフェの椅子を陣取り、エリザベートはマリアにここで一緒に待っているよう告げた。コンスタンスを一人にするわけにはいかない――という名目で。本当は周囲への警戒と憲兵隊への嫌悪感でぴりついているマリアと少し離れたかったのだった。彼女は言うや否や走り出し、マリアから選択の自由を奪った。


 彼女の機嫌が続いたのは、図書館の司書の前まで本を持っていったところまでだった。そこまでは彼女もニコニコしていた。


 気鋭の作家の新たな戯曲――を司書の前に差し出して借りる旨を伝えると、司書はエリザベートの貸し出し履歴を調べて、貸せませんと言った。


「申し訳ありませんが……。その、マルカイツ様はここの本を一か月借りたままでいるらしく、その本が帰るまで貸し出せない決まりなんです……。申し訳ありません……」


 司書はエリザベートに畏怖しながらも、最後まで言い切った。顔を見ることもできないのか、頭を下げた姿勢のまま、彼女の服のフリルに眼を置いていた。


 エリザベートは事態を把握できていなかった。《《そんなわけがなかったからだ》》。借りた本は逐次返させていた。返していないなどということはあり得ない。だが、すぐに原因となりえるものに思い至った彼女は、顔を真っ赤にして、図書館の扉を大きな音を立てて開けて出て行った。


 一方カフェではマリアが店員と話し込んでいた。店員は髪を後ろで簡単にまとめた素朴な町娘だった。マリアとはコーヒーの話で意見があっていた。


 最近は低価格のコーヒーも質のいいものが多い、だとか、商会がそれだけ力を持っているのだということを話し、コーヒーに対して妥協のない町娘の姿勢に好感を憶えていた。


 コンスタンスは、マリアの前で縮こまっていた。悪事がばれる前のような、どうにもならない冷や汗をかき、顔は真っ青だった。


「コンスタンス、どうかしました? どうにも顔色が悪い」


「いいえ、いいえ、そのう……」コンスタンスがマリアの顔を見て言い淀む。


「なんです」


「その……あなたは、何があっても私の味方でいてくれますか?」


 マリアはその文言にひどい既視感を覚えた。最近、似たようなことを言われた。とても重要な言葉だ。コンスタンスの表情もシリアスである。


「それは……」わかりませんが、と言いかけて。安心させようと別の言葉を使う。「ええ。出来る限りは」


 コンスタンスがほっとした顔になったその時、コンスタンスの名前を叫びながら速足でこちらへやってくるエリザベートが現れる。


「コンスタンス!」


「ああ、お嬢さま。どうかしましたか? 本を借りに行っていたのでは?」


「うるさい! コンスタンス! こら待ちなさい?」


 マリアが振り返ると、コンスタンスは椅子から立って逃げていた。


 あまりのことに驚いていると、エリザベートもまたコンスタンスの逃げる方へ追ってしまう。


「そっちはよくありません! 裏通りは!」


 エリザベートも一足遅れて二人の後を追いかける。


 コンスタンスは大通りを曲がり、比較的狭い道を走った。逃げたって意味のないことは彼女もわかっていたが、つい、そうしてしまう。そうし続けることが状況をどんどん悪くすることがわかっていても、同じだ。


 エリザベートの声がきこえ、コンスタンスは振り返った。そして、正面からやってきていた人間に気づかず、ぶつかってしまった。


 エリザベートとマリアはすぐにコンスタンスに追いついた。元々コンスタンスは三人のなかで一番小柄で、一番運動ができない。メードの仕事も、他のメードの三分の一もこなしていないのだ。体力もないのである。


 マリアは早く裏通りから出たかった。図書館がある地区は比較的ガラも悪くない地域だが、それでも裏通りは乞食や物取りがいる。長くいてリスクを増やしたくない。


 二人は道の先で地面に尻もちをつくコンスタンスを発見した。誰かとぶつかったらしく、その誰かに手を差し伸べられ、立ち上がる。二人が来ていることに気が付くとその誰かの背後に隠れてしまった。


「コンスタンス。いったいどうしたんです」


 マリアが尋ねる。


 コンスタンスが言う。


「実は、その……以前、お嬢さまに本を借りてくるよう頼まれていたのですが……そのときに私、自分の本も借りてしまって……返していなくて……」


「はあ?」


 マリアが素っ頓狂な声を出す。それはまた、大馬鹿な。相変わらず変に大胆なやらかしをする娘だと感想する。


 庇ってもらえない雰囲気を察したのか、コンスタンスは更に縮こまった。


「そんなことしてしちゃったの!?」


 コンスタンスを助け起こし、今は彼女を背中の後ろに庇う(というよりは盾にされているのだが)、”誰か”がそう言った。


 年はエリザベートと同じぐらいか。同年代の少女よりも背の高いエリザベートよりも更に少し背が高い少女で、プラチナブロンドのショートカット。安価なドレス。手はぼろぼろで、顎の下に小さな傷がある。着やせするのか体つきはわからないが、足や腕に筋肉がついているし、水仕事をしている手だ。


(でもこの娘、貴族だな……)


 マリアは頭の中でそう結論付けた。助け起こしたときの所作といい、明らかに貴族とその従者とわかるであろう自分たちへの態度といい、平民のそれではない。貴族でないとすればよほどの大物かよほどの大馬鹿者か――というのもそれだけなら考えられないことはないが、決定的に違うのは、顔つきだった。


 貴族相手でも自分を見失わない態度をとれるものは、みんなふてぶてしいものだ。自分は貴族と同等か、あるいは上か。商才で財を成したものやその親族が多く、彼らは貴族を身分だけ整った存在だと看做している。


 だが、この娘にはそれがない。ナチュラルだ。ナチュラルに貴族と話せるのは、貴族だけだ。それか、他国の人間。この娘は明らかにロマーニアンである。


 そうなるとこんなところで何をしているかも、どうして労働者のような見た目なのかも疑問になるところだが、今は関係ない。これからもそうだろう。


「駄目でしょ。悪いことをしたなら逃げては。それにね」少女はコンスタンスに微笑みかける。「謝る機会を逃すと、一生謝れなくなってしまう。それはとても悲しいこと」


 少女はコンスタンスを前に押し出した。若干の抵抗はあったものの、コンスタンスが二人の前に出る。ぺこりと頭を下げる。


「申し訳ありません。お嬢さま」


 コンスタンスの謝罪があっても、エリザベートは黙っていた。彼女は少女の姿をみた瞬間から、表情が氷のように冷たくなり、口をつぐんでいた。その異様な態度に、マリアはようやく気付いた。


「お嬢さま、如何しました?」


 エリザベートは完全に固まっていた。彼女は勘違いしていた。


 マリアと話して、少しは誰かを信じられるのではないかと思ったこと。それだけで問題が解決に向かうのだと。


 だがエリザベートの中には彼女自身でさえ気づいていない特大の地雷が隠れ潜んでいた。彼女が人を信じられないことなど、問題の氷山の一角に過ぎないのだ。それが今まさに、彼女の心の中で起こっている。


 エリザベートが口元を抑え、その場に崩れ落ちそうになる。マリアが肩を掴んでキャッチしなければ、倒れていただろう。


「大丈夫ですか? その方、気分がすごく悪そう……」


「そのようです。それでは、私達はここで」


 マリアが早口で言う。どうしてかわからないが、この少女になにかあるらしい。倒れそうになるほどのなにかが。


「そうだ。ご迷惑をおかけしました。お名前を窺っても?」


 礼儀というよりは、知りたいという気持ちで問いかける。


「アイリーン・ダルタニャン…………」


 エリザベートが今にも吐き出しそうな声でそう言った。ダルタニャン? 聞き覚えはない。少なくとも子爵以下だ。そんな相手にどうしてこうなっているのか。


 とにもかくにも、このままここへいさせるわけにはいかない。マリアは少女に会釈をして、馬車のところまで引き返した。


 馬車の中で、マリアはエリザベートにあれが誰だったのか尋ねた。エリザベートは知らないと言った。知らないが、近づくなと。


 それが嘘なのは承知していたが、マリアとしては承服せざるをえない。


「また厄介ごとが増えたな……」


 マリアはそう独り言ちた。

 

これにて二章は終了です。次回は設定資料になります。その次から三章をはじめようと思います。

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