第66話 ミスアンダーストゥッド:誤解しないで 後
エリザベートはそれを聞いた後、驚くそぶりすら見せず、自分の部屋に籠って、寝入ってしまった。
彼女の騎士であるマリアは、主人のようになにかを誤魔化す必要もなかった。それほど意外ではなかったからだ。
クレア・ハーストとは長い付き合いではない。わずかに二週間程度の仲だが、同じ主人を持っていただけあって、似た感情を共有することが多々あった。自分のようにすぐ近くで剣を振るうことさえなければ、いつか心が挫けてしまうことがあってもおかしくないと、そう感じていた。
エリザベートは部屋へ引きこもった時、マリアはここが分水嶺になっているということと、もう水が足元まで流れてきているということを、ぼんやりと理解していた。
きっとやる方法がわかれば、そうするはずだが、エリザベートにかけるべき適切な言葉は、マリアには出てこない。熱い気持ちをぶつけるにはひねくれ過ぎている。クレアのようにどこかへ消えてしまうことさえ、行き場のない自分には難しいことだ。
出来ることもなく、与えられた部屋へ引き返す途中に、マリアは背後から誰かが近づいていることに気が付いた。思わず勢いよく振り返ると、寝間着に近い恰好のジュスティーヌ・デ・マルカイツ――主人であるエリザベートの姉妹――が半分腕を伸ばした格好で立っていた。
「申し訳ありません。驚かせましたか」
マリアはそう言いながら警戒を解き、ジュスティーヌが自分に話しかける理由を探した。十中八九、エリザベートに関わることだろうと見当はついていたが、自分になにを言うつもりなのか。
「大丈夫。こちらこそごめんなさいね。あなたは騎士だもの。後ろから突然話しかけようとしたのがいけなかった」
「いいえ。そんなことは……」こうも丁寧な態度を取られると、落ち着かない。遠巻きにジュスティーヌを見ていた時から感じていたが、彼女の傍にいるとそわそわして、恥じ入るような気分になった。恐らく彼女が自分よりいい人間だからだろう。そう結論付ける。「それより、どんなご用向きで?」
「あなたに渡すものがあるの」
ジュスティーヌは背中に手を回し、後ろから前へ紙束のようなものを持ってきた。
いや、違う。手紙だった。便箋に入った手紙だ。
「……これは?」
マリアは手紙を受け取り、ジュスティーヌの顔色を窺いながら、それを開いた。
文面に軽く目を通し、再びジュスティーヌの顔を見たとき、マリアはひどくシリアスな表情になっていた。
「クレアから? 私に?」
「うん。そう。出て行く前に置いていったの。あなたに渡して欲しいと言われたわ。もう一枚は、お姉さま宛て。でもそっちは渡す気もなかったみたいね。ゴミ箱に落ちていたから」
「いいんですか?」
「必要だと、思うから」
ジュスティーヌは寂し気に笑って見せた。
「お姉さまはあまり人を信じられない人なの。いままで侯爵令嬢として、いろいろなことがあった。私もそれなりに嫌な目にあったつもりだけど、お姉さまは、シャルル様の婚約者でもあるから……」
ジュスティーヌが続ける。
「お父さまやお母さまが悪い部分も、あるのかもしれない。生きていて欲しいからと、人が嘘をつくことを教えてしまった。それは間違っていないと思う。特に私たちみたいな貴族にとっては、自分に近寄って来る人を見分ける目を、あるていど養わなければいけない。でも……お姉さまは誰も信じていないわ。私のことだってそう。でもクレアとあなたのことは、少しは信じたいと思っていたはず。そのためには、手紙が必要になると思うの」
マリアは改めて手紙に視線を落した。エリザベートが好む紅茶の品種や、本の趣味、それから尊重すべきこと。全て事細かに書いてある。そこには”頼む”とも”任せた”とも記されていない。事務的とさえ言える箇条書きで、エリザベートの嗜好が網羅されていた。
きっとこちらには、冷徹なぐらいの理性が働いていたはずだ。その証拠に、クレアがエリザベートにあてたという手紙には、感情が込められている。
”エリザベート様。あなたの元を去る私をお許しください。私はあなたを愛していました。10のときに出会ったときから、私はあなたにお仕えするものと思っていました。それが今は、どうでしょう。あなたは私を裏切り者とそしるのかもしれません。私は甘んじてその評価を受けるつもりであります。私はあなたの元からいなくなってしまった。近くにいられなかった。憶えていますでしょうか。あなたがまだ、楽器に興味を持っていた頃、あなたは私にそれを教えてくださいました。一度きりでしたが、確かに。私には、わかりました。あなたの苦しみがどんなものか。あなたの諦念が。でもどうすれば、あなたが幸せでいられるかは、わからなかった。私に出来ることは、後ろにいることだけ。だからあなたが私を避けたとき、私はそのときに、ここから離れるべきだったのです。ここまで引き延ばしてしまったせいで、私はずっと、後悔するでしょう。この決断を……”
手紙はまだ続いていた。クレアがエリザベートと過ごしてきた時間が、そこに凝縮されていた。マリアは最後まで読み進められなかった。あまりにウェットで、あまりに赤裸々で、自分が読む資格さえないように思えたからだ。
「クレアは、どこへ行ったんですか?」
「ああ、それは……私の友人がちょうど、いいメードを探していたから、紹介したの。とてもいい子よ。ちょっと向こう見ずなところがあるけどね」
「そうですか」
マリアは手の中で手紙をくしゃりと歪めた。




