第59話 遺跡の侵入者たち 後
やや残酷な描写があります。
階下は上階と同じく、およそ風景と呼べるものはなにもなかった。上階の図書室にあたる部屋が奥に二つあるようで、白い壁の途中に、唐突に木製のドアがつけられているように見えた。
エリザベートは意外にもまだ捕まっていない。だが仮面の集団――この中でも特に大柄な人間だった――が、すぐ後ろまで迫っている。と、エリザベートがスカートに足を取られ、前に転倒する。「ああ、もう!」
上階から雷鳴のような音が轟いた。図書室を塞いでいた書棚をマンティスが吹き飛ばした音だ。
時間がない。逃げ込める場所を見つけて――いや、まずはエリザベートを助けなければ――迷いはなかった。マリアは加速から停止にかけての運動エネルギーを利用して、思い切りピッケルの一つを投擲した。
回転して後ろを走る仮面の集団の間を抜け、ピッケルのピック部分――横に飛び出した部分がエリザベートを追い詰めていた仮面の男の後頭部に突き刺さった。
エリザベートは両手を逆さに地面につき、地面を逆四つん這いになって逃げていたが、こちらへ駆けてくる騎士の姿を見ていったん止まり、立ち上がって少し離れた場所で立ち止まった。
エリザベートを追っていた仮面の集団――三人殺して、残りは三人。エリザベートを追ってきたのはそれだけらしい。上階にはまだマンティスを含めて数人が残っているが、彼らが追いつく前に仕留めなくてはならない。
マリアは投擲からまた走りだした勢いを止めず、向こうが降り抜いた鉈を屈んで避け、そのまま脇腹にピッケルを突き刺した。ずぶりと腹のなかに埋まったピッケルを抜き、続く二人目に振り下ろされた剣をピッケルのヘッドで受け止める。手の中で柄をスライドさせて短く持ち直すと、剣からピッケルを離し、敵の腕を抑え素早く槍の部分で腹を三度つく。
とどめを刺そうとしたところを、当身に近い形で最後の男に腕を掴まれ、左半身をホールドされた。腹を刺された男も力を振り絞って二人がかりでマリアを押し倒そうとするが、マリアは腹から血を流す男の足を蹴りつけて膝をつかせ、解放された右半身を捻って薬指を最後の男の耳に突っ込んで引っかけにし、親指を眼に突っ込んだ。たまらず最後の男の力が緩む。
マリアは足を踏ん張って体勢を立て直すと、男の拘束を強引にほどき、左手も残った眼に押し付けた。男が甲高い悲鳴を上げる。みしみしと眼窩が音をたて、眼球が圧迫される。腕から逃げようと男の膝が曲がり、地面に背中から倒れ込んだ。
失神した最後の男を捨て置き、地面に落ちたピッケルを拾い上げる。
「お嬢さま。まだです。早くもっと奥へ」
マリアがエリザベートに声をかけたところに、天井が大きく崩れ、マンティスが姿を現した。
「早く! 走って!」
マンティスがエリザベートとマリアの後ろに降りてくる。マリアがエリザベートを追い越しそうになるほど早く走る。彼女の背中を押してなんとか階段の近くまで避難する。
「この階だ」
エリザベートの口からぽろりと言葉が出る。それは遺跡の縮図に書かれていた。”禁じられた”とあった空間である。確かに上二階とは構造が違うのか、なにもない空間が広がっているのではなく、部屋の真ん中に大きな金属の箱が置かれていた。
箱の正面には金属の扉があり、今は開かれていた。中は見えないが、これまでと少し毛色が違う。
一方でマリアはマンティスと壁に挟まれるのをすんでのところで回避し、九死に一生を得ていた。マンティスの激突により壁に大きなひびが入る。はじめにその姿を見せたときよりも出力が上がっているようだ。巨大な蜘蛛女という見た目であり、完全に怪物である。
「聞いてないよ、こんなの」
思わず言葉を漏らす。
エリザベートの方は、箱のある空間に入り込んでいた。後から追って降りてきたマリアは、これ以上逃げるよりも戦うことを選ぶべきかもしれないと思い始めている。走っている途中に回収したため、ピッケルは両方揃っている。状況は悪くない。あんな怪物を相手にしているにしては、だが。
しかしそれも、エリザベートが箱に向けて一心に走り出したのを見るまでだ。マリアは当然箱を迂回し、向こう側にあるであろう階段を降りると思っていたので、面食らって止めることもできなかった。マンティスが追ってくるのを肌で感じながら、自分も箱を目指して走る。
なにがあるのかはまったくわからない。だが根拠もなく、当然何かあるだろうと自分を騙して走っていた。そうでなければあんな箱、簡単にばらばらにされるだろうからだ。
マンティスが迫る――マリアはエリザベートが扉の向こうから体を半分出して待っているのを認めた。マンティスの長い腕が伸びてくる。マリアはエリザベート目掛け、扉に向かってダイブした。赤黒い絨毯に受け止められ――ほぼ同じタイミングでエリザベートが箱の扉を勢いよく閉める。
金属製の扉に、マンティスの腕が突き刺さった。マンティスが悲鳴を上げる。見ると腕の先端についた槍が潰れていた。かなり頑丈な扉だったらしい。こちら側で動いている腕の下をかいくぐり、開きかけた扉をマリアが押し戻す。なんとか閂を閉めると、マリアは扉横の壁を背に、エリザベートは書棚の脇を背に座り込んだ。
マンティスの腕ががたんと音を立てて床に垂れる。
外からは仲間を殺された怨みを呪詛にして垂れながすマンティスが残される。
「でてこい……卑怯者……そこから……お前を八つ裂きにしてやる! でてこい!」
高い叫び声に顔をしかめるマリア。
「奥に行きましょう」
「ええ」とエリザベートは返した。
立ち上がり、箱の中を振り返る。暗かったが、ここもまた大量の本が保管されている場所のようだ。恐らく”禁じられた”と名の冠されるべき場所だろうが。
二人は部屋の物色をはじめた。




