第58話 遺跡の侵入者たち 中
引き続き血がでます。
マリアの頷きに、エリザベートもまた頷きを返す。
マリアが仮面を被ったクーリフを強く押して書棚の陰から飛び出させる。
ベルイマンが手を振り下ろし、何本もの矢がクーリフの身体に突き刺さった。「おっと」とベルイマンがふざけたように言う。マンティスが驚きで目を見張った。
マリアはその隙を見逃さなかった。彼女はクーリフの身体がはじめの一射で奇妙に曲がった時、彼女はその体を盾に書棚から飛び出していた。
マリアは倒れようとするクーリフの身体を片手で抑え、向こうのクロスボウから放たれた矢が全て発射されるまでその場で耐えた。といっても、それは一秒もない。ほんの少しの間だ。クロスボウの矢に押され、クーリフの重みが増す。そしてすべての矢がクーリフの身体を貫くか、明後日の方向に飛んで行ったとき、マリアはクーリフの身体を投げ捨て、クロスボウを構えた。
構える。発射する。この二つの動作のあいだにあった時間は、やはりほとんどない。だから実際にこの間にマリアが覚えた感覚や見た景色は、後から保管されたものもあるのかもしれない。
マリアは飛び出す直前から、体がざわついているのを感じていた。それは書棚から飛び出たことで、沸騰するような興奮に変化した。肌が泡立ち、脳天をアドレナリンが貫く。久しく味わっていなかったものだ。マリアは心のなかで笑顔になっていた。もしそれが表に出ていたならきっと、誰もがイカれていると思うような、凶悪な笑みだった。
実際のマリアが眼を細める。口元は緊張しすぎず、力を抜いて。腕と肩にクロスボウの重みを感じている。この距離、そして時間を考えれば、わざわざエイムする必要はない。ポイントは直感任せ。
マリアは片手でクロスボウをまっすぐ立てると、間髪入れず発射した。腕に衝撃が来る。マリアは矢の行く末を追うことはなく、腰に提げた長剣を抜く準備をしていた。
矢は真っすぐベルイマンへ飛んで行った。ベルイマンが咄嗟に顔の前へ出した手の指と指の間を抜け、装甲と装甲の間を抜け、肌と外界をつなぐわずかな隙間を貫通すると、そのまま柔らかい首の皮膚に突き刺さった。ベルイマンがカッと眼を見開く。信じられないとばかりにマンティスや他の仲間を見ると、首から流れ出る血を抑え、その場に倒れ込んだ。
マリアはふうっと息を吐いた。これ以上は過集中まで入っていきそうだった。クロスボウの装填には少し時間がかかる。わずかに何秒かだが、そちらはすぐに問題ではなくなる。
マンティスが天井を仰ぎ、甲高い、悲痛な叫び声を上げた。
「チッ」とマリアが舌を打つ。
ベルイマンが生前に展開させていた仮面の集団の一人が、マリアに切りかかった。小ぶりな手製の斧を手に持っている。マリアは長剣を抜き、仮面の男を迎え撃つ。相手の勢いに合わせて剣を突き出し、串刺しにする算段だったが、これは上手くいかなかった。視界の隅から新たに二人敵が現れたからだ。
全体を通して、エリザベートが快哉を叫ぶ暇はなかった。ベルイマンが倒れてからすぐ、敵が怒涛の勢いでマリアに襲い掛かったのだ。マリアは二人を同時に捌き残りの一人を位置取りで攻撃できないように立ち回っていた。
「お嬢さま、一旦走って逃げ――」
三人のうち一人の脇腹を剣で撫でるように切りつけ、逃げる隙をつくったところで、マリアは声を振り絞ってエリザベートにそう提案した。
しかし言葉が最後まで発せられる前に、ローブを脱ぎ捨てたマンティスに襲い掛かられ、その場から壁まで吹き飛ばされた。
壁に叩きつけられ、床に落下するマリア。転がってマンティスの姿を捉える。かちかちと機械の歯車が動く音がした。マンティスは体にぴったりと張り付いた鎧を着ていた。見たこともない。音は鎧から出ているらしいが、どういう構造になっているかは謎だ。だが次の瞬間、マンティスの腕があり得ない方向に曲がると、それがなんなのかわかった。四肢――少なくとも腕全体は鎧と繋がっている。義手なのだ。義手の先端には手の代わりに大きな矢じりのようなものが付いている。
マンティスが壁際のマリア目掛けて腕を伸ばす。これもあり得ないほどの距離だ。すんでのところで躱すと、腕は壁に突き刺さる。ひやりとした。マンティスが体を引っ張ってマリアとの一気に距離を詰める。
「よくも! よくも! よくもよくもよくも!」
マリアの鎧に義手がぶつかる。首を抉らんとして攻撃はかわしたが、簡単に逃れられそうにない。
どう反撃するか――そう考えるマリアの目の前に、マンティスの背中から新たに二本の腕が現れるのが見えた。
マリアが思わず笑ってしまった。呆れたような笑みだった。
二本の腕が迫る。一本の腕を掴んで体から逸らす。もう一本は鎧の肩を掠って行った。凌いだはいいが、壁と床に挟まれて上半身を拘束された形だ。マリアは腕に力を込めてマンティスの腕を動かす。
反転した視界の中に硬直するエリザベートが見えた。マリアは口を動かして「逃げて」とつくる。
エリザベートがその場から脱兎のごとき素早さで逃げ出した。後を仮面の男たちが追う。
エリザベートの追跡を選ばなかった仮面の男の一人が、ナイフを持ってマリアに近づく。マリアはその男の足が上がったタイミングで脛を蹴って転ばせた。ナイフが近くまで転がってくる。
マンティスが壁から腕の一本を引き抜く。このままでは頭を潰される――そう思ったマリアは咄嗟にナイフを掴み、倒れた男に向けて投げつけた。マンティスはナイフから男を守ることを優先した。
マンティスが体を捻ってマリアの頭を潰そうとしていた腕を動かしナイフを受け止めたことで、マリアを拘束する腕に隙間が生まれた。
マリアは素早く腕の下から抜け出し、エリザベートを追って走る。マンティスが振るった腕を転がって避け、扉の縁を走り抜けた。
背後ではマンティスの腕が命中したために書棚がくの字に曲がり、出口を塞ぐ形で崩落する音がした。
エリザベートは図書室の外の空間をまだ走っていた。構造がわからないため、どこを目指すでもなく奥へ奥へ。その後ろを仮面の男が五、六人追っている。最奥に階段があったのか、エリザベートの身体が地下へ沈み、消えた。
マリアはクーリフの倒れていた辺りに落としてあった自分の荷物から走りざまに木箱を取り、わきに抱えた。
木箱を開いて捨て、中に入っていたものを片手に持った。
それは武器だった。奇妙な形の武器だ。見た目は採掘用のピッケルに似ていたが、それよりも鋭く、細い。銀色でうっすらと意匠がついていた。柄の先端が小さな槍となっており、縦にも横にも人を突き刺すことができるようになっている。総合すると、槍とウォーハンマーを合わせた形だった。
それが、二つ。マリアはピッケルを両手に一つずつ、短く持つと、最後尾の仮面の男に追いつき、男が振り返ってマリアの位置を確認したところを槍の部分で突き殺し、走り抜ける。
ピッケルの柄を手の中でスライドさせて長く持ち直すと、二番目に遅れていた仮面の男が階段を降りようとしたところを追いつき、素早くこめかみにピッケルの先端を突き刺す。引き抜いて階段を駆け下りた。




