第55話 遺跡探検の侵入
遺跡の侵入口は、入口とは違う。入口は、即ちエントランス。人が入るために作られたものだが、侵入口はその名を見てわかる通り、侵入者のための入り口だ。遺跡は地下に埋められているため、侵入口は大抵、遺跡からすると上層階にあたる位置につくられる。
金属の壁を壊し、足場を繋いで無理やり入口とした遺跡の初めには、偶然にもエリザベートの求めているものに近い空間となっていた。
よく上が見えないほど高い天井まで届く棚が列になって並び、そのすべてが隙間なく本で埋められていた。全体的に湿度の高い場所であるためにその保存状態が気になるところではあるが、学者にとっては夢のような空間であろう。エリザベートにとっても、目的を叶えるのにうってつけの場所だった。
案内人であるサンディとクーリフが、その空間に設置された篝火に火を点ける。四つか五つ点けると、背表紙の文字を判別できる程度には明るくなった。マリアは彼らに一人は外で待つよう伝えた。見張りがいた方がいいという考えだ。
エリザベートは本棚からランダムに本を抜き取った。捲りながら
「ここは……なんの遺跡なんでしたっけ?」
そこへカンテラを持ったマリアが戻って来た。背中に重そうな荷物を背負っていた。事前に言ったところでは、採掘道具らしい。
「嵐の魔術師メウネケス。入口に彼の家紋を表す”鱗ある風”の絵があったでしょう。前に出てた記事によればここを研究室として、彼と彼の弟子が小さなコミュニティをつくっていたそうよ」
「なるほど」とマリアが頷く。「思い出してきました。メウネケスは神代でも異端とされた魔術師ですね。渦哲学とかいう学問の創始者でもある」
関係はないが、渦哲学というのは”世界は大きな渦の回転であり我々はその渦の紋様である”という考えである。それなりに支持者もいるポピュラーな学派だ。だから元々、メウネケスは魔術師というより古代の哲学者として名が通っている。
歴史では当時の主流派から距離を取っていたメウネケスは国外のスパイを引き入れていると疑われ、討伐されたらしい。その時の様子を絵にしたものは”傾倒する嵐”という題で王立美術館に収蔵されている。
……とまあ、そんな蘊蓄はどうでもよくて。
この大量の本の中から、目的のものを探さなければならない。
エリザベートは辺りを見渡して、本棚と本棚の間の奥に、壁にかけられた遺跡の縮図を見つけた。横にこの部屋の縮図もある。古代文字だが、読めるはずだ。侯爵令嬢として、学院での成績はいつもトップ層にあった。なにかと心配事の多いエリザベートだが、学問の心配をしたことはほとんどない。
縮図に指を走らせ、ゆっくりそこに書いてある文字を読み上げる。”哲学、自然科学、魔法科学、理論物理魔法学……”
時間の魔法と言えば、どのあたりにあるだろう? 頭を回転させる。大別は魔法科学だろうが、中別、小別ではどうか。
”時間の魔法”に関する記述は今のところないとされている。ということは、どこを探せばいいのか?
ややパニックに近いイライラを憶える。薄暗く、じめじめとして、マリアがなにも喋らずにいることがそれを助長させた。
「魔法、魔法、時間、時間…………」
エリザベートは自然と神話や寓話の集められた棚の前に立っていた。以前、パースペクティブの離れでたまたまクレア・ハーストと一緒になった時、彼女の言っていた寓話を思い出したのだ。
聖ロマーニアス、古代まだ名の違った頃の物語が集まった本を探す。すぐに見つかった。赤い装丁に、古代文字で”ロメイル地方”と書かれている。
視界の隅で、マリアがパースペクティブの希望した本を集めている。彼女は古代文字が見えないため、文字の形を憶えて探しているようだ。
エリザベートが本を開くと、なにか挟まっていたのか、白いものがはらはらと落ちていく。地面に落ちたそれを拾って開いてみると、恐らくなにか寓話に対する考察であろう文字列が書かれていた。
メウネケス本人かはわからないが、寓話や神話からその事実性を考察していたらしい。拾ったメモは波の音が聞こえる箱に関する寓話であり、これは幻聴によるものか、箱に波を閉じ込めたかどちらかだと結論付けられていた。
「浅い結論……神代の研究者っていうのも、暇があったのかも」
言いながらエリザベートはクレア・ハーストが語った寓話の頁のメモを見つけ、それを開いた。
こちらは少し毛色が違っていた。
「なになに……時間の魔法は、禁じられし魔術である。その方法、原則、すべての条件が揃ったとしてもこれを行使してはならない。もしほんの少しでもラインを越えることがあれば、次元の隙間より”彼ら”が現れ……我々は渦の裏で永遠に引き延ばされることになるであろう……ハッ。なにそれ」
寓話に寓話を重ねてどうなるだろうか。
混乱しか生まない。
「でもとにかくこの”彼ら”っていうのがいるから時間の魔法は使えないと言いたいのね……」
言ってみたはいいが、エリザベートにはイマイチ呑み込めなかった。魔法があることは、それがひどく弱くなってしまった今でも当然の常識である。だが異なる次元や時間の話は? ただのおとぎ話か、学者気取りが人を煙にまくために使う詐術の一種としか、思えないのである。
エリザベートは喉の奥でくつくつと笑ったあと、急に真剣な顔になった。
(”これまでは”、とつけなければ。ここに書いてあるすべてを信じられないということに、”これまでは”とつけなければならない。だって私は本当に時間を遡行したのだから。馬鹿げて見えてもこれは手掛かりになる)
だが、ここからどう探せばいいだろう。エリザベートは再び遺跡の縮図の前へ戻った。
魔法に関する本、天候に関する本、文学や詩、演劇。戦術理論。いくつもに別れた図書室のなかのどこに魔術の本があるのか。
「マリア! そろそろ本は集め終わった!?」
またイライラし始めていたエリザベートが、当てつけのように催促する。
なんの返事もない。
「聞いてるの!?」
腹立たし気に図書室を振り返る。誰の姿もない。本棚と本棚、その向こう側に、篝火の火が揺れているだけだ。
「マリア! ちょっともう、なんなの……」
エリザベートは不安げに呟いた。こんな場所で一人になるなど、考えるだけでもぞっとするというのに、今はまさしく”そう”なのだ。
エリザベートは深呼吸をした。そして遺跡の縮図の中に、黒く塗りつぶされた地点があるのに気が付いた。
下に殴り書きで”禁じられている”と書かれている。
「ああ、クソ、もう……」
見つけてしまった。ここに行けば、なにか見つかるかもしれない。だが一人で動くのは……。
彼女を含め、その場にいる全員がまだ気が付いていなかった。この空間には、魔術が施されている。かつて異端の研究者として名を馳せていたメウネケスは、誰かの話し声が勝手に聞こえてくることを嫌っていた。特に本に目を通しているときはいっそう、余計な音など入れたくない。そこでメウネケスはこの場に魔術をかけ、話しかけた者と話しかけられた者以外にはその会話が耳に入らないようにしたのである。
そのためエリザベートは、この遺跡で起こっていることを知らなかった。
彼女は縮図から離れ、篝火の前まで戻った。この部屋から別の部屋を繋ぐ扉があるはずなのだ。きょろきょろと見渡していると、部屋の入り口側に案内人のどちらかの姿があった。エリザベートはどちらがどちらなのか憶えていない。サンディか、クーリフか。
「ちょっと! そこのあんた! うちの騎士を知らない!?」
エリザベートが叫ぶと、サンディか、クーリフか、どちらかの男がこちらを振り返った。
篝火に照らされた顔には、表情一つない。
エリザベートは怯みそうになったが、貴族としてのプライドが勝った。毅然とした態度でもう一度、同じ質問を繰り返す。
それでも男はなにも答えない。エリザベートは、男が片手に木の棒のようなものを持っていることに気が付く。
「あんた……どうするつもり」
エリザベートが問う。答えを貰うまでもない。
男がエリザベートのこめかみ目掛け、棒を強く振った。




