第53話 畔のない道などなく 後
「それじゃあ、例のことを訊いてきますね」
通されたホテルの部屋に軽めの荷物を置いたマリアが、ベッド脇に立つエリザベートに言った。
「ええ」とエリザベートが返す。夕餉に一度、戻って来て進捗を伝えるよう、付け加えて。
例の事というのは、例の、古代遺跡の発掘現場についてだ。エリザベートはこの旅行を計画したとき、マリアにだけはその目的を話しておいた。元々パースペクティブの離れで事情も含めて断片的には聞かせるつもりでいたが、パースペクティブがマリアを拒否したから、断片的の、さらに断片的。ただ遺跡で見つけたいものがあるとしか言っていない。だが、マリアは二つ返事で協力してくれた。
「お食事ですか?」
エリザベートより少し小さいベッドにちょこんと座るコンスタンスが、閉じられた扉の向こうで部屋から遠ざかっていくマリアの気配を追いながら、そう言った。
「なにが」
相変わらず、なにを考えているかわからない時がある。
エリザベートは思う。
「例のことって」
コンスタンスは純粋に不思議そうだった。探りを入れようという気はさらさらなかっただろう。エリザベートがこの質問を無視したとしても、大して気にならないはずだ。
けれどもこの時、エリザベートはコンスタンスがずっとそこにいるのだということを思い出した。いったいどれだけのことを聞いて、どれだけのことを考えたのだろう。それは遡行前も同じだ。この子はどれだけのことを聞いて、そんなことを思っていたのか……クレア・ハーストのそれと同様、時間が戻った今それを確かめる術はない。
一瞬、エリザベートは答えるのを躊躇った。本当のことを言いかけたからだ。
目だけ左上を向いて、考えて……結局エリザベートはコンスタンスにこう言った。
「ま、そんなものでしょ」
何故かはわからなかったし、答えを出すことも避けた。エリザベートにはエリザベートでやることがあった。マリアが戻ってくるまで待機している場所を確保しておきたいのだ。ホテルは手狭だし、話している間だけコンスタンスを外に出しておくというのも、なんとなく気が引けた。
「コンスタンス、靴は履き替えた?」
「えっ? はい。奇麗なものに履き替えました」
「よかった。それじゃあ、外に行きましょう」
「わかりました」
コンスタンスがベッドから飛び降りる。コンスタンスは普段のメード服に加えて、寒さ除けのコートをすっぽりと被り、厚手のブーツを履いている。
エリザベートも馬車に乗っていた時の旅装を脱ぎ捨て、普段着ほどフォーマルではないものの、ドレスとわかる服に着替えていた。
必要な荷物だけを小さめのポーチに入れ、ホテルを出た。
ディミオンに着いてから数時間。日は傾きかけ、労働者たちが仕事終わりに大衆食堂へ列をなして入ろうとしている。
この時間、ディミオンの貴族はあまり外に出ない。平民といっしょに歩くのが嫌だから、夕餉はもう少し遅い時間になる。レストラン側も、貴族向けの価格帯をだしている店はオープンが遅めだ。まだ開いていないところばかりだろう。
コンスタンスが手袋を擦って頬にあてた。そうやって頬を暖めて、冷えてくるとまた手袋を擦る。エリザベートがそれを見ていると、コンスタンスもまたエリザベートのほうを見上げ、こてんと首を傾げた。
「どうかなさいましたか? お嬢さま」
「別になにも」
「どこに出向くんですか?」
「この先にあるカフェがね、食事も出しているみたいなの。今の時間空いている食事処はあまりないから」
市民たちを避け、大通りを歩いた。彼らは道の真ん中を占有して歩いていた。道の端がここでは貴族の場所だ。正面からシルクハットを被った、自分たちと同じ貴族だ。彼らは外套を必要以上に握りしめ、明らかに道の真ん中にいる人々を嫌っていた。すれ違う際、貴族たちは建物の方に除け、エリザベートは道の真ん中のほうへ避けた。
その一方で市民は端を歩く貴族のことは気に留めていない。こちらも外套を被っているものは首元を手で上げているが、寒いからそうしているのだ。
コンスタンスがベレー帽の男と目があい、足を止めた。向こうもそうした。恐らく理由などない。少なくとも言語化はできまい。ただ目が合ったから、なにか言うべきなのかもしれないと体が判断して、けれどお互いに言えることなど何もないからそこで立ち尽くしているのだ。
けれどもお互いになにかを思っていただろう。コンスタンスは能天気だがなにも知らないわけではない。市民はなにも知らないが、能天気ではない。暗い感情であろうが、単純な思いだろうが、なにか思わなければああも見つめ合ったりはしない。
「コンスタンス」
と、エリザベートがコンスタンスを呼んだ。
コンスタンスがエリザベートの元に小走りで寄ってくる。
「なにをぼーっとしてんの」
「申し訳ありません」コンスタンスが頭を下げた。
「ほら、行くよ」
一般市民の多い大通りを曲がると、そこはディミオンのもう一つの”顔”だ。ディミオンは元々、観光資源の多い場所である。立地がよくないため貴族は少ないが、金を持っている市民はよく訪れる。
彼らの落とした金のおかげでディミオンは潤い、いわゆる中流~上流の市民と、一部の貴族たちが利用するように整備された一角がつくられていた。
思った通り、昼餉が終わっているため、まだ空いていない店もある。マリアから指定されたカフェは通りを一つ渡ったところにある、王都風の喫茶店だった。過剰な看板もない。テラス席がいくつか外に設置され、中は二人掛けの席がほとんど、四人掛けのテーブルがいくつか、そしてバーカウンターが一つあった。
エリザベートはここでマリアを待つついでに、夕餉を終わらせてしまおうと考えていた。入口で氏名を記入し、入口手前の席に通された。
ウェイターからメニューを受け取る。さっと見て、簡単な食事で済ませようと決めた。これからやることを考えれば本格的な料理よりも、軽食の方が相応しい。
コンスタンスはしばらく粘った後、メードとしての常識を取り戻し、エリザベートより一つランクの低い食事を頼んだ。
「遠慮しなくてもいい」というと、すぐに別のものを頼んだが。
マリアが現れたのは、およそ二時間後。二杯目の紅茶で何十分かもたせていたときのことだった。入口に現れた鎧姿に外套を着た格好のマリアをテーブルまで呼びつけると、挨拶もなしに「見つけました」と言った。
コンスタンスは柔らかいパンをくちびるで潰しながら、二人の顔を交互に見た。
「コンスタンス、ホテルに一人で戻れるでしょう」
エリザベートが言った。
「はい。問題ありません」
「これホテルのキー。それは食べていいから。支払いは」エリザベートが財布からいくらか札を出す。「これで。余った分は使ってもいい」
「どこかに行くんですか?」
「まあね。ちょっとしたこと」エリザベートは妙に質問するなと思いながらそう言った。「マリア。行こう」
マリアの背中を押し、店の外に出るエリザベート。二人の人影が店の前に立っているのが見えた。汚い恰好をした男二人組だった。さっき大通りで見た一般市民のうち二人だろう。
「サンディと、クーリフです。どちらも発掘現場の作業員」
「中を案内できるって?」
「ええ。今は警備も少ないから忍び込むのは簡単だと。……別に責任者の娘なんですから、そんなことをする必要もないとは思いますが……」
「お父さまにあまり迷惑をかけたくないの。バレたらそう言って乗り切るけど」
「そんなに重要なものですか? 遺跡にあるものは」
「私にはね」
エリザベートがこれ以上なにも聞くなとばかりにマリアを睨みつけた。マリアは両手を上げて降参のポーズをとった。
マリアは大通りまで出るとそこに置いていた馬の鞍に荷物を引っかけ、歩き出した。エリザベートは首に巻いていた布を口元が隠れるところまで上げた。




