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第183話 ブラックスター 後-1

 しばらくの間、膠着状態に入っていた。エリザベートは、その様子を見降ろしていた。マンティスが崩れかけた外壁をよじ登り、エリザベートへ辿り着こうとしている。その後ろ――正確にはその下には、ジュスティーヌとクリスタルがいた。


 エリザベートと同様にマンティスの体当たりから逃れた二人は、エリザベートとは反対に、屋敷の裏手にある、警備兵の訓練施設へ続く畦道の近くに落ちていた。


 ジュスティーヌもクリスタルも泥だらけだが、無事に生きているらしい。エリザベートが屋根の上から見たところ、これといって怪我をしているわけでもなさそうだ。


 ほっと一息つく。問題は、もっと近くにある。


 マンティスはまだ、あの体で外壁を登るのに苦労しているようだ。元々騎士たちとの戦いで重傷を負っていた身だ。時間を置いたことで多少回復したようだが、まだ瀕死には変わりない。そのせいで精密な動きが出来なくなっている。エリザベートたちを屋敷の中で殺せなかったのもそのためだ。それに加えてそもそもあの脚は、今の崩れかけた屋敷にはちょっと重すぎる。


 一方のジュスティーヌはクリスタルの様子を確認し、無事だと判断すると、屋根の上から顔をのぞかせる姉のほうへ視線をやると、間にマンティスがいることなどはお構いなしに、躊躇なく姉に向かって叫んだ。


「お姉さま! 大丈夫なの!」


 エリザベートはひやりとする。ジュスティーヌはなにも考えていないんじゃないかと思いさえする。けれどこのときの彼女は感情的であると同時に、クレバーでもあった。マンティスが現れたあとの一連の動きから、あの怪物がどういうわけか自分の姉に執着していることを察知していたのだ。


 そしてそのうえで、あの怪物をどうにか姉から離せないかと考えてもいるらしい。瓦礫を持って、投げるか投げまいか躊躇している。


「あっち行って! 馬鹿、死にたいの!」


 今度は反対にエリザベートが叫ぶ。もうもうとあがる煙の向こうで、妹がなにをやろうとしているか察して。マンティスの脚が外壁に刺さる音が、いやに鋭く感じた。。あの槍のような脚を見ると、未だに背中に冷たいものが走る。思い出したくないものを思い出す。


 死体になったマリア・ペロー。そして、その他大量の、死体とその傷。ここまで見てきた災禍すべてだ。


 ジュスティーヌを同じ枠には入れたくなかった。


「あんたはお母さまを移動させて! こっちはこっちで何とかするから!」


 エリザベートは言葉が詰まってしまわないように、勢いに任せて言った。そして、会話を交わしていたことでジュスティーヌのほうにもヘイトを向けそうになっていたマンティス目掛けて細かい屋根の破片を蹴って落とした。


 マンティスがもう一度、エリザベートに集中しなおす。


 これに関してはやる瞬間もやったあとも後悔していた。覚悟をしてみたところで、死の恐怖から逃げるのは無理だ。これ以上マンティスを見下ろしているとおかしくなりそうだったため、エリザベートは下を覗くことをやめ、屋根の真ん中を目指した。



「なんとかって言ったって、どうする気なの……」


 ジュスティーヌは視界から消えたエリザベートがついさっきまでいた場所を注視して、焦りを口にする。親指の皮を噛んで考えるが、どう考えても、今の自分がこの場所で出来ることなど限られている。

 

 やがて自分が今出来ないことを受け入れると、エリザベートのいた場所をもう一度見上げ、母親の腕の下に肩を通し、持ち上げた。


                 ▽


 ジュスティーヌは姉を助けるために屋敷の正面にまわろうとしていた。母に肩を貸し、自分もくじいた足に無理をさせながら、焦土と化した屋敷の回りを歩いた。

 

「大丈夫……大丈夫だから……」


 娘に運ばれたクリスタルが、うわごとのように口にする。確かに死ぬような怪我は負っていないが、真っすぐ立つのも難しいはずだ。


 安全で、火に巻かれない場所を探さないと。狩猟小屋を曲がって屋敷の脇に入ると、ジュスティーヌはぐ、と喉を鳴らした。


 燃えたバラ園を見て、胸が苦しくなったのだ。


「ジュスティーヌ……本当に大丈夫、自分で歩けるから……」


 クリスタルがジュスティーヌの腕から逃れ、自分の力で立とうとした。


 大丈夫だから……と言いながら、ふらつきそうになるが、なんとか倒れないように踏ん張る。介抱しようとしたジュスティーヌの手を断り、問題ないことを示すため、数歩前に歩いて見せる。


 結局ふらついてしまったので、クリスタルはジュスティーヌに手を伸ばし、「手を握ってくれるだけでいいわ」と言った。そしてジュスティーヌの手が悲し気に震えているのを見て取って、悲しみを共有し、また優しく微笑んだ。


「また植えましょう。またきっと咲くから」


 ジュスティーヌは頷いた。それと同時に、自分の母親がこんなに気の利いたことを言うとは思わなかった、と考えた。


 失礼な話だが、これまで娘のジュスティーヌから見たクリスタルは、少し趣味の悪い貴族というイメージで、ジュスティーヌの才能も、あまり男子より上手いところを見せないようにとよく言いつけられていたからだ。


 それがもしかすると、クリスタルなりの母の愛というやつなのかもしれないと受け止められたのはつい最近の話で、もっと前は姉と同じように、はっきりとではないが心中ではいつも反抗していたのだ。それがこんなに普遍的で感傷的なことを言うとは。


 ジュスティーヌが驚いていると、クリスタルもそんな自分をおかしく思ったのか、くしゃりと顔を顰めて、悪態をついた。


「ああそれにしても、なくなったものを買いそろえるのはさぞ苦労するでしょうね。ああもう、周りの貴族もみんな家が燃えていればいいのだけど。あなたも、楽器はいったんお休みしなさい。この機会に同情を買って誰か結婚相手を探すのがいいわ」


 ジュスティーヌは空笑いしつつも、前半部分には同意していた。この分ではジュスティーヌが愛用しているヴィオラも気に入っている本や椅子も、全部燃えてしまっているだろう。そんな不幸があるのなら自分だけに降りかかるよりもみんなに降りかかっているほうが、まだ冗談としても通じるだけマシだ。

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