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第117話 知っての通り世界の終わり 中

 もう眠りにつこうかという時間だった。


 マリアは明日に向けて、万が一を想定して武器の手入れをしていた。”雷槍”の先端を粗い布で磨き、クロスボウの弦が緩んでいないことを確認する。その一連の作業が終わると、水を軽く通した布で顔を拭いて、ベッドに入ろうとしていたのだ。


 膝をベッドの端に乗せ、タオルケットを持ち上げていたマリアを引き留めたのは、ドアのノック音だった。素足のまま、壁にナイフを持った手をかけて応対するとコンスタンスがドアと密着しそうなほど近くに立っている。


「なにをしてる?」


 マリアは安堵の息をついた。自分を殺しに来た輩ではないとわかったからだ。廊下に顔を出して左右を確認すると、誰もいなかった。完全にコンスタンス一人だけらしい。


「お嬢さまからなにか言われてきたのか?」


 コンスタンスは黙っていたが、その表情は、なにかをこちらに悟らせようとしているかのようにくるくると変化した。はじめ、出迎えたマリアを見たときは安心したような顔を一瞬、見せたもののすぐ不安な顔になり、エリザベートに言及した後は、焦ったような顔になっている。いまだかつてマリアは、わざとそうしている人間を除いて、これほどまでにわかりやすい人間を見たことはなかったが、コンスタンスに対しては疑う気持ちを持たなかった。


 マリアはコンスタンスを部屋に招き入れた。ガラス製の水入り瓶を傾け、自分と彼女の分をいれたが、コンスタンスは受け取らなかった。


 マリアは拍子抜けしたように肩をすくめ、水で口の中を湿らせる。


「話があるんだろう。ゆっくりでいいから。落ち着いて話せ」


「お、お嬢さまのこと……」


 コンスタンスが呟くようにして言う。


「なんだか、おかしい気がする」


「どのあたりが?」


「えっと、ううん……」


 コンスタンスが口ごもり、自分の頭に手を当てる。まるで材料が揃っていることはわかっているのに、それをどう組み立てればいいかわからないと言っているようだ。


 でもそれでも、コンスタンスはコンスタンスなりに、自分の抱えている悩みを話して言った。ここのところの情緒不安定さから、ついさっきの蛍のことまで。


 けれどもしかし、マリアはそのときコンスタンスの言っていることを、ほとんど本気にはしなかった。一通り聞いた後、落ち着いてもう寝るよう言ったのだった。


「そんなことできないよ……」


 そうコンスタンスは言った。


「出来るさ。出来なくてもどうせ朝は来る。ずっとは起きていられない」


「ねえ、マリア。お嬢さまのそばにいて。私じゃ無理なんだよ……」


 無力感を込めてコンスタンスが言った。マリアはひどく動揺したが、理性は保った。それはもちろん、残酷さも、という意味でもある。


「いいから。お嬢さまに変わったところがあるのは前からだ。あまり気にしないほうがいい。台風のように過ぎ去っていくのを待つんだ。彼女が落ち着くまで」


 我ながらひどいことを言っていると感じる。鈍感なコンスタンスもそう思ったのか思わず口ごもり、ぱちくりとマリアの顔を見て、消沈して顔を伏せてしまった。


「悪い。忘れてくれ。今のは本気じゃない。本当だ」


「うん」


「でもコンスタンス。今の私はなにもできない。これも本当だ。お前がお嬢さまの傍にいるほかない」


「そんなぁ……どうしてよ、マリア……」


「もう少しなんだ。そう思う。もう少ししたら、いられるから……」


 マリアは慈悲を乞うようにそう言うしかない。


 コンスタンスは言い足りず、納得もせず、マリアに食い下がろうとしたが、聞く耳を持たなかった。本当のところは、聞きたくなかったのだ。


 上階のエリザベートの気配を感じる瞬間に、動悸のする胸を抑えていた。猛烈な嫌な予感。しかし恐らくそれは、どの道を行ったとしても付きまとってくるものだ。どれが幻影で、どれが本物の刃か。この胸に受けるまで、それはわからない。


 不安や葛藤に耐えながら、マリアはシャルル王子の案内に従ってカケス寮のトイレの床を割り、旧水道へ続く階段を降りた。


 マリアの無意識は、本当にこれが正しい道かと今さら、いや、今だからこそ、彼女自身に考えさせている。


 エリザベートは、マリアたちの気配を感じていなかった。彼女は薄暗い部屋の中、自分の捕まえた蛍のびんを前に、パースペクティブから送られてきた手紙を読んでいた。


 その手紙というのは、もちろん近況を書いた手紙ではない。庭園に咲く薔薇の様子や、感性の拾った訪れる小鳥のさえずりを記録したものでもない。パースペクティブの手紙は、かねてからエリザベートが彼女に依頼していた”人を探す魔法”に関係している。


 あの古代遺跡で見つけた魔法の本によれば、蛍には”流体”を辿る性質があるのだという。”流体”は、魔術師の足跡のようなものだ。蛍にはそれを感知する器官が備わっている。今回行う魔法は、その器官の力を増幅させるものだった。


 エリザベートは今まで”手紙の魔術師”がこちらによこした紙片を水に濡らし、瓶の外側に張っていった。蛍がまったく見えなくなると、びんから紙が剥がれないよう慎重に水気を拭き取る。ここからが肝心だ。エリザベートはびんを振り回し、蛍を何度もびんの内側に激突させた。何度も振り回していると、突然、蛍が中で発光し、びんのある一方へ何度もこつこつとぶつかり出す。そうしたら、紙を剥がして、蛍のさす方角へ行けばよい。


 エリザベートは終始無言でそれをやった。びんのなかの蛍は、何度も、しかし今度は迷いもなくやらされているでもないように、びんの内側へぶつかった。


 エリザベートは部屋を出た。


 彼女は校舎の人の多いところをさけ、暗い廊下を歩いて行った。マリアの言った通り、今日は催しをやっているらしい。幸い蛍が指しているのはそちらではなく、人が使っていない教室のほうだった。


 蛍のテンポに合わせ、ゆっくりと歩くエリザベートの背後を、二人の人影が付いていっている。片方は小柄で、黒い髪。もう片方は栗色の髪。どちらもメードだった。彼女たちはひそひそと会話しながら、エリザベートの動いた道を辿って歩いて行った。

 



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