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第三章・リルヴの教え01

「――――びええええええんっっっ!」


 脳みそを引っ掻き回されるような泣き声に、アスライは重たい瞼を開く。


(うっ……そうか、あれから浴びるように呑んで……)

 昨晩の記憶が途切れ途切れになっていた。トワを家族に迎える祝い酒だと、自前の酒を出し乾杯したことは覚えているのだが、床には開けた覚えの無い酒瓶がゴロゴロと山になっていた。これ、全部呑んだのか?


「痛ぅ……」

 二日酔いに声が響き、こめかみを揉む。

 先ほどから、ミアがピーピー泣いている。もう一二になるというのに、どうにも幼稚な面が直らない。


「どうしたミア? 何を泣いている?」

 ミアがクスンと鼻を啜り、涙で濡れた瞳を向けてくる。ウェーブの掛かった淡い金色の髪と、豊かな睫毛に縁取られた透き通るような金色の瞳。その表情の可憐さに目を瞠る。いつも底抜けに明るい少女が、いつの間にかこんなにも大人っぽい表情を見せるようになっていた。


「お、お、お……おにいちゃんの、ウワキモノーっ!」

 気のせいだった。やっぱりミアはまだ子供だ。アスライは寝ぼけた頭を覚醒させる。


「何の話だ?」

 誰とも恋仲になっていない者に浮気は出来ない。ミアの糾弾を訝しく思いながらその頬を伝う涙を拭う。感情と行動が直結しているコイツのことだ。またいつもの思い込みだろうが、きちんと聞いてやろう。ミアはアスライの、大切な義妹なのだから。

 ミアはそんな思いも知らず、アスライの傍で毛布に包まり、心地良さそうな寝息を立てているトワを指差す。こんな騒々しい状況にも関わらず、目を覚ます気配は無い。意外に肝が太い。


「だれなのそのオンナは! どうしてほかのヒトとケッコンするの! おにいちゃん、ミアとケッコンするっていったのに!」


「…………」

 なるほど、大体分かった。アスライは苦しげに溜息をつく。


「結婚はしない」


「え? そうなの? だってみんな、おにいちゃんはギシキのあいだ、そのヒトと『たのしいこと』してたっていってたよ。『たのしいこと』ってなに? ミアもおにいちゃんと、『たのしいこと』したい!」


「ぐあああああ…………っっっ!」

 アスライは痛恨の一撃に呻いた。そんな噂が広まっているのか。たった一晩で子供の耳に入るということは、約八〇〇人の同胞全員が知ることになるのは時間の問題。一人一人の誤解を解き、駄々下がりになった自分の信用を回復するのにどれほど苦労することになるのかを想像し、頭痛が倍加する。

 とりあえず、目の前のミアから誤解を解かなければならない。


「いいかミア。コイツは帝国から逃げてきたのを保護しただけで、結婚相手じゃない。楽しいこともしていない。面倒はオレがみるが、姉上と兄上も一緒だ。お前が泣くようなことは何にもしていない」


「……ホント?」


「ああ」


「ホントにホント?」


「ホントにホントだ」

 執拗に確認してきたミアだったが、納得し笑顔になる。


「よかった! ミア、びっくりしちゃった!」


「分かってくれたか」

 安心し胸を撫で下ろすと、ミアが抱きついてくる。そして鼻がくっ付くような近さで言った。


「じゃあおにいちゃん。ミアがオトナになったら、ケッコンしようね!」

 その満面の笑みに、恐怖を覚えた。たかが一二才の義妹の戯言になぜ恐れを抱くのかアスライは理解できず、唇は縫われたかのように開かなくなる。


「ヤクソク、だよ?」

 アスライはミアに見下ろされる。座った状態で肩に置かれたミアの手の力は強く。その瞳は妖しく光り、視線を動かせなくなる。ピンチらしい。ピンチだということは分かるのだが、どう対応すればいいのかアスライの経験の中にはなかった。ふと、猛禽に狙われた鼠の映像が脳裏に浮かぶ。


「邪魔するぜ~」


「失礼します」

 天の助けのように、まるで性質の異なる二つの声が家の中に入っている。


「おっ、アス兄……ぷふーっ!」


「コラ、笑うなリフ。兄上、ご成人とご結婚、おめでとうございます」

 引き剥がしたミアの不満そうな声に知らん振りをしつつ、アスライは入り口を見遣る。

 頭頂の中央で髪を逆立てたバカそうな少年・リフと、眼鏡をかけた利発そうな少年・シウ。

共に一二才。先ほどの反応からして、あの噂を信じているのだろう。この二人にも同じ説明をしなければならないことに、アスライはげんなりする。

 成人という、リルヴ族にとっては最も喜ばしい慶事の翌朝に、なぜだろう、アスライは人生で五指に入る不幸感を覚えていた。



「オレの義弟たちだ。眼鏡をかけたのがシウ。変な頭なのがリフ。元気なのがミアだ」


「ト、トワ、です……」


「……むぅ~」

 トワが起床したところでアスライが新顔の三人を紹介すると、ミアがふんすっと鼻息を荒くする。


「いっとくけど、おにいちゃんはミアのだから、そこんとこよーくおぼえておくよーにっ!」


「は、はい。分かりました……」

 ミアの剣幕に怖気づき、トワがコクコクと首を縦に振る。トワは一五で、ミアは一二なのに、これではどちらが年上なのか。そもそもミアの物になった覚えは無いのだが、それを口にすると厄介なことになることは明らかなので、アスライは黙っていた。


「そんなことよりお前達、わざわざオレの成人を祝いに来たのか?」

 ミアとシウだけならまだしも、リフにそんな律儀さは無い。二人に誘われても、何のかんの理由をつけ断るはずだ。


「あ、そうだった!」

 ミアが大股で物や人を飛び越えていく。


「コラ、兄上を跨ぐな」


「ごめんなさーい」

 寝ているボルドラを跨いだのを注意するが、さっぱり反省している様子はなかった。


「おねえちゃーん、おしごとだよー。おきてー」

 アスライが目線で問い掛けると、シウとリフが揃って肩をすくめる。


「果実採集の護衛です」


「今日は、ライ姉の班が担当だったんだけどなー」

 みーんな寝てやがる、とリフがぼやきつつ酒瓶を手にしたので取り上げる。アスライに「ケチ」と舌を出し、リフがすねる。


「他の大人達は?」


「宴会場でこんな感じです」


「ああ……」

 シウの言葉で、ありありと情景が思い浮かんだ。飲兵衛どもが祝い事に託けて泥酔し、寝むりこけているのだろう。


「やーん」

 妙に艶かしい声に振り返る。


「やーん。おねえちゃん、チューしないでー。おさけくさーい。チューやだー」

 ライラがミアを捕え、キスしまくっていた。抵抗しようにも大人の腕力に敵うわけもなく、ミアは弄ばれていた。

 酔って年端もいかない少女にイタズラする実姉に、アスライは顔を覆った。さっさと嫁にいって欲しいが、こんな変態女、誰が貰ってくれるだろうか。姉の将来が心配でならない弟であった。


「姉上やめてください。こんなことしてないで仕事――う、うぐっ……オレが? …………わかりました……」

 ミアを引き剥がし物申そうとした途端、ライラに睨まれる。その鋭い眼光はこう語っていた――眠いから、アンタが行きなさい。これはお姉ちゃん命令よ、と。

 幼少期から五人の姉に囲まれて育った末弟のアスライにとって、姉の命令は絶対。逆らうことなど、天地がひっくり返ってもありえないことだった。


「……よえー」


「やかましい」

 不条理な姉に嘆きつつリフに言い返し、アスライは自分の大剣を探す。


(……ん? そうか)

 大剣は昨晩、研ぎに出していたのだった。ついっと置物のように大人しいトワを見る。


「トワ、一緒に行こう」


「……え? 私……ですか?」


「ああ、村のことを教える。お前にも仕事をしてもらうから、何が向いているか探してみよう」


「は、はい」

 ミア、シウ、リフ、そしてトワを連れ家を出る。


「シウ。お前たちはメンタークを呼んできてくれ。オレはブラッカスの所へ寄ってから行く」


「分かりました」


「え~? ミアもいっしょにいくー」

 トワがいるせいか、ミアが素直に言うことを聞いてくれない。


「すぐに済む。我がままを言うな」


「う~~。はあい……」

 ミアがしぶしぶといった体でシウ達と歩いていく。アスライとトワは別の方角へ行く。

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