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第一章・リルヴ族のアスライ01

 なぜこの世界には、これほどまでに不幸がありふれているのか。


 惨い遺体の有様に、胸の奥が抉られるように痛んだ。

 まだ一二、三歳ほどの、銀色の髪をした女の子だった。内臓を食い荒らされ、肋骨と背骨が剥き出しになり、木の根元に横たわっている。この山の獣に襲われ、餌食になったのだろう。


 ここセイリーン山脈は、少女が一人で立ち入っていい場所ではなかった。山肌は険しく、樹木は鬱蒼と茂り光を遮る。天候は気紛れに移り変わり、ただの動物とは一線を画す『魔獣』が跋扈する、危険地帯であった。

 だが、そんな難所を越えようとする者が後を絶たない。山の彼方に覇を唱える、ディグナ帝国の悪政の為だ。


 戦争と軍備拡張のための、重税に次ぐ重税。安楽に暮らせるのは貴族だけで、税を払えない平民は男なら徴兵され、女なら心と体を切り売りするような仕事を強いられる。おそらくこの少女も、そんな過酷な境遇から逃れようと一縷の望みに縋り、この山に入ったのだろう。

 その結果がこんな最後など、あまりにも憐れだった。


「すまない」

 少女の傍らにいた者が、黒い外套のフードを外す。すると中から現れたのは、金色の髪と瞳をした、人間離れした美貌の少年だった。

彼の名はアスライ。リルヴ族の若者だ。


 リルヴ族は一八歳になる一ヵ月前から、セイリーン山脈で山篭りをするのが成人の通過儀礼とされていた。アスライはその通過儀礼・『聖山行』を終え下山する途中、少女の遺体を発見したのだった。

 同じ山にいながら彼女の危機を察せられなかった己の無能さに、アスライは歯噛みした。

 せめて供養を――そう思ったとき、


「ッ!」

 アスライは咄嗟に身を翻す。ジャガッ、と暴力的な何かが過ぎり、背負っていた背嚢の紐が切れ、地面に落ちる。

 体勢を立て直したアスライは、襲撃者を視界に収めた。

 剣の様に鋭利な二本の牙と、黒と黄の斑の毛並みをした三メートル超の体躯。セイリーン山脈に出現する魔獣の一種・『牙虎(キバトラ)』だ。少女を死体に変えたのはコイツに違いない。獲物を横取りされるとでも思ったか。


「この少女を殺したのは、お前だな?」

 クアアアアアアッッッ! 牙虎が唸る。

 興奮する魔獣に話しかけても無意味であることは承知している。だが声にして出さないと、己の内に湧き上がる感情を抑えきれないほど、アスライは激昂していた。

 アスライにとって今日という日は、生涯に一度の特別な一日だった。聖山行を終了すれば、一人前の戦士、一人前の男と認められる。リルヴ族の子供はこの日を夢見て一八年の年月を過ごすのだ。アスライは特別にその思いが強かった。なのに最後の最後でこれだ。夢も誇りも踏み躙られたようで、腸がグラグラと煮えくり返っていた。


「……フゥゥゥ――」

 アスライは長く息を吐き、背の大剣を抜いた。一八〇センチを上回る身長と同等の、大きな両刃の剣。それを苦も無く操り構える。だが三メートルを超える牙虎との体格差は明白だった。

 対峙する人と魔獣。両者のサイズの隔たりは、そのまま生物としての力の差だった。魔獣が動物と区別され、その縄張りに人間が立ち入ろうとしないのは、魔獣が絶対的強者であることに他ならない。


(…………?)

 妙だな、とアスライは訝しむ。

絶対的強者である牙虎は、目の前の敵に対し何の行動も取ろうとはしなかった。

通常この魔獣は、樹上から飛び掛ってくる狩りをする。だからアスライは跳躍の瞬間を狙って斬りかかろうとしていたのだが、一向にその気配を見せない。ただゴヒュー、ゴヒュー、と荒い呼吸を繰り返し、涎をダラダラと零しながら真紅の瞳をギラつかせているだけだ。見た目に反して慎重な狩りをする、牙虎らしくない行動だった。


「……ふふっ」

 悩むことなどなかった。木の上でなく地面で戦ってくれるなら願ってもないことだ。思考を切り替えたアスライは、鮮烈な笑みを浮かべる。

 犠牲となった少女を弔うのなら、仇討ちが一番だ。奴の心臓を、墓前に捧げるとしよう。


「弱肉強食は獣の常だろうが、弱者を殺されるのが許せないのは、オレたち人間の常だ。その娘の絶望、晴らさせて貰う」

 アスライは下段に構えていた大剣を、上段する。


「オオオオオオオッ!」

 シャアアアアアッ! 

吼えたアスライの大剣と牙虎の大牙が激突。甲高い音を立て互いに弾かれる。自身の倍以上の体重があろう牙虎に、アスライは当たり負けしない。


「フッ!」

 大剣を躱した牙虎が、空中に居ながら牙を伸ばす。牙虎の牙は伸縮自在で、どの方向にも可動する。アスライは大剣の影に隠れるようにし牙をいなす。アスライが大剣を振るい、身を翻すたび、バチバチと光が瞬いた。

 両者の位置が幾度も入れ替わり、攻防が熾烈さを増す。だがどちらも攻撃は掠りもせず、決定的な場面を作れないでいた。


「【――れ……】」

 薙ぎ払った大剣が空振りし、牙虎が大きく飛び退る――捕えた。

 アスライが右手を突き出すと、牙虎が着地した地点に糸状の光が、蜘蛛の巣のように張り巡らされた。それが牙虎の全身に絡みつく。


「【拘束せよ雷――縛雷(クバイン)】」

 ヂカカッ! と光が、牙虎の全身に走った。

 これは神授。この世界を創造した神・フォルスが、脆弱なヒトに分け与えた神力の一端。中でもリルヴ族は、強力な【雷】の神授が扱える一族であった。それはアスライも同様だった。

 カ……グ…カ…………、外部から加えられた電流によって筋肉を硬直させられた牙虎は動けない。真紅の瞳だけでギロリとアスライを睨みつけるだけで精一杯だ。


「終わりだ」

 紫電一閃。雷光の如き一振りが牙虎を斬り裂く。肋骨ごと心臓を破壊され、牙虎は鮮血を吹き上げながらズゥンッ、と崩れ落ちた。


(仇は取った。迷わず逝け)

 これで少女の魂が恨みでこの世に留まることはないと信じたい。願わくば始祖・リルヴよ。天上でこの少女に慈しみを与え給え――アスライは瞑目し、祖霊が少女を導いてくれることを祈った。

すいません……投稿する順番を間違えました。

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