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Chapter.6

「仕事中だったんだ」

 どこか安心したような、切羽詰まったような声の主は……

「椎木さん……!」

「こんばんは」

 椎木さんは爽やかに挨拶をするけど、私の背筋にザワリと不快感が走る。

「え……、どうして……」

「ごめんね? どうしても会いたいって聞かなくて……」

 苦笑するほのかちゃんの後ろで、椎木さんはニコニコ笑っている。私の頭の中に浮かんだのは、画面いっぱいのメッセの新着通知。

「立ち話もなんやし、お席ご案内したげたら?」

 呆然と立ち尽くす私に店長が優しく促した。ドアの前に二人立っていると、出入口をふさいでしまう。

「あっ、はいっ、すみません。こちらのお席にどうぞ」

 慌ててメニュー表とオーダー票を持って、他のお客さんと同じようにほのかちゃんと椎木さんを店奥のテーブル席へ案内する。そのすぐあとにカウベルの音が聞こえた。出入口が空くのを待っていた人がいたらしい。

「いいかな?」

「どうぞどうぞ。窓際の席でよろしい?」

「うん、悪いね」

「いえいえ、こちらこそ」

 会話と声の感じから、常連の吉野さんだとわかる。そういえばいつもこのくらいの時間に来店してくださるんだった。頭の片隅で思いながら、二人が座った席のテーブルにメニュー表を置く。

 椎木さんは椅子に座るや私のことを見上げて話し始めた。「メッセ送ったんだけどなかなか既読つかないから心配になっちゃってさ」

「すみません、仕事中で……」

雄二(ユウジ)――ほのかちゃんの兄貴に会ってそのこと話してたら、ほのかちゃんが気遣ってくれて、ここ案内してくれたんだ」

「そうですか……」

 ほのかちゃんがそんなことするかなぁ、と疑問を抱きつつ、注文を取るためにテーブルの横に立つけど、一向にオーダーする気配がない。

 メッセの通知と同じように、椎木さんの言葉が続く。

 ほのかちゃんは向かいの席で苦笑いを浮かべながら、メニューを眺めていた。

「あの、お決まりになったころにお伺いしますね」

 椎木さんの言葉を切って話しかける。他のお客さんの手前、ここにだけいるわけにもいかない。

「あぁ、そうだね、ごめんごめん」

 椎木さんが言って、やっとメニューに視線を落とす。

 視線が合ったほのかちゃんが、メニュー表で椎木さんから顔を隠し、声を出さずに口を動かした。“ごめん。”

 その表情は本当に申し訳なさそうで、かなりしつこく聞かれたんだろうことが容易に分かった。苦笑しながらうなずいてカウンターへ戻ると、店長が手招きして私を呼び寄せた。

「困りごとやったら、おれ出るから」

 どうも会話の感じでわかったらしく、心配そうな表情を浮かべている。

「どうにもできなかったら、お願いするかも……」

「本当に困る前に呼びなさい」苦笑を続ける私に、店長が珍しい声色で言い放った。少し、怒ってる……?

「すみません……」

 しょんぼり謝る私に店長が困ったように息を小さく吐いた。

「もうちょっと頼ってよ。心配なんやからさ」

 私にしか聞こえないように、小さく、それでいて強いその言葉が嬉しくて、涙が出そうだった。

「……はい」

 静かにうなずいて、出入り口近くの窓際の席に座る吉野さんのオーダーを取る。店長に内容を伝えてから少しして、奥のテーブルへ行く。やっと決まったようで、椎木さんはサンドイッチとコーヒー、ほのかちゃんはアイスティーを注文した。

「ごめん、伝票別々にできるかな?」

「あ、うん。大丈夫だよ」

「ごめんね? 私、すぐ帰らないといけなくて」

「ううん? 全然。むしろごめん」

 私がすぐに返信しなかったから悪いんだし、二人きりじゃ気まずいだろうしなぁ、と苦笑を浮かべそうになったところで、椎木さんが顔をあげた。

「ねぇ、このあと時間ない?」

「すみません、閉店まで仕事なので……」

「そのあとは?」

「遅くなるので、帰宅します」

「そっかー。じゃあ明日は?」

「明日は……」バイトだけど、バイトですって言うと明日も来そうだし、かといって休みだって嘘つくと店に来られたらバレるし……最適な回答をするために、頭の中を言葉がぐるぐる回る。

「森町さーん」

 困る私の耳に飛び込んだのは、店長の呼び声だった。

「はいっ」

「ちょっとええですか?」

 カウンターから移動して、奥のスペースに顔を出してくれる。

「っ! はい! いま行きます!」

 ごめんなさいと断りを入れてカウンターへ戻ると、先ほどと同じように店長が私を手招きした。

「今日、早上がりする?」

「いえ、それはそれで……」

「あぁ、着いてきそうか……」

 店長が少し思案する。

「余計な詮索やろけど、さっきのスマホ、関係ある?」

 ギクリと心臓が反応する。エプロンのポケットに入っているスマホの画面を思い出す。

 小さく、ぎこちなくうなずくと、店長は困ったようにため息を吐いた。

「そういうのは、もっと早く言いなさい」

 先生のような親のような口調で私を見つめる店長は、迷惑というより寂しそうな顔をしている。

「オーダーの品、できたらおれが持っていくから、森町さんはこっちおって」

「……すみません」

 申し訳なさ過ぎて涙が出そうな私の頭を、カウンター内から伸びた手がくしゃりと撫でた。

「怒ってるんちゃうから」

 店長の大きな手は、不意に鳴ったカウベルの音と共に離れてしまった。

 その手の温もりと感触は、少しの間触れただけでも不思議なほどに安心できた。

「いらっしゃいませ」

「こんばんは」

「こんばんは。お好きな席どうぞ」

 店長の案内で、常連のお客さんがカウンター席に座る。

「じゃあちょっと運んでくるから、お客さん来たら案内お願いします」

「はい」

 カウンターから出て、店長がトレイを持って店の奥へ向かう。きっと私がバイトに入っていないときは、そうやってオーダー品を運んでいるのだろう。ウエイター姿もさまになっていて、こんな心境でなければきっと見とれていたはずだ。

「なんかあったの?」

 カウンター席に座った仁見(ヒトミ)さん(女性の名前みたいだけど名字で、五十代の男性)が、不思議そうに私に問いかけた。

「はい、ちょっと……」

「ふぅん。大変だねぇ」

「すみません……」

「全然? 森町ちゃんがいるのにマスターがオーダー運ぶの珍しいなーって思っただけだから」

「そうですよね」

「うん。わざわざ店長が出る必要ないからね」

「普段は一人でやってるんですよね」

「そう。オーダー取ったり、ああやって運んだりね。ま、僕らみたいな慣れてる人間は、直接もらって勝手に席に持ってっちゃうけどね」

 えへへ、とおどけた笑顔を浮かべて、なごませてくれる。つられて笑顔になった私の横へ、オーダー品を運び終えた店長が戻ってきた。

「うちの可愛いスタッフ、ナンパすんのやめてもらえます~?」

「そんなんしてないでしょー! やめてよマスター、めちゃ言いがかりじゃない」

「じょーだんですって、じょーだん。なににします?」

「今日はココア」

「太りますよ」

「もう太ってるからいいの」

 二人は笑いあって、仁見さんは持っていた鞄の中からタブレットPCを取り出した。

「で、こっちはじょーだんやなくて」店長が私に向き直る。「あっちには無理に行かんでええから。どーしてものときは、なんかあったらおれすぐ行くし」

「でも」

「森町さんおらんときはいつもそうやから、気にせんとって」

 慰めるように頭をポンポンと触って、店長はカウンター内に入る。

 自分がグズグズしていたせいで、ほのかちゃんにも店長にも迷惑をかけてると思うと心が苦しい。でも、誰かの前で正式にお断りするのも申し訳ないし、ましてやいまはお客さんだし、と考えがめぐる。

「あ」カウンターに戻るや店長が口を開けた。

「?」

「頭ポンポンしたん、セクハラで訴えんとってね?」

 おどけた動きで合わせた手を顔の前にあげた。片目をつむってこちらを伺う店長に、思わずふふっと笑ってしまう。「はい」

 固まりかけていた心がほぐされたのがわかる。

 こんなことで実感するのもどうかと思うけど、やっぱり素敵な人だな、と思う。

 だからこれからも今日みたいなことがあったら、きちんとお断りしよう。私には、好きな人がいますって。

 椎木さんには、いつ言えばいいだろう。

 ほかにお客さんがこないか気にしつつ、椎木さんになんて言おうかと考えるけど、こんな経験はしたことがなくて解決策を考えるための足掛かりすらない。

 どうしよう。勤務中だけど店長に相談しようか……と考えていると、ほのかちゃんが伝票を持ってレジにやってきた。椎木さんを残して帰るようだ。

 革製のカルトンに伝票を置いて、私に向いた。

「ごめんね、マジで。しつこくされてるの知らなくて」

「ほのかちゃんは巻き込まれただけなんだし、気にしないで? むしろごめんね?」

「ううん? なんかかえでが帰るまで残るって言ってるけど、大丈夫?」

「うーん、どうだろう……」

 私の言葉を聞いて、ほのかちゃんがチッと舌打ちをした。「兄貴にもついてこさせれば良かった」

「それは申し訳ないよ」

「いや、兄貴もチョーシにのって後押ししたりしてたから」

「そっか……」

「なんか返信こないから心配でとか言ってたけど、椎木さんともメッセ交換してたの?」

「してないよ。さっき急に連絡が来て……最初、メッセ来たとき、誰だかわからなかったんだよね」

「メッセで繋がってる誰かにID聞いたんじゃないかな。こっちが登録してなくても一方的に送れるしさ」

「あー……じゃあ……」

「ナトリさん、かな」

「だよねぇ」

 だったら一言教えてくれても……と思って我に返る。レジを打つ店長がすぐ近くにいて、きっとこの会話も聞かれている。

 ちらりと移した目線に気付いたのはほのかちゃんだった。

「あ、ごめんなさい。お金払います」

「はい、400円になります」

 店長はなにも聞いていなかったようにレジを打つ。

 会計を済ませたほのかちゃんは、そのまま店長を見つめた。「てんちょーさん…ですよね?」

「はい」

「ごめんなさい、あたしがここのこと教えなければよかったんですけど」

「あぁ、ええですよ。一緒におるときはボクがなんとかできますんで」

 店長の心強い言葉に沸いたのは、私じゃなくてほのかちゃんだった。ずいとレジに身を乗り出して

「かえで、本当にいい子なんで! よろしくお願いしますね!」

 奥の席には聞こえないように、強く店長に言った。

「ちょ、ほのかちゃん」

 言外にある意味に気付かれたら、と慌てるけど、店長は爽やかに微笑んで

「お任せください」

 自信ありげに笑みを浮かべた。


 ほのかちゃんが退店した後、静かになった店内で吉野さんと仁見さんが含みのある笑顔を浮かべ、コーヒーを飲んでいる。

「すみませんね、騒がしくて」

 奥の席には聞こえないように店長が言うと、吉野さんも仁見さんも慈愛に満ちた笑顔でゆっくり首を横に振った。

「いやいや、青春だねぇ。ねぇ?」

 仁見さんに問いかけられた吉野さんは、黙ってゆっくりうなずく。

「すみません……」

 出入り口の近くにあるテーブル席に座る吉野さんとカウンター席に座る仁見さんにお辞儀をする。

「いーのいーの。困ったときは大人の男を頼るべきだよ。店長も守る気マンマンみたいだしさ」

「もっと言い方あるでしょ」

 店長は苦笑しつつ、ほのかちゃんが使っていたグラスを洗ってる。

 嬉しいのと申し訳ないのと恥ずかしいのと困ったのと……様々な感情が入り乱れる私に、普段は物静かな吉野さんがぽつりと言った。

「こういうときに守ってくれる男を、大事にするといい」

「くぁー! 吉野さんかっこいー!」

 仁見さんが満面の笑みで合いの手を入れる。

 私と店長は顔を見合わせて、困ったような照れたような笑みを浮かべていた。

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