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Chapter.12

 玄関に入ると、繋いでいた手が離れた。佐奈田さんは靴を脱いで、廊下にあがる。

「お邪魔します……」

「はい、どうぞ」

 心臓が飛び出そうなほどドキドキしている。呑みすぎたのもあるけど、絶対にそれだけじゃない。

 店の二階にある佐奈田さんの自宅へ上がるのは初めてだ。

 玄関から廊下を通ってリビングへ。店の敷地とほぼ同じ広さの室内は、整理整頓されていてモデルルームのよう。生活感がなさすぎて、ちょっと驚く。

「酔い醒ましになんか飲み? 冷蔵庫んなか、飲みもん入ってるから」

 言って、佐奈田さんがキッチンへ移動した。あとを着いていくと冷蔵庫の前でおいでと手招きされる。

(かわいいな……)

 普段かっこいいのに、そういうギャップあるのズルいと思う。

 少しうつむいて佐奈田さんの近くに行き、開いたドアから冷蔵庫の中を見た。

 ペットボトルのお水や炭酸水、缶のお酒が何種類か冷やされている。食材はほとんどなくて、調味料がいくつか並んでいるだけ。

 お店では料理するのに、おうちではしないんだ……。

 新たな発見をしつつ

「お水、いただきます」

 庫内から一本のペットボトルを取り出した。冷蔵庫から流れる冷気が、ほてった頬に気持ちいい。

「少し落ち着いたら、おいとましますね」

 急に冷静さが戻ってきて恥ずかしくなる。振り返って離れようとしたけど、佐奈田さんが開いたドアに手をかけていて、進むことができない。

「あ、あの……」

「今度にせぇへん?」

「え?」

「帰るの」

 一瞬理解できなくて、でもすぐに意味がわかって、驚きと恥ずかしさと嬉しさで胸が締め付けられる。

 佐奈田さんのつぶらな瞳が私を見つめる。少し潤んで、キラキラ光ってる。

 照れくさくて少し迷って、でもこの機会を逃したらもうこの先会えなくなっちゃうって事実が、私の背中を押した。

 言葉のかわりに小さくうなずいて、佐奈田さんの提案を受け入れた。

 私より少しだけ高い身長分をかがんで縮めて、佐奈田さんが私の唇にそっと、キスを落とす。

「……好きや」

 小さく、つぶやくような告白。

 嬉しくて、それだけでもう満足してしまいそうだ。

「私も、好き、です」

「うん、知ってた」

 佐奈田さんは冗談めかすように小さく笑って、またキスを落とす。

「身体冷えたな。リビング行かへん?」

 まだほてる私の頬に手を添えて、佐奈田さんが親指でそっと撫でた。

「はい」

 冷蔵庫を閉めた手でさりげなく私の手を取る。細く長い指、大きな手が、私の手を簡単に包み込んだ。

「うそみたい……」思っただけなはずの言葉が耳に聞こえる。無意識に声に出してしまった。

「そう? 俺は決めてたけど」

「なにをですか?」

「もり……かえでちゃんがうちを卒業したら、そうなろうって」

「そうって?」

「恋人同士になろって」

 聞きたくて誘導した言葉をいざ本当に聞くと、思いのほか照れ臭かった。

「いつから、ですか?」

「ん? どっち? 俺が気付いてたの? 俺が好きになったの?」

「……どっちも、です」

 よくばりやなぁ、と佐奈田さんが笑って、リビングのソファに座った。私もその隣に並んで座る。手はつないだままだから、お水を開けるのはやめてテーブルに置いた。

 すぐあとに佐奈田さんが取って、足の間に挟んで片手で蓋を開ける。「はい」

「ありがとうございます」

 渡されたお水を一口飲む。冷えたお水が意識を少し覚醒させる。いま起きていることが現実なんだと優しく教えられたみたいで、より照れくさくなった。

「好きでいてくれてるんかな、って気付いたんは……いつやろな」

 佐奈田さんが手の繋ぎ方を変えた。指と指を絡ませる、いわゆる“恋人繋ぎ”にしてソファの座面に置く。佐奈田さんの体温がより伝わってきて、指先からじわじわと実感がわいてくる。

「あるとき、急に。あれ、このコおれのこと好きなんちゃう? って。気付いたっていうか、そうやったらええな、かも」

 その答えがとても意外だった。私のことを異性として意識してるだなんて思ってもなかった。

「そうなんですね……」

「うん。ほんで、好きやなぁって気付いたんは……かえでちゃんがうちの店辞めるって言ってきたとき」

「え。最近ですね」

「そらそやろー。お店のバイトの子に手ぇ出す店長とか、男としても人としても信用尺度低すぎやわ」

 佐奈田さんが笑う。

「やから、まぁ、気付かんようにしてたーが正解かな。ありきたりやけどな」

「わかります。私もなんで」

 私の答えに佐奈田さんがうつむいて、少し苦しそうに、それでいて嬉しそうに顔をゆがめた。

「……そっか。いつか言ってきてくれたらどうしよ、とか妄想してたけど、いらん世話やったか」

 ふふっ、と笑った私に呼応して、佐奈田さんも照れたように笑う。

「同じ、だったんですね」

「そやね」

 嬉しそうに目を細めた佐奈田さんが、優しく私を引き寄せてキスをした。甘えるようなその動作がなんだか意外で、照れくさくて、まともに顔が見られない。

「……ほんとの最初は、あのときかも」

「?」

「合コンかなんかで一緒なった人が、店に来て迫ってたことあったやろ?」

「あぁ、ありましたね」

 申し訳ない話だけど、もうその人の名前を思い出せない。

「そんときさ、思ってもみなかった感情が湧いたんよな」

「どんなですか?」

「はっきりとは覚えてないけど、なんやろ。奪われる、みたいな。焦ったんはよぅ覚えてる。やから、その日からそれにかこつけて、家まで送るようになった」

「業務の一環じゃなかったんですね」

「ちゃうちゃう。そんな面倒なこと、どうでもえぇ思ってるコにはよぅせんよ」佐奈田さんは苦笑しながら続けた。「妹みたいに思ってるんかなぁって考えたこともあったけど、やっぱ違うんやな~って感じたんは、あのときが一番強かったかもなぁ」

 少し遠い目をしながら、私の髪を撫で続ける。静かで、穏やかな夜。

「それって、けっこう早い時期ですよね」

「そうよ? どんだけやきもきしたか」

 そんな風に想っててくれてたんだって嬉しくて、そっと寄りかかってみたら、佐奈田さんはそれを受け入れてくれた。

「かえでちゃんはどんどん綺麗になってくし、ほんま……何度くじけて告ろかな思ったことか」

「綺麗、ですか?」

「うん。なんか急にな。好きな人でもできたか思って、ちょっと焦った」

「それは、ずっと佐奈田さんですけど……」

「……おれのため?」

「はい」

「そっか……それは、嬉しいな」

「それは良かったです」

「ちゅうか、送ってくとき、手ぇつないだりしてたやろ。気付かんかった?」

「……勘違いだったらいやだなって思って……」

「そっかぁ……もっとはっきり示したら良かったなぁ」

「そうですね……でも、これで良かったかな、って思います」

「……せやな」

 二人で身を寄せて、体温を感じられるいまが幸せでたまらない。

「……デリカシーないこと聞くけどさ」

「はい?」

「いままで、誰かとお付き合いしたことある?」

「……ない、です」

「……はじめて?」

「はい」

「ぜんぶ?」

「……はい……」

「そっかぁ」

 佐奈田さんは黙ってしばらく考えて。

「大事にしたいから、無理矢理したりはせぇへんねんけど……」

 明らかに途中でやめた言葉の先を、

「けど?」

 言葉尻を繰り返して促してみる。

「……いつまで我慢したらええかな」

「……デリカシーないですよ」

「そうよな、ごめん」

 少し大げさに口を尖らせた私に笑いかけて、そっと抱き寄せる。

「こんな感じやったんやなー」

 耳元に響く嬉しそうな声。

「佐奈田さんは思ってたよりガッチリしてますね」

「一応鍛えてるからなぁ。体力いるし」

「そうですよね」

 お客さんがいるときはほぼ立ちっぱなしで接客をしているし、仕入れているコーヒー豆は一袋がかなり重い。ただオーダーを聞いて出来上がった品を出すだけの私より、もっと大変なはずだ。

「もう、みんなに恋人って紹介してもいい?」

「もちろん」

 さっきまで抱いていた寂しさは全部、嬉しさに姿を変えた。

 嬉しくて、幸せで、このまま溶けてしまいそうだった。

「いつまで我慢できるかわからんけど、ちょっと挑戦してみるわ」

 佐奈田さんの言葉を聞いて、先ほどの質問をはぐらかしてしまったのに気付き我に返る。

「そんなに、無理しなくて、大丈夫……です」

 なんだか催促したみたいになって恥ずかしいけど、大事なことだしうやむやにしたくなかった。

「そう?」

 少し心配そうな声色の言葉に、黙ってうなずく。

「うん。じゃあ、徐々にね」

 少し力が強くなった腕の中で、そのぬくもりに身をゆだねる。いつかこれだけじゃ満足できなくなっちゃうのかなぁ、なんて贅沢なことを考える。経験がないから、どういうものなのかはまだわからない。

「かえでちゃんさぁ」

「はい」

「就職して落ち着いたら、うち()ぉへん?」

「はい。遊びにきます」

「いや、ちゃうくて」

「え?」

 私が聞き返すと、佐奈田さんが身体を離して目線を合わせた。

「うちに、引っ越して()ぉへん? まぁまぁ広いし、不自由はしないと思うんやけど」

「えっ……いいんですか……?」

「いきなり重たい?」

「いえっ! 全然! 嬉しい、です。けど」

「けど?」

「びっくりというか、意外で……」

「おれ、次付き合うコとは結婚前提で~って思ってて。あ、それ先ゆうたら返事変わってたか」

 おどけたように言う佐奈田さんが妙に可愛くて、愛しくなって少し笑った。

「なんかおかしいことゆうた?」

「いえ」

「で? 変わっちゃう?」

 返事を催促して、期待に満ちた瞳が私を見つめている。否定なんてするわけない。

「変わらないです。ぜひ、お願いします」

「そっか……良かった」

 佐奈田さんは安心したように、また私を抱きしめた。

「もう四十手前のおっさんやけど、よろしくな」

「ふふっ、はい。私も早く大人になれるように頑張りますね」

「かえでちゃんは、そのままでええよ。もう、じゅーぶん魅力的」

 手放しな褒め言葉が照れくさくて嬉しくて、飛んでいってしまいそうだったから、私も佐奈田さんの細くて筋肉質な身体を抱きしめる。


 ようやっと叶った私の初恋はそれからずっと、後退したり前進したりしながら続いていった。


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