第三話 よろしくと言えば良いのか
生きるのが苦しかったから不死兵になったのよと、二年前に戦場で頭を吹っ飛ばされた同僚が言っていた。
自分はどうだったのだろうかと、彼女の命日が近づくたびに空を見上げてルネは思った。
「だからね! 怪我を治すためにも、ルネさんはもっと食事を取るべきなんですよ!」
手当てを受けた翌日、往診に来たクラウィスはそう言った。
傷を治すためとは言うものの、ルネの怪我はすでにほとんど治っている。
治すために消耗した体力を回復するために食事は確かにルネには必要だが、自分は彼女たちにとって敵。
それをこの子は分かっているのだろうかと、他人事ながらルネは少々心配になった。
「いや、私は捕虜だから……」
「だから!?」
「だからと言われてもね」
短い間に、このやりとりを何度しただろうか。たぶん考え方が違うのだろう。
彼女は衛生兵としてやるべき事、言うべき事を言っているだけ。しかしルネにしてみれば自分は敵で、傷なんて再生するのだから意味がない。
両者のこの考えの溝はなかなか深い。
たまに様子を見に来るノヴァからすると、
「クラウィスの病気みたいなものだから諦めて」
との事らしい。諦めても何も、指揮官がそれで良いのだろうか。
しかし自分は捕まっている身。なのでルネは何とも言えない気持ちでそれに従った。
(何だかまるで人間扱いされているみたい)
捕虜としてどうなのだとも言える感想だが、ルネは素直にそう思った。
不死兵になってから、人間扱いされないのにはルネは慣れていた。腕や足が千切れても再生する人間なんてただの化け物だ。
そんな化け物が、まさか人間扱いされるなんてルネは夢にも思わなかった。しかも人間扱いしてくれたのは敵兵である。
妙な事もあるものだ。
そんな風に思っていると、シャッとテントが開く。
「おーす、隊長~。ここかい、不死兵なんてもんがいるのは」
そんな声と共に飛び込んできたのは、ノヴァ達と同じ軍服を来た、彼より一回りほど歳の大きい男だった。
こげ茶の髪に、橙色の目をした四十代くらいの男。無精ひげを生やした口にタバコを加えている。
それを見てクラウィスが目を吊り上げた。
「怪我人の前でタバコ吸わないで下さいよう、マチスさん!」
「おお、悪い悪い」
マチスと呼ばれた男は、クラウィスに注意されて慌ててタバコを口から外すと、携帯用の灰皿にしまった。
そのあとでひょいと体を傾けてルネの顔を覗き込む。
「へぇ~不死兵なんて言っても、見た目は普通なんだな」
「ボンキュッボンでなくて悪かったですね」
ルネがそう答えてみせると、マチスは「ぶはっ」と噴き出した。
タバコの匂いが鼻についてルネは顔を顰める。昔から、どうもこのタバコという嗜好品の臭いは好きになれない。
しかしマチスはお構いなしと言った様子でケラケラ笑っている。
「その表現古いわぁ」
「うちではこれが現役なんですよ」
「マジか。そっちの流行どうなってんのよ。うちだとひと世代前だぜ」
からかうような口調のマチスを、ノヴァが「やめなさい」と止めた。
マチスは口では「悪い悪い」なんて言っていたが、まぁ言葉だけのものだろう。
「俺はマチスだ。この人の補佐官を務めてる。よろしくなってのも変な話だが、よろしくな」
「あ、ええと、どうも」
何と答えたら良いか微妙に困ったので、ルネは素っ気なく答えた。
しかしマチスは気にした風でもなく、ひらひらと軽く手を振ってから、ノヴァの方へ顔を向ける。
「で、隊長。本題だがよ。本部のお偉いさんが明後日、視察にくるって連絡が来たぜ」
「中央の? このタイミングで?」
「ああ。マルコの奴が、不死兵を捕まえたって連絡したらしくてよ」
「あいつか……」
名前を聞いて、ノヴァが露骨に顔を顰めた。
「報告はこちらのタイミングですると言っておいたのに、余計な事を」
「あいつ昇進したがってるからなぁ。ちょうど良い手土産が出来たって思ったんだろ」
そこでちらりとマチスがルネを見た。
話を聞く限り、どうやら彼らの上司が不死兵を見にここへ来るらしい。
なるほど、その時がついに解剖かなんてルネが思っていると、
「兄さん。マルコをぶっ飛ばして来て良いですか」
なんてクラウィスが物騒な事を言い出した。
「ダメ。っていうか、出来ないでしょ、クラウィスのへろへろパンチじゃ」
「先日の戦いで負った傷に、一番沁みる消毒液を塗りこむくらいはできるわ!」
「地味にエグいんだが」
「だって、マルコはいつも兄さんの邪魔ばっかりしてるもの! それにルネさんは……」
頬を膨らませて怒るクラウィスが、最後まで言い切る前にルネは、
「敵ですよ」
と言葉を挟んだ。三人分の視線がルネに集まる。
「それで捕虜です。普通の反応ですよ、それがね。少なくとも、うちが捕まえた捕虜は恐らくそうされていました」
ルネがそう言うと、クラウィスは何か言いたそうに――でも何も言えなくなった様子で唇を噛む。
ノヴァとマチスの表情は変わらないが、彼らも彼らで黙ってしまった。
「本部が来れば、あんたは連れて行かれて拷問されるだろう」
「そうですか」
「……怖くないのか?」
「別に。だって私は不死兵です。怪我も痛みも慣れっこですよ。それに」
そこでルネは言葉を一度言葉を区切って、
「不死兵になる時の手術と比べれば、大抵のことはそれ以下ですよ」
と言った。
ルネの言葉に三人は沈黙する。
静かになったテントの中。外では小鳥の囀りだけが、チチチと穏やかに響いていた。