第十一話 まるで心配されているみたい
森へ入って直ぐに、ルネ達は三匹のアンブルと遭遇した。遠くで他の班が戦っている音も聞こえてくる。
三匹とは妙なバランスだ。基本的にアンブルは番で動く。だからそこに一匹混ざっているのは珍しい。
つまりこの内の一匹が、先の戦いで番を失くしたアンブルなのだろう。マチスとアサギリが二匹を仕留めた後で、残りの一匹と対峙しながらルネは思った。
アンブルいう獣を実際に見るのはルネも初めてだった。
映像記録としては予習しているが、目の前に来るとその巨大さと恐ろしさが伝わってくる。
血走った目。剥き出しの牙。振り上げられた鋭い爪を生やした腕。
戦場で相まみえる敵とは違う恐ろしさを持ったものが、そこにはあった。
「よっこいせっとぉ!」
アサギリが掛け声と共に軍刀を振るう。
その刃はアンブルの腕を斬り付けるが、結晶化された箇所のせいで途中で止まる。
「硬っ!」
「アサギリ、右!」
掛け声と共にマチスが散弾銃を撃つ。短い指示であったにも関わらず、彼女はタイミングを合わせてアンブルから距離を取った。
息の合った連携だ。それに何より落ち着いている。その戦いなれた様子に、ルネは自分との実戦経験の差を感じた。
「マチスくん、こいつだけすっごく硬いよ、これさぁー!」
「だろうなぁ。結晶部分がやけに多いわ。とにかくそこを避けてけ避けてけ」
「でもさー急所ほとんど結晶で守られてるのよねーえ」
どうしようか、とアサギリはマチスに聞く。
「じわじわ行くしかねーだろ。動き削ぐか」
「オーケー、腕か足ねー」
軽い調子で交わされるやり取りの中で、作戦が組み上がる。
本当に戦いなれている。元々傭兵仲間だったという事もあるだろうが、見事なものだった。
反対に、マルコの動きはぎこちない。二人の動きについて行くのがやっという様子った。
ルネも人の事は言えないが、他人に合わせて動くという不死兵としての経験が活きていた。
マチスとアサギリの動きを見ながら、アンブルの体に向けて銃弾を叩き込む。自動拳銃さまさまだ。
「くそ……!」
悔しそうなマルコの声が耳に届く。時折ルネは彼からの視線を感じていた。
上手く戦えない自分とルネを比較して苛立っているようだ。
「うわーっ?」
その時、アサギリの驚く声が聞こえた。
目をやれば斬りかかったアサギリの軍刀を、アンブルが結晶化した腕で受け、そのまま力任せに弾いた所だった。
アサギリは大きく宙に飛ぶ。アンブルは彼女に向かってもう片方の手を突き上げ、鋭利なその爪でアサギリの体を狙う。
「やらせるかよ!」
その腕に向かってマチスが至近距離で銃を撃つ。放たれたスラッグ弾がアンブルの腕を吹き飛ばす。
しかしアンブルは怯まない。残った片手でマチスを薙ぎ払った。
「ぐうっ!」
マチスは数歩分飛ばされる。アサギリもアンブルとは距離が出来た。
一番近い位置にいるのはルネとマルコだ。アンブルの目が二人を捉えた。
「ルネ、マルコ! 別れて走れ!」
直ぐにマチスが指示を出す。
だが――――、
「ひ……!?」
マルコの動きが止まった。アンブルと目が合ってしまったからだ。
明確な殺意がアンブルの目から放たれている。刃物のような視線に貫かれ、マルコの体はガタガタと震え出した。
(ああ、これは駄目そう)
ルネはそう判断する。恐怖で思考が止まった人間には、落ち着かせるまでは何を言っても効果がない。
つまりマルコは逃げられない。ルネが逃げれば、狙いはマルコ一人だ。
「仕事」
小さく呟いてルネは銃をホルスターにしまう。
それを見てマチスがぎょっと声を上げる。
「ルネ? おい、どうした!」
「どうしたも何も。――――よもや、不死兵の戦い方をご存じない?」
おどけた調子でそう言うと、ルネは手榴弾を手に持つ。
そして地面を蹴ってアンブルに向かって走る。
「え? あ、おい――――!?」
悲鳴のようなマルコの声が聞こえる。だけどルネはお構いなしだ。
距離が近づく。
アンブルの間合いに入る。ルネをターゲットに定める。
口が開いた。牙が見える。
そのタイミングでルネは手榴弾のピンを抜く。
そして。
「召し上がれッ!」
アンブルの口の中に、手榴弾を持った腕を突き入れた。
「!?」
息をのむ声が耳に届く。誰のものかは分からない。
その直後に閉じられた口。骨が折れ、腕が食いちぎられる音が響いた。
激痛にルネは顔をしかめると、アンブルの巨躯を蹴り飛ばし、空中で回転しながら距離を取る。
――――少しして、アンブルの体の中で、手榴弾が爆発した。
「一匹」
アンブルが倒れるのを見てルネは呟く。外が硬くても内側まではそうじゃない。
手榴弾だけなら投げ入れるのは難しいが、餌つきならば別だろう。
上手く言ったなとホッとするルネ。失われた腕からはぼたぼたと血が落ちている。
ルネは痛みを誤魔化すように息を吐いた。その僅かな間であっても、出血が止まり、ルネの腕は少しずつ再生を始める。
「あ、ああ……ああ……ばけ、もの」
それを見て、マルコが呟いた。
囁き程度の声量だった。しかし、その静けさの中において、彼の声はやけに大きく響く。
化け物なんて言われ慣れている。さして気にする言葉でもない。
なのでルネが聞き流していると、
「――――ッ」
こちらへ駆け寄って来ていたマチスが、突然、マルコを殴り飛ばした。
これにはルネもぎょっとした。何事かとマチスを見れば、彼はとても険しい顔をしている。
「……マルコ。お前、命を張ってくれた奴に向かって、その言葉は何だ!」
「…………あ、あ」
射貫くような目で見下ろされ、マルコは言葉を失う。
マチスはマルコを一瞥すると今度はルネの方を向いた。顔は険しいままだ。
ぎくり、とルネの肩が跳ねる。
「お前もだ、ルネ・アインス。何て馬鹿な戦い方をしやがる!」
「……私は不死兵として駆り出されたのでは」
「ああ、そうだな。だとしても、命を粗末にするんじゃねぇ! あのまま食いつかれたままだったら、爆発でお前、頭吹っ飛んでたかもしれねぇだろう! そうじゃなくてもだ!」
びりびりと空気が震えるような声だった。
ルネはマチスが何故怒っているのが良く分からない。だって、これでは、まるで――――。
「まぁまぁマチスくーん。ほらさー、そんなに怒っちゃだめだってぇー。聞いた事に答えられなくなっちゃうでしょー? 私達も悪かったしさーあー」
「……アサギリ」
「うん。でもねー、私もマチスくんの気持ちはすっごく良くわかるなー」
怒りを露にするマチスとは対照的に、アサギリはいつも通りだ。
ふわふわと掴みどころのない口調でマチスを止めると、アサギリはまずルネを見る。
「ルネちゃん。それが不死兵の戦い方なんだねぇー」
「え、ええ」
「痛いでしょ?」
「……それは、まぁ」
「私達もね、見ててすっごく痛い。見た目もだけど、君が生きようとしないのが伝わってくるから」
「――――」
穏やかな口調だった。けれどその眼差しは、マチスと同じく鋭い。
「私は」
別に。
そう言いかけて、言葉が出なかった。
何故か分からない。けれど見透かされたような気持ちになった。
ルネは何度も唇を濡らして否定しようとしたが、どうしても出来ない。
アサギリはそんなルネを見て、少しだけ眼差しを和らげて、
「敵でも不死兵でも、お嬢を助けてくれたルネちゃんには、出来る限り無事でいてほしいなぁ」
と言った。マチスも表情は怖いままだったが、
「……そういう事。手榴弾を許可した時点で、ツヴァイ大佐はお前さんが何をするか理解していただろう。だけど、頼むからやめてくれ。肝が冷える」
と言った。そこでルネは初めて、マチスやアサギリが自分を心配してくれているという事に気が付いた。
だからマチスは怒ったのだ。
気付いて、ルネはとても困ってしまって、
「…………ごめん、なさい?」
とりあえず謝罪すると、マチスがため息を吐く。
「疑問系にするんじゃないっての」
「あははー、まー及第点じゃなーい?」
アサギリは明るくそう言うと、それから、
「マチスくん。この周囲にはもうアンブルの気配はないしー、いったん野営地に戻ろうっかー。私、マルコくん連れてくから、ルネちゃんよろしくぅー」
と提案し、マルコの方へ歩き出した。
マチスは一度だけマルコを見ると「そうだな」と頷いた。
それから彼はルネの方へ近づき、
「歩けるか?」
「あ、はい。足は無事なので」
「そうか。なら、ゆっくり行くぞ」
ルネはマチスに支えられる形で歩き出す。
マルコを一度見たが、彼は項垂れたままだ。だがアサギリがついているから大丈夫ではあるだろう。
それよりも。
(……生きようとしない、か)
マチスやアサギリに言われた言葉が、頭の中から離れない。
ルネはどうしてか苦しい気持ちになりながら、野営地に向かった。




