孤独への道
言葉が分からなくなる。最初はそれが聞き取りづらかったんだと思っていた。会話の中のほんの一部、時間にして1~2秒程度相手が話したことが分からなくなった。
それは、日本語を聞いていると理解はできても、その言葉が何を意味しているのか全くイメージがわかないし、理解ができないということだった。
そんなことくらい誰にでもある。もちろん私だってそうだった。聞き取れないことくらいでギャーギャー騒ぐほどバカではない。そう思っていた。
日本語の意味を理解できない時間はいつの間にか長くなっていった。それは2秒、3秒、4秒と。時間が長くなると、比例して恐怖は大きくなっていった。
やっぱりおかしいんだ。やっぱり悪くなってるんだ。
怖くなって、私は周りの友達に現状を伝えた。
周りにどれだけ真剣に訴えても、返ってきた言葉は大体これだった。友達にも、家族にも。
「それくらい、自分にもあるよ」
そう言って自分の時はこうだったーとか、ああだったーとか話し出す。
この言葉が一体どれほど私を傷つけ、失望させてきたか。そして、憤らせてきたか。
そんな事くらい分かってる!!誰にでも聞き取れない時がある事くらい知ってる!!現に私だって経験してきた!異常だって言ってるのに、何で信じてくれないの!?何が私にもある、だよ。全然違うから言ってんだよ!違うって、おかしいって、これだけ言ってるのに!!なら、一回経験してみろよ!今までの感覚と明らかに違うから!
ギャフンと言わせたかった。
間違ってたんだと言わせたかった。
ごめんなさいと言わたかった。
でも、そんなドラマのようなことは起こらなかった。分かったのは、自分がどれだけおかしいんだと、分かって欲しいんだと伝えても、理解する気のない人、理解できる程の想像力がない人には何を言っても無駄だということだった。
これは私が病気に関して何か声を出すということを諦め、たった一人で立ち向かうしかない、という失望による決意を固めることに拍車をかけた。
何を言っても信じてもらえない。
何を言っても無駄。
どうせわかってくれやしない。
ただ、私が完全に口を閉じ、一人で立ち向かうことを寸前で止めてくれていたのは、この状況を理解して寄り添ってくれる、数少ない「本当の友達」だった。
病状は悪化していく。いたずらがどんどんエスカレートするように。石が坂を速度を増しながら転がっていくように。
そのうち、私は聞いている言葉が突然「日本語」にすら聞こえなくなった。それはどの国の言語にも似ていない、まるで様々な言語をでたらめに組み合わせた造語を聞いているようだった。
聞いたことのない発音。
聞いたことのない音の羅列。
それはこんな感じである。
「昨日さ、好きな漫画の新刊出てて、めちゃめちゃ面白かった!絶対に読んだ方がいい!」
これが
「昨日さ、好きぷぁげるわんぷそつごんどぅなかった!絶対に読らんな方がでぃぎ!」
という様に。何語を話しているのか分からない。急に日本語に戻り、また訳の分からない言葉に戻る。それを会話の中で何度も繰り返す。何を伝えようとしてくれてるのか分からない。
だから言おうと思った。
「今、なんて言ったの?」
けれど、私の口から日本語はうまくでなくなっていた。頭の中でイメージはできている。伝えたいことだってわかっている。それなのに、それなのに、うまく頭の中で日本語にできない。
言った。
何。
今。
これが頭の中で浮かぶだけ。何をどう伝えればいいのか分からない。
授業でさえも、うまく聞き取れなかった。
先生、何を話してるの?
何を教えてるの?
視界の中で寝ているクラスメイトを見つけては、
どうして、私は聞きたくても聞き取れないの?
と思うようになった。
これはほんの一週間程の間のことで、恐るべき速さで悪化した。そう、これがほんの一週間程で起こったことだ。
悔しかった。孤独だった。悲しかった。苦しかった。そして何よりも、怖かった。
これは疲れてるだけ。
大丈夫。
大丈夫。
きっとよくなる。
考えすぎだよ。
考えすぎ。
大丈夫。
それは必死に自分で言い聞かせている言葉だった。大丈夫だと、なんの根拠もなくそう言い聞かせる。それでも私の本心はまるで違った。
おかしい。
どうなってるの?
どうして信じてくれないの?
どうしたらいいの?
こんなの病院に行ってもどうせストレスとかで済まされる。そうじゃないのに。全然違うのに。
信じてくれない人が周りにいると、自然と言葉は出せなかった。言っても無駄なんだと、また悔しい思いをするのだと、もう、失望したり傷ついたりしたくないと思う気持ちでいっぱいだった。
私はあの時ただ一言、言いたかった。
誰か、助けて。