異変2
その異変は、ほんの数日の間に劇的な変化を見せた。
そう、この時私が一番怖かったのはこの症状の悪化のスピードが異常なほどに早かったこと。
最初は物忘れが多くなったなという程度だった。それが、ほんの1週間程の間に常に1、2個何かを忘れている気がするようになり、さらに常に3、4個何かを忘れている感覚に襲われるようになった。日々悪化していくのが嫌でも分かるのだ。
電車の中での事は今でもはっきりと覚えている。
朝の電車の中で「これだけは忘れたくない!」と頭の中で繰り返していた。絶対に忘れたくない大切なこと。頭の中でグルグルと繰り返し、忘れないようにと必死になっていた。
忘れたくない
忘れたくない
覚えていてやる
絶対に忘れてやるものか!
忘れたくない
今、何を考えていたんだっけ?
忘れたくないと思った次の瞬間頭の中からそれは消えていた。今でも何を忘れたかは分からず、あの朝一体何を忘れてしまったのか分からない。
残っているのは「忘れたくないと思った大切な何かが頭の中から消えてしまった」という事実だけだった。
今考えていることも消えてしまう。それはどんなに強く忘れたくないと思っても。
例えば、友達の誕生日プレゼントをマフラーにしようと考えているとしたら、私の頭の中でその考えはこう消えていく。
友達の誕生日プレゼントをマフラーにしよう
友達の誕生日プレゼント、何にするんだっけ
友達の誕生日の、何を考えてたんだろう
友達の何を考えてたんだろう
私はそもそも何を考えてたんだろう
そして次の瞬間には、もう考えていたことすら忘れている。頭に残っているのは何かを考えて歩いていたという体の動き、仕草だけ。恐らく何かを考えていたのだろうという感覚。考えていた事はもう決して思い出すこと思い出すことはできないのだ。
こんな風に、少しずつ記憶は削れ、否応なしに消えていくのだ。それが自分にとってどれ程大切な記憶なのか、もう分からないのだ。
そのうち、私からは何かを忘れている感覚さえなくなっていった。「~しないといけなかったでしょう」と言われても、そんな事聞いたこともない。それでも周りの人達は皆その事を聞いていて知っており、私もまた聞いていたのだ。聞いていたという事実すら、私の頭の中にはない。ほんの少しの記憶さえ、残っていないのだ。
早出の日は必ず覚えていて、かつ一度も遅刻したことはなかったのに、その日が早出の日など聞いた覚えもなく遅刻してしまう。それは誰にでもある忘れてたというものではなく、確実な脳の違和感と「断片すらない」という感覚で、初めて聞くという表現が一番近かった。
自分では分かっている。それが今まで経験してきた「うっかりしてた」「忘れてた」という感覚とはまるで違うこと。忘れないようにと必死で頭の中で繰り返す記憶が、無理矢理端から削れ、消えていく感覚。そしてその感覚は決して本当の意味で理解されなかった。
もちろん中には理解しようと寄り添ってくれた友達もいた。大丈夫?と声をかけてくれた。私はきっと、真っ青な顔をしていたんだろうと思う。ただ、寄り添ってくれただけでも、私には本当にありがたかった。
そんな友達の名前が思い出せなくなった時、私は言葉がでなかった。
私は、こんなに大切な人達の事すら忘れてしまうのか?
両親には伝えてもみたがまるで相手にされず、おかしいと思って調べても同じ症状の病気はなく、何科に診察すればいいのかも見当もつかなかった。その時にはそもそもこれが病気なのかも分からなかったから。
精神的なもの、ストレス、私の不調はほとんどがこれで、小さい頃から診断がついたことなんて数えるくらいしかなかった。だからこそストレスかもしれない。ストレス発散すれば治るかもしれない。そんな事に期待して、症状の悪化と共に裏切られるのだ。
日に日に悪化していく事は、どんなに嫌でも手に取るように分かってしまう。確実に違う何かが自分の記憶を壊していく。それでもその時の私は自分に当てはまる病気はないかと探すくらいしかできなかった。
ただ、私の頭のなかにあったのはこんな気持ちばかりだった。
次は一体何を忘れるんだろう。
何が分からなくなるんだろう。
大切な友達のことも忘れてしまうのかな。
顔も分からなくなるのかな。
今日話したことも、明日には消えてしまうのかな。
どうしたらいいんだろう。
私は、どこまで忘れてしまうんだろう。
どうしたらいい?
どうしたら止まる?
どうしたら信じてもらえる?
友達と話しているときでさえ、頭の中では「この話の内容も忘れてしまうかもしれない」という想いが常にあった。
友達の名前を覚えていられること
友達の顔が分かること
昨日話した続きが分かること
ほんの少しの事が私にしてみれば奇跡だった。1週間足らずで、物忘れが多くなったなという程度から記憶障害は一気に進んでいた。
そしてそれは記憶が消えていくだけに留まらなかった。
言葉が理解できなくなることの恐怖は計り知れないものだった。