残された光☆
侍女のメルディは【召喚の間】まで急いだ。
異世界から召喚された聖女さまが、この世界で何も奇跡を起こさず、闇に連れ去られてしまった。
【魔族の王】の誕生と【召喚の儀】は、密接な関係にあると聞いている。
召喚が成功した時点で、魔族の王が誕生している証拠だということは、古くから文献に記されているらしい。
闇に消える聖女さまを見たのは私だけで、それが魔族の仕業かどうかまでは分からない。
聖女さまが消えた事実だけが残っている。全ての判断は、姫さまに委ねるべきだと思った。
「どうしました、メルディ」
「ラルメールさま、申し訳ありません。聖女さまが……いなくなりました」
この【召喚の間】に残っているのはラルメールのみだ。
淡く輝く湯船を見ていたところを、メルディが駆け寄ってきたので、その時点で何かが起こった事だけは分かった。
慌ててはいるが、まずは落ち着けなくてはいけない。
「二度手間になる前に、あなたが聖女さまを抱きかかえた後の事から説明しなさい」
「はい、ラルメールさま」
メルディは感情を交えず、事実だけを報告する。
湯船から出てきた聖女は女性騎士達をすり抜け、出入り口付近で崩れ落ちるように意識を失った。
指示によりバスタオルを持って戻っていたので、倒れる前に広げて聖女さまをそのまま抱きかかえた。
手伝いの侍女も付き添い、指示通り部屋まで案内をする。それからは熱いという言葉と息苦しくしていたので、ベッドまで運んだ後に赤い下着らしきものを取り、バスローブで緩く包んでからベッドに寝かせた。
手伝いの侍女に飲み物を頼み、この部屋の警備を頼む為に、少しだけ部屋を出た。
少しすると、部屋から何か声が聞こえてくるではないか。
異世界からやってきた聖女さまは、この世界の言葉が通じるのだろうか?
そんな不安を抱えながら、心を落ち着けてドアを開けた……すると。
「闇に飲み込まれていたのですか……」
「はい、申し訳ございません」
「貴女に落ち度はないと思います。それで、他に怪しいものは見ましたか?」
「いいえ。見た限りではありませんでした」
「ラルメールさま!」
「デリア、報告があるのですね」
「はい。このフロア内をくまなく探しましたが、聖女さまの姿は……」
「二人の話から判断すると、召喚に失敗したのでしょう」
一言で言えば、未熟な技術だったのかもしれない。
【召喚の儀】とは異なる世界に穴を開け、魔力を使ってあちら側からこちら側に呼び込む儀式魔法だ。
人や動物はその世界に紐ついている。いわゆる輪廻という概念だ。肉体は器に過ぎず、最終的には魂が重要となる。
釣りで言うならば網に入れる直前で、仕掛けをバラされた感じだった。
多分、聖女さまはあちらの世界で無事なのだろう。この世界の希望が潰えただけで……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
湯船からは湯気が上がっている。あれから結構な時間が経つが、一向に冷める気配をみせない。
光輝くお湯を見ながら、とりあえず陛下と兄に報告をしなければならないと、ラルメールは考えていた。
そこに慌ててやってきたのは、神殿の女性司祭だった。
「フラウ司祭さま。呼び立ててしまい、申し訳ありません」
「いいえ、ラルメールさま。召喚された方が聖女さまなら、神殿がお世話する決まりです。聖女さまはどちらに?」
「それが……、儀式は失敗したようです」
「聖女さまが、ご降臨されたと聞いたのですが……」
「一度はこの世界に顕現なさいました。そして、元の世界に戻ってしまわれたようです。これを残して」
「これは……、どのようなものなのでしょうか?」
フラウ司祭の質問に、ラルメールがその時の状況を答える。
そこから導き出された推論は、やはり『洗礼』のようなイメージだった。
この圧倒的な光からは悪しき力が感じられず、もしかすると聖女さまが力を得ている過程だったのかもしれない。
フラウ司祭が光を問題ないと判断したので、ラルメールの決意は固まった。ラルメールは衣服の紐を解き、ファサっと地面に落とす。あっけにとられているメルディとデリアをよそに、下着まで脱ぎだそうとした。
「ラルメールさま、何をなさっているのですか?」
「デリア、そこをどきなさい」
「いかにフラウ司祭が太鼓判を押そうとも、安全が確認出来るまでは……」
「その確認はいつ終わるのです? それまで、この光が輝いている保障は?」
「それでも、ラルメールさまが試される必要はありません」
ラルメールが湯船に進むのを拒む女騎士デリア。確かに一国の王女が、自ら実験台に上る必要はない。
その言葉がすんなり受け入れられたからこそ、メルディは湯船に右腕をつけた。
「熱っ……」
「メルディ、何をしているのです?」
「デリアさま。誰かが確認をする必要があるなら、それは私の仕事です」
「やってしまったものは仕方がありません。それで、大丈夫なのですか?」
「はい……、ラルメールさま。でも、ここに入るのは正直無理だと思います。今バスローブを持ってきます」
「待ちなさい、メルディ。聖女さまは確かにここに入っていたわ。きっと何か……そう、あの赤い布が……」
「それならば、まだあの部屋にあります」
メルディは急いで赤い布を持ってこようと、部屋を出て行った。
全ての報告は、この試みが終わってからということでまとまった。
【召喚の儀】の責任者であるラルメールが、入ることを譲らなかったからだ。
密偵の話では、魔族の国に大きな変化はまだ起きていないらしい。
この平和な世の中がいつ終わるのか? 異変を感じた時には既に遅く、国だけの滅亡で済めば良いほうだ。
全ては【勇者/聖女】を中心に人が集まり、魔族の王を討つことで終わる。
本来の王女の立場なら、それなりの地位のところに嫁ぐ必要がある。
ただ王家には時折、重要なスキルを授かることがあった。
その一つが今回の【召喚の儀】で役立ち、責任者としてラルメールが手を上げたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これは下着なのでしょうか?」
「それにしては材質が違いすぎます。きっと、女性専用の『洗礼』の正装なのでしょう」
「ラルメールさま、本当に入るのでしょうか?」
「フラウ司祭・デリア・メルディ。全ては私の責任のもとに行います。もしもの時は、私の名前を出してそれぞれの場所に報告をお願いします」
この衣装は限りなく下着に近かった。
ラルメールは装着するのに少し抵抗があったが、『洗礼』の正装ならば否定をする要素はまるでない。
湯船に入るのに一段だけ小さな台を置き、ラルメールは光の中に身を投げ出す覚悟を固めた。