偽物魔女と創3
「エス」
同時だった。カタカタと屋敷が軋んだ。甲高く鳴く壁は限界を告げ、ビアは何が起こったのだろうとでもいう様に軽く眉を潜めた。ひゅっとすべてのものが浮いたかと思うと――。
どんっと鈍い音と共に崩れ落ちた。まるで砂塵に還るように。屋敷ごと崩れ去ったために辺りはかなり見晴らしが良くなっていた。とは言っても包む闇にそれほどあたりの状況は分からない。ただ分かるのは私たちを睨み付けている影がたくさんいると言う事だった。
グルル。聞き覚えのある唸り声。何処からの光を反射しているのかその目は爛々と輝いて私たちを捉えて離さない。
おそらくこの時を待っていたのだろう。嫌なことに仲間を増やして――魔獣が悪魔に勝てるとも思えないけれどこのままでは――。暗く深く沈みそうな思考。それを弾く様にして声が辺りに響いていた。
「なっさけないよね。けっきょく子供に頼るんだから。大人ってばかだよね」
「……」
「……」
まるで綿あめのようにフワリとした光源が柔らかく辺りを照らす。その光源の下に立つのは天使のような幼い少年。ニコリと微笑む顔は愛らしく右手に持った絵本が良く似合う。
「アル?」
何故こんなところにいるのだろうか。『外』に居るはずでは――とまで考えて私はこうろちゃんが寝ていたはずのベッドに顔を向けていた。
ベッドなんてものはもうない。あるのは瓦礫の山だけでそれはもう原型を留めてはいなかった。
まさか。
ごくりと息を飲む。瓦礫の下敷きに名てしまったのだろうか。
「……お前のどの辺が大人か言ってみなよぅ。――年取り過ぎて化石だよね? 若作りもいいとこだよ」
はんっとビアが笑うがそれは余裕がないように見える。ぎりぎりと噛み締めた奥歯と些か泳ぐ目。それをまっすぐに見ながらアルは笑いかけていた。
怖い。先ほどまでとは違う意味で――胃が痛くなりそうな怖さだった。ピリピリした空気は肌に当たって痛い気がする。
ともかく未だ睨み合いながら嫌味の応酬をしている二人を無視して私は重く動かない身体を腕で引きずるようにして進む。瓦礫をかき分けながら。
「――つ」
ガラスの破片で指先を切れば些細な痛み。ジワリと滲む血を舐めとると再び身体を動かそうとする。
「何してるの」
「――こうろちゃんが」
いかないと。大変なことになっていたら私の所為だ。失念していた。すっかり。そのおかげか何なのかビアも気づかない――気も留めなかったのしれないがそれは良かったと思う。
きゅっと拳を握りしめ再び腕に力を籠める。目指す場所はそれ度遠くない。もう少し。もう――。
「痛くないの? おねーちゃん」
……。
……。
覗き込まれた双眸に固まってしまった。
そこにあるのは窪んだ――まるで骸骨のような少女の顔でなく、柔らかそうな頬と大きな双眸を持った幼い子供がいる。
一瞬誰かは分からなかった。けれど居るのはただ一人しかいない。
私は慌てて身体が重いことも痛い事も忘れて身起こすと縋る様に、確かめるようにして少女の身体を抱きしめていた。
――温かい。生きてる。
触ったところから熱が伝わり涙が出そうだった。
「良かった。巻き込まれたかと、傷は?」
手早く視線を身体自由に滑らせ、手足を触るが見た所どこにも異変は無いようで私は小さく息を付いた。
再び本人に『大丈夫?』と問えば何故か嬉しそうに笑うので今度は盛大に息を吐き出す。それが本当かどうかこれ以上は分からないけれどとりあえず『良し』でいいのだろうか。
ともかく少し落ち着けば、身体の鈍さがすぐに戻って来た。まるで鉛を抱えているようで何をするにしても酷く重く、億劫だった。――態勢を維持することですら異様に疲れる。
その身体を懸命に支えながら少女に目を向けた。
「……でも、どうして」
眠っていたのだは無かっただろうか。魔力が発動していたことも一切分からなかったし――それよりもその身体が回復すると言う事がありえないことだった。
魔力で疲弊しきった身体は本来回復することが難しい。魔力で身体を満たせば回復するのかもしれないけれど――膨大な魔力が必要になるはずだ。
うん。と首を捻っているとなぜかフワリト地面から身体が離れるのを感じ慌てて顔を上げる。
「――エス?」
「忘れてたか?」
いや。忘れていたわけではない。頭から離れていただけで――というより『大丈夫』と思っていただけだ。
良い言い方をすれば。
「ううん。信じてた」
こんな事では死なない。死ぬはずはない。と。私は手を伸ばしエスの肩にしがみつく様にして抱きしめていた。体温が温かい。微かに早くなる心臓の音。それは誰の物か分からなかったけれどどうでも良かった。
嬉しい――言葉が心の中を支配する。
「戻ってくれてありがとう――エス」
「……」
大きな手が慰める様に背中を撫でる。優しい手に涙が零れそうだった。
「昔とは大違いだね」
「――大人だからな」
「大きくなったもんね」
私は少しだって大きくならないけどと苦笑を浮かべて見せた。
私は少しだって大きくならないけどと苦笑を浮かべて見せた。
が――刹那。
地を揺らすような振動と共に巻き起こる爆発音。弾ける様に反応したのはエスで、私とこうろを両脇に抱え地面を蹴っていた。
人間とは段違いの跳躍力。初めに居た場所から数メートルほどだろうか離れた所で私たちは地面に降ろされていた。
「な――」
すっと無表情で剣を握る。その目の先には埃と瓦礫。灯には照らされてはいるものの幾段か小さくなったそれに闇夜が浸食してよく見えなかった。
「おねーちゃん」
上擦る声に私は宥める様にして少女の頭を撫で、いざというときの為に身体の奥で残り少ない魔力を練る。
前は傷と痛みで分からなかったけれど――魔力がスルスルと身体から抜けているのが私にも分かった。流れ込むよりも早く――それはまるで栓の抜けた桶のようだった。
使ってしまえばエスに負担がかかるかもしれない。けれど。私は顔を上げ歯を食いしばった。
使える力があるのに、使わないのはおかしいから。
「大丈夫。私が護るから。こうろちゃん頑張ってくれたし――今度は私の番だよ」
にこりと笑いかけてからエスに『ごめん』と言えば『問題ない』と帰って来た。
「アル」
それから一拍おいてエスが呼べば『なぁに』と小首を傾げながらアルがどこからともなく現れた。『わぁああ』と驚いた様に声を上げてしがみついたのはこうろちゃんで。何も反応しない私たちにつまらないと言いたげに口をとがらせて見せる。
「何してんだよ。お前」
「何って。抵抗というかキレられただけだよ?」
不思議そうにこてんと首を傾げればエスがため息一つ。アルの肩越しに視線を投げてから死んだ魚のような目で視線をアルに戻した。
「で?」
「ああなった」
えへへ。と笑う。『ああ』――ってどうだろう。けれど嫌な予感しかしない。私は眉を潜めて埃が漂う世界に目を凝らした。
虫が炎に焼かれるようなノイズが耳に届く。不快に纏わりく様な空気。ジワリと滲む汗に本能が『ダメだ』と告げている気がした。
灯は闇に抗う様に点滅を繰り返し、何かが焦げた様な臭いは一層きな臭くなる。
「何?」
もはや護っているのか縋っているのか自分でも分からなかった。けれどこうしていれば少しは『頑張れる』そんな気がしたのだ。こうろちやんの身体をしっかりと抱きすくめる。
そんな私たちを守る様にエスが前に出、剣の柄を握り直した。
「魔力の暴走。一時的に辺りの力を吸って力を上げる――で、その代りに意識を失くすってやつ。何してくれてんだ。マジで」
「えー僕のせいじゃないよね? 弱いにーちゃんのせいだとおもうよ」
でも、まぁ。付け加えるとニコリと笑って見せる。それにエスの眉は大きく跳ねた。苛ついた様に。というか苛ついている。紛れもなく。
じりりと私はエスに距離を詰めていた。とりあえず中身が何であろうと子供だし。そんな事をしないと思うけれど。
そんな私に気付いたのだろか『大丈夫だよぅ』とひらひらアルが手を振っている。
「あいつ馬鹿になったんだから僕は必要ないよね。カラちゃんは僕が護るから。――未だ巻き付いている『契約』切って来いよ」
何が大丈夫なんだろう。――空気に皹が入るような音が。てめぇと低く唸る様に聞こえるのは間違いではない。そんな事なんて無視するようにアルはぱっと顔を上げた。なんだか嬉しそうだ。そしてその嬉しそうな顔は大抵エスにとって良くないこと――だと思う。
「ああ。そうだ。早く帰ってこないと、カラちゃんにどれだけにーちゃんがへんたいかを教えるからね――例えば」
言いかける言葉を遮るようにエスは剣で中を薙いだ。
「いい、やめろ。分かった。というかお前のご主人様もずいぶん変態だと――」
「……変態ってなに?」
変わった趣味の事だろうか。そんな物持っていなかったように思う。というかエスの趣味って何だろう。家事――は生活だし。仕事……って何してるんだろうか。よく考えたら知らないな。
うーんっと考えながら言うと二人とも何故か固まっている。
「……そこまで」
なぜか冷たい視線を送られるとそれから逃れるようにエスは踵を返した。
「行ってくる」
――刹那。耳を塞ぎたくなるような咆哮を合図とするかのようにエスはぐっと剣を握りしめると地面を低く這うようにして駆けていった。




