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偽物魔女と創2

 耳元で声がして私は全身を粟立てた。首元に伸びる手。それは今にも掻き切りそうで、ごくりと唾を飲み込んでいた。


「はな、して」


 クスリとビアが笑うのが分かる。それをより一層に怒りを増したようなエスの双眸が捉えていた。顰めた眉と噛み締めた奥歯が微かに焦りを滲ませていた。


 おかしい。余裕がない。エスが居る限り私は死なないのに。どうしたのだろうか。


「私はね。すぐに殺しちゃうからすぐに飢える。だから」


「――カラから離れろ。今すぐに」


「だって嬲って殺すほど面倒なことは無いから。それに私は人間がよく分からないんだよね。どこをどうすれば苦しんで、輝きを増すのか」


 無視するように言葉を続けるビア。私の傷口に触れるとその血を口許に持って行き――舐めた。


 おいしくない。呟くベア。美味しい血なんてあるのだろうか。


 ともかく。このままだとエスが動けない。けれど私が即退場すればここの結界が持たない。回らない頭を必死で回す。


「離れろ、と言っている」


「えす、だいじょうぶ、だよ。あのね――こうろちゃんと、にげ、てほしい、の。わたし、のこと、いい。えす、いきていれば、だいじょうぶ……あんしんする」


 伝わっただろうか。エスの眉間の皴がかなり深くなった。ぐっと一文字に閉じられた口許は何かを言おうとして閉ざされる。


 こんな時まで私の言う事を聞いてくれないのだろうか。それが今は一番だと思うんだけれど。それはとても悲しいことのような気がした。


「安心――ねぇ。逃げるか? エスール。私は逃げても構わないんだけど」


 嘲笑にエスが低く『黙れ』とだけ呟いた。怒り過ぎて表情が無い。ただ闇様に人形のような顔と爛々と獣のように輝く双眸が浮いている。それ自体がまるで光っているかのようだった。


「え、す」


 私は大丈夫。もう一度そう言いたかったけれど絞り出すように出していた声はもはや声にならなくなってきていた。


 代わりにひゅうと空気が抜ける音だけが響いた。


 私は死ぬのだろうか。


 死なない。そう分かってはいても――そう思う。靄が掛かる様にいろんな物が遠くなる。ぐらりと手放しそうになる意識を必死に手繰り寄せ固定する。


「――ああ。そうだ。ならこうしよう」


「どうでもいい」


 エスは吐き捨て、持っていた剣を握り直した。


「お前が私にすべてを寄越せば離してやってもいいぞ――そうだ。ついでにこの傷も治してあげようか?」


 回復魔法が使えるのだろうか。稀な魔法で『魔』が使えるなんて聞いたことも無い。彼等にはきっと必要のないものだったから。であるのでそれが本当か嘘かは私には分からなかった。


 けれど。『すべて』とは。


「それは契約しろと? お前に下れと?」


 静かな言葉にドクンと小さく脈打っていた心臓が揺れる。


「違うな。半身になれと言っている――安い物だろう? 娘の傷は治るぞ――ここで『それ』が使えるのは私だけだ」


「――だめ」


 私は考える前に声を必死に絞り出していた。まだ声が出る。それは自分でも驚くほどに。ぐっと首を上げてエスを見れば彼は驚いた様に目を見開いていた。


「だめ。そんなの。おかーさんゆるさない」


 それはきっと『幸せ』じやない。そう思うから。


「だ――」


「カラ! 喋るな!」


 エスが慌てた様に言えば首にあった指が喉にめり込んだ。『ぐ』と小さくエスが喉を鳴らす。それを見てビアがカラカラと笑って見せた。


「まだ喋るか――すごいな。痛みも少しは緩和されているとはいえ……どうだろ? 傷を治して『あそこ』に戻しても面白いだろうな。全く持って無くなったことはもったいない」


 這う視線にゾワリと悪寒がする。それを弾く様にしてエスが剣で空間を薙いだ。ダンッと床に突き刺さる。


「――お前。ビア、俺が諦めたらお前が『死ぬ』って言う事を知ってるよな?」


「諦めないだろう? 私が傷を治せば少しは報われるんじゃないか。……それでも流れはもとに戻らないけれどな」


 どうする。


 低く響いた声にエスは目を伏せた。まるで思案するように。そこは考えるべきところではないと思う。


 大体、本当を言っているのか分からないし、守るとは限らない。いやこのままいけば守らない気がしてならなかった。そのぐらい同じ『魔』であれば分かっているはずなのに。


 私が助からないことなんてどうでもいい。このまま死んでしまっても構わない――けど。


 ポロリと涙がこぼれた。


「え。す」


 ため息一つ。パッと剣から手を放すと軽く両手を上げる。それが一瞬どういう事なのか理解できなかった。


「分かった、分かった。はいはい。ビアは強い強い――だから早く治してくんない? できないなら今すぐに――諦めてお前を殺すぞ」


 強く低くなる語尾と鋭い眼光はしっかりとビアを捉える。それに臆することも無くビアは小さく肩を竦めて見せた。


「……だめ、――だ」


 嫌だ。そんなの。


「契約成立――っと」


 ドンっと背中を押されて私は床に転がった。ベタリ、流れた血が頬と髪に張り付く。慣れきった血の味。それを噛みしめながら私はエスを見上げた。


 伸ばしかけた手を引っ込めるとエスは小さく笑う。


「大丈夫だよ」


 何が? 一体何が『大丈夫』だと言うのだろう。軽くなりつつある身体。はっきりしてきた意識。血のめぐりが元に戻るのを感じる。治っているのだろう――治せるとは本当の事だったが……私の身体は未だに動かなかったし強い後悔の念が支配していた。


 こんなことはどうだっていいのに。


 何もできなくて、足手まといにしかならない自分に涙が出てきた。出来れば子供のように大泣きしたいところだけれど、その体力もなさそうだった。


 悔しくて口許を強く結ぶ。


 いつだってそうだ。


「ま、しばらく疲労で動けないだろうな」


 スツと立ち上がるとビアはエスの肩に軽く手を置いた。


 絶世の美男美女。人ではない何かの組み合わせはまるで昔読んだ絵本の挿絵に見える。王子様とお姫様。


 二人は幸せなキスをして終了――。


 そこまで考えてぞわっと何かが心の奥から湧き上がるのを感じた。それはとても気持ち悪く嫌なもの。それを出したくなくて吐き気を抑えるときのようにぐっと手で押し込めた。


 感じたことはある。けれど――ここまで這う様に湧き上がって来たことは無かった。


 いつだって、心の奥に。見ない振りして鍵を掛ける。その感情。『なにか』なんて分からない、理解できない。


 けれど。


 ドクン。ドクンと心臓が強く波打つ。嫌だと心が喚く。


「だめっ」


 表情が再び無くなった――もしかしたら感情を閉ざしてしまったのかもしれないと思える――エスの横で少しだけビアが眼を見張った。


「……疲労で眠るかと思えばまだか。なんならここで『見ていくか』」


「だめ――いや」


 小刻みに震える手に力を入れどうにかして上半身を起こし、私はエスに目を向けた。やはりその表情からは何も見えない。何も読み取れない。もしかしたら、ベアに魔法で何かされたのかもしれない。


 酷いことを。


「契約したんだよ。喚いても意味がない。私たちは契約に縛られる生き物だからね」


 守るか守らないかは別として――とは言わなかった。嘘つきと私は小さく呟くがそれが聞こえた様子は無かった。


 ぎゅっと再び口許を固く結ぶ。


「……契約なら、はな(・・)から私がしてる。二重契約は破棄しない限り無効。貴女に権利はないよ」


 ビアが不思議そうに眉を跳ねた。


「何のだ? お前が持っているすべてはお前との契約に基づいたものではないだろう?」


 『なぁ』とビアが呼びかけるがエスは冷たく目線をビアに流すだけ。ビアは小さく肩を竦める。


「……エス」


 私はまっすぐにエスを見つめた。


 いいや。


 ある。


 私は一度死んだ。それは家族に会う前に。両親なんて見ることなんてできなかった。エスは言ったんだ。


 『その死体俺が貰う代わりに最後の願い叶える』と。


 何故叶えなかったのか分からないけれど。


 だけどそれには感謝してる。私はぐっと口許を結んで喉から絞り出すようにして声を紡いだ。


「契約は果たされてない。私は『家族』の元で死にたいって昔言ったよね? ――エスは家族じゃないの?」


「無駄だと思うけどね。そんな事より」


 ビアが楽しそうに私の顎を持ち上げて覗き込んだ。その瞳の奥に嗜虐的な色が灯っているのがわかる。ゾワリとした悪寒。けれど負けたくなくてビアを見返した。


「知ってる? も一度死んだらもう完全に『戻れなくなる』って。奴はあんなになってもお前の身体に力を流し込んでいる。器が力を満たすことはもうなく、駄々漏れの状態。つまりどういうことだかわかるか?」


「死ぬ?」


 おめてとう。ニコリ笑うと興味なさそうに私の頬を掌で弾いた。それは決して優しい行動ではなくパンと軽く音が響き渡り、私の視界が揺れるほどだ。


 痛みなんてとうの昔に麻痺はしているが思わず『ぐっ』という声が漏れた。


 耳に届く『ひゅっ』と空気を裂く音。それはいつか聞いた音に似ていて、『殺される』のだと分かった。今度は誰も、誰一人として助けてくれる人はいない。


 罰を受けて死にたい――ずっとそう思っていたけれど。


 生きたいなんて思ってはいけないのに――。どうしてか思う。願う。それが本能であるのかもしれない。生物の。私は生きていないけれど。それでも。


 生きたい。


 手を伸ばした先にはエスの姿。


「私は――貴方と生きたいよ」


 誰も居なくても、二人でも幸せだった。誰よりも何よりも幸せな時間だった。


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