間話--曇天
最近、また筋肉が付いた気がする。――いや。良いんだけど。ますます本来の姿から離れて行っているような気がして空を仰いでいた。
曇天。この街の空は晴れることはないし雨が降り出すこともない。死と灰が降り注ぐ白と黒の世界の中で俺は目の前でひたすら作業を繰り返していた。
手に走る鈍い衝撃。赤黒い血で持っていた柄が滑る。それを持ち直して、俺は持っていた剣を一閃した。
どしゃりと地面に落ちる『魔獣』の死体を眺めながらため息一つ。これでここは最後だろうか。
「――ったく。あの女。いい加減にしろよ? おいっ。お前ら無事無事か?」
言うと街の隅に隠れていた人間がポツリ、ポツリ出てきた。女が一人。男が三人。子供が二人。不安と恐怖。その目には光が灯っていないように思える。
「ありがとうございます」
本当にそう思っているのだろうか。抑揚なく女が子供を抱きしめ呟く様に言う。
まあ、それも仕方のないことなのだろう――そう理解する。別に俺は『ありがとう』と感謝されたかったわけではんないのだし。本当は『人間』なんてどうでもいいのだけれど、見殺しにすればきっと嫌われるだろうから。尤ももう嫌われたかもしれないけれどと俺は苦笑を浮かべて見せた。
考えていると母親の手を振りほどいて子供たちが掛けてくる。
少女と少年が俺にタックルするようにしてしがみついた。痛くは無いが――邪魔だ。
「おにいちゃん、にんげん?」
「にんげん――?」
『こら、やめなさい』真っ青な顔で女が叫んでいる。ただ、一定の距離を詰めることはなかった。おそらく俺が怖いのかそれとも助けたことで信頼されているのか。ただ、口をパクパクさせている。
そんな女に『問題ない』と目くばせすれば女は不安そうにこちらを見ているだけだった。
「おまえら――怪我は?」
俺は子供たちの目線に腰を落とすと『だいじょうぶ』と少年が答え『だいじょうぶ―』と言葉を辿る様に少女が続ける。楽しそうに。
先ほどとは打って変わったキラキラした双眸が眩しい。何となくだけれど、昔の俺たちを思い出していた。こんなにあの子は幼くなかったけれど。
二人で幸せだったように思う。俺は目を細めていた。
「そか。怪我がなくて良かった」
「うんっ。おにいちゃんが助けてくれたし怪我はないよ」
えへんと胸を張る少年の横で少女が俺の袖をクイクイと引っ張った。
「あのね、あのね、おにいちゃん、にんげん?」
少女の声に俺はどう答えていいのか分からない。外見上は『人間』のつもりなのだけれど何かおかしいだろうか。髪――は黒く染めているし。だから皆脅えるのかもしれない。うーんと考える。疲れるし、もはやいみが無い気がして猫被りもする気はない。
「どうしてそう思うのか?」
「だってきれいだから」
言うと少女が不思議そうに首をかしげていた。
「ああ――ええと」
どう言えばいいのかさらに分からない。確かに顔の造形はいいと自身でも思う。それを結構な武器にもして来たけれど――正直一番使いたい人間には効かないと言う悲しい思いをしている。
何故だろう。やはり子供のころから一緒に居るからだろうか。もはやそんな位置にいない気がする。
何をしても。
「それに強いし」
少年が眼を輝かせて俺を見てくる。ただ、俺にはそれが助け船のように思えた。
「ああ――それは苦労したからだ。お前も今から練習すればこんなくらいにはなると思うぞ?」
俺もそのくらい――多分人間の年で六か七くらいだったように思うし。魔力が使えないなら努力するしかなかったし、そうしなければあの子を守れない気がした。
「そうなの? じゃ俺も剣を覚えるぅ」
ぐるりと『まま――』と背中を向けて走り去っていく。母親のところに行って……叩かれたがすぐに抱きしめられている。
なんなんだ。
「おにいちゃんは、馬鹿なの」
「それは酷いな」
俺は合わせる様に苦笑を浮かべて見せるがどうやら真剣にそう言っているらしく寂しげに地面に目を落とす。
「酷くないもん。ほんとのことだもん――ママがいってたもん。ここでは何をしても無駄だって。誰も助けてくれないし、私たちはすぐ死ぬんだって」
「……」
それは間違いないかもしれない。このままでは。俺がここでちまちましていることは多分焼け石に水なのだろうなと思う。
本命を潰さなければ。
だったら――本命を潰せばいいことだろう。まあ、約束はできないし安易に『生きろ』とは言えないが。絶望は『この世界』の糧になる。
考えながら俺はすっと立ち上がった。
どう潰すかな。考えながら空を仰ぐ。
相変わらずの曇天だ。
「そか、な。空見たくねぇか?」
唐突な問いかけに意味が分からないらしい。少女は首をこてんと可愛らしく首をかしげて見せた。少し考えた後で空を仰ぐ。
「うーんと。見たい。いつも暗くていやだよ」
俺も。そんな空嫌だしと笑う。
「なら、今度会った時、お前とあいつと三人で空見るか」
「うん。ママも一緒でいい?」
「もちろん」
笑いかけると頬が朱に染まる。嬉しそうに。
少女はどことなくあの子に似ている気がした。大きな目。黒い髪。いや何より纏う雰囲気が。
会いたい。
今頃どうしているだろうか。
あのクソガキに誑かされていないだろうか。――あの子狸。ただのクソガキと思えば……。考えていると苛々した。あの子があのクソガキの傍に居ることが嫌だ。笑いかけることも――嫌だ。子供相手にみっともないと思われるかもしれないが。
あれは子供ではないし。
感情を吐き出すようにため息一つ。少女に目を向ければ不安そうな顔で俺を見つめていた。表情に出ていたのだろうか。俺は取り繕う様に笑いかけていた。ホッとしたした顔を少女は浮かべる。
「名前は?」
「『こうろ』だよ。おにーちゃんは『いっと』」
「そうか」
考えて俺はこうろと名乗った少女に持っていたリングを手渡した。一対の指輪。いつかあの子にもらったものだ。
お祝い――か。
ペアリングの意味は置いておいて――俺は苦笑を浮かべた。魔に成人など意味はないのに。
「それ、やるよ。お守りとして持ってな。兄貴と」
「いいのっ?」
キレーと目を輝かすこうろ。
「一度だけならそれが助けてくれるから。ま、大切にな」
リングは力を吸いやすい性質になっていた。それを利用して日と月を掛け術式と魔力を埋め込んである。相当の力はため込んでいるはずだ。
まぁ、このリングの仕様上『力』を持っている者には使えないのだが――それに気づいたのはつい最近。知った時のむなしさと来たら。いや。やめておこう。
「うんっ。あ。そだ。おにいちゃんはお名前なんて言うの?」
「ああ。俺? 俺は――」
名前を言おうとして口を開いた刹那――。一陣の風が通り過ぎた。這うようにして。それは裾を軽く巻き上げながら舞い上がっていく。
天候の変化など微塵もないこの街でそれはありえないことだ。態勢を少しだけ低く剣の柄に指を賭けながら探すように目を辺りに配らせた。
「おにいちゃん?」
「エスールだ」
「――ビア」
すうっと空気がうごめく。まるで陽炎のように。陽など射していない。少し肌寒い位の街でそんな事が起こるはずもなく、俺はこうろを守る様に立った。
陽炎は次第に形を作り、色を持ち――一人の女を形作る。美しい女は世界から切り離された美貌を誇っていた。
ほぅ。と子供ながらこうろは嘆息する。
「私と共に来ないと思えば下らないことをしているのだな?」
「お前と一緒に居るよりかましだろ?」
普通に会話しながら『にげろ』低くそう言えばこうろは何故かという様に首をかしげていた。
「そうか。なら邪魔だな。せっかくお前の為に用意したのに」
「頼んだ覚えは――」
ヒュッと聞き覚えのある空気を裂く様な音に俺は弾ける様にしてこうろを抱え身を翻していた。『それ』が見えるわけではない。ざっと裂かれた地面。それはいくつも跡があり――。
ドクン。
心臓が鳴る。
忘れていたわけではないのだが。
弾ける様にして後ろを見れば『そこ』には誰一人立っていなかった。あるのは――。不味い。
思わずこうろの顔を地面に固定する。
「おにいちゃん?」
俺が睨み付けるとビアートは整った眉を跳ね上げた。
「本当に――人間みたいだなお前」
「お前も相変わらずだな。長く人間界に居て少しも変わらねぇ。こんな事をして楽しいか?」
「ばかげている。愉しいも無いだろう。これが私たちの本性だし。今まで我慢してきたんだ。良いだろう? このくらい」
むせ返るほどの血の匂い。さすがに幼いとは言え気付かない筈もなすった。カタカタと震える四肢。視線は地面に縫いつれられてはいるが意識は違うところにあるように見える。
まずいな――。
混乱を通り越して発狂してしまえばかなり守りにくくなる。守る――と考えてふと『殺してしまえば良くないか』と言う思考が過ったが俺は軽く頭を振った。
それはきっとあの子が許さない。あの子の嫌う事をしたくなかったし、これ以上印象を悪くなどしたくなかった。
例えあの子が俺を嫌う事は絶対に無いとは知っていても。
ともかく、一つも『人らしい』感情が無いのは仕方のないことなのだと思う。元々人ではないのだから。
「我慢ねぇ。――何で? そう言えば何故人の施設に居たんだ? お前」
言いながら俺は少女の名を口許で転がした。宥める様に。『こうろ』と。こうろはゆっくりと顔を上げた。ゆらゆらと視線が宙に彷徨う。ただ何かを感じ取っているらしく、その目が『母親たち』の居た場所に向くことは無かった。
「契約があっただけだ。特に変わったことではないが」
「人と素直に契約を結ぶとは初めて知ったな」
少しだけ感情の機微を感じさせるように眉がピクリと動いた。元々ビアは人が嫌いだ――というより何の感情も抱いていない――と言うのにその人間に『いいよう』にされるのは好ましくなかったのだろう。
その人間が何者かは知らないがよほど『強い』のは確かだ。
俺は考えながら少女に目線を合わせるようにしゃがみ込む。こうろは青い顔で口許をきゅっと結んでいた。
俺はフワリトと柔らかく笑い掛けると少しだけ眼が潤んだ。
「いい子だ。こうろ俺が絶対に守ってやる。だから、合図したらまっすぐに走れ」
「……うん」
声を絞り出し涙が出そうな眼もとにぐっと力を入れた。
「よし、走りながら『ここから出る』って願うんだ。絶対にかなうから」
「下らないな」
声に俺はゆっくりとたちあがった。ヒュッとまた空気を裂く音に合わせるようにして持っていた剣で弾けば地面を擦るようにして近くの家を半壊させた。
威力が上がっている――が。引くわけにはいかない。この女を倒せば『帰れる』のだから。痺れる腕を無視して無理やり剣を握り上げた。
「お前こそ。馬鹿の一つ覚えみたいに――悪いけど俺の邪魔だ。倒させてもらう」
ビアは艶やかに笑うと肩を竦めて見せた。
「バカなことを言うんだな? 良いだろう。四肢をもいででも『こちら』に来てもらう――ついでにお前の飼い猫も潰させてもらうぞ」
「何で俺にこだわるか知らねぇけど――できるものならやってみな。どうせお前はここで死ぬ」
『外』にあのクソガキが居る限り無理だろうけれど。その分では安心している。恐らくは酷い目に合う事は無いだろう。それをビアが知っているとは思えなかった。
俺はにたりと笑って見せる。
「戯言だ」
呟きと共に空気は震え、俺は『行け』と叫びながら地面を蹴っていた。




