魔女と魔女4
「詰んでね? ここ出たら即ばれだろ? これ」
呟いた楡に返事を返すことなく少女は渋い顔をして考えているようだった。ただあまり考える時間はない。後ろから追手の足音が響いてくる。
何とかしないと。せっかく出たのにここまで来たのに。皆捕まってしまったら意味はない。
よしっ――そう呟いて私は顔を上げた。
怖いけど。何とかなる。子供を守るのは親の務めだから。ま、守られてばかりの情けない親だけど。
「気を反らせればいいんだよね?」
「え?」
何を言っているのか。そう言いたげな顔でエスは私を見る。まあ、今回もどうせ怒られるのだろうな。そう考えながらへらっと笑って見せた。
「元々残る予定だったんだし。エスは戦う力あまり残ってないでしょ? 相当無理してるの分かるよ?」
肩で息してるし。さっきからずっと壁にもたれ掛っているし。多分思考も少し遅れてるだろう。ワンテンポ遅れてエスは目を見開いた。
けれど。遅い。
「楡。あと、お願い」
「ちよっと――ま」
その背中にかかる言葉を無視するようにして私は飛び出していた。
――いたぞ。女一人だ。
私はあまり運動神経がいい方ではない。真面目に全力で走ったのだって人生で数えるほど。だって疲れるの嫌だから。
けれど今回は頑張ると決めた。
こんな時くらい頑張らなくてどうするんだ。そう自分に叱咤しながら私は必死で走る。振り向けばのこのこ折って来る警備。馬鹿――だと思った。全員で来ることないのに。けれどそれでいい。嬉しかった。
頭がくらくらする。血が足りない。苦しい。足が鉛になったようだ。でも、まだ。まだ近い。まだ離さないと。あそこから。
私はひたすら廊下を走る。全速力で。
けれど。
「みいっけぇた」
身体が何かにぶち当たったと思えば私の身体は軽々と宙に浮き上がっていた。正確には腕を持たれて引っ張り上げられていると言うのが正しい。しかも――傷口のある方を。
腕の斬れる様な感覚と骨の軋む音に私は小さく悲鳴を上げていた。
ジワリと血が滲む感覚が腕に伝う。
「手間取らせるんじゃねーよ。他の奴らはどこ行ったんだ? 魔女さんよ」
「……しら、ない」
まだ見つかってないのか。知らないだけなのか。前者だと思いたい。私はかすれた声で返していた。ゆっくりと視線を声の方向に向ければそこには男の顔があった。強面の厳つい男。制服は相変わらず監守の物だけれど何となく『犯罪者』を思わせる雰囲気が漂っていた。
簡単に言えば怖い人だ。
男はククッと楽しそうに喉を鳴らして見せた。
「嘘つけ。まぁ、いいや。貴重な『魔女』さんだ。研究室に持ち込んでやれよ。あいつらも時間の問題だろ?」
言うと腕を持たれたまま乱暴に身体を投げられた。壁に撃つとするかと痛みを覚悟したのだけれど覚悟した痛みは襲ってこない。ぐっと閉じた目を開けば私の背中に『女性』がつまらなそうに立って私を支えていた。
「材料は丁寧にって言ってるだろ? 馬鹿か。お前は」
「――ビアの姉貴」
ビア……と呼ばれた女は面倒そうに私の手首を背中で絡めとると男たちを見つめる。すらりと手足が伸びた長身の女。厚ぼったい官能的な唇に曇天を映したかのような灰色の濁った双眸。黒い髪と白い肌が印象的な――美人だった。
一目で『人間ではない』そう分かるほどに異質だ。
でも。どうして――。
「魔……?」
「正解だな。よく分かったな。ここでは魔力は感じられない筈だけど」
「それは自分の顔をみていってるんすか? 姉貴」
別に不細工だと暗に言っているようには聞こえなかった。きっと素直にそのまま男は言ったのだろう。『人間離れしている』と。
けれど。
私は目を見開くしかなかった。舞う血に。細切れになった肉に。悲鳴も上げず『何が起こったか分からない』と言った眼球だけが私を捉え――光が消える。
どうして。何が起こったなどこちらが聞きたいくらいだ。私は気が狂いそうになる意識を必死に抑えこむようにして口を押えていた。
「黙りなよ――ああ。もう声も出すことなんてできないか」
残りの男たちは『ひいっ』と小さく声をあげるがそれ以上何も言う事も逃げ出すことも無い。ただ恐怖の色に塗られた眼でビアを見ていた。
当の本人はそんな事お構いなしに私を見る。
私は本能的に振るえる手足を無理に押さえつけながらビアを見つめ返した。
「あ、なたは?」
「そっか。お前――エスールの飼い猫か。そう言えばそんなのが入って来るって言ってたもんな。まさか脱走するとは思わなかったけど」
「なにを」
飼い猫。私はペットか何かだろうか。というかエスールという人物に心当たりはない。ビアは私の問いを無視するようにして後ろの監守に声を掛ける。
「おい。お前ら。これは研究所に連れて行っても無駄だ。特に意味はない」
「――けど、ここに連れてこられたって事は『そういう』ことなんでは無いんですかい?」
「単純に」
風が切り裂く音。その中に混じって何か唸り声も聞こえた気がする。瞬きすら遅いと感じる刹那の中で私はフワリと身体が浮かぶのを感じていた。
視界に入る黒い髪。白い肌。柔らかい頬に幼い顔立ち。頬を紅潮させ息を切らしている。小さな身体は私を救う様に抱き止めて地面を大きく跳ねた。
きゅっと靴底の擦れる音。フワリと舞うスカートから見える細い脚。それ気に留めることも無く、膝と掌を付いて着地をする。
その様子にビアは目を細めた。
そんな事はどうでもよくて。私は慌てて首根っこを掴む。
「エス、エス。楡は?」
まさか見殺しにしたのだろうか。仲悪かったし。そんなことは許さない。私は助けるためにここに居るのに。助けられなければ意味がないのに。
その問いが不満そうに口をへの字に曲げた。
「隠してきた。しばらくは『持つ』から勝手に逃げろって伝えてある。出来れば――」
「あの怪我で一人で逃げるなんて無理でしょ? なんで」
エスが何かを言い切る前に私は声をかぶせていた。
それは見捨てたとも同然だった。多分私たちはもう楡の処にはいけない。助けられない。責めるように見つめれば少し苛立たし気に見つめ返される。
そんな私たちの空気を割るようにして声が響いた。
「魔女燈芽――通称『北の魔女』か。妙に大物が掛かったと思えばそう言う事なんだな」
「……いま、こいつを切り刻もうとしただろ?」
「え」
さらっと。何を。
すっとエスは私から視線をそらし冷たい表情でビアを見る。ビアはくすくすと笑って見せた。
「例え肉片なっても死なないだろ? 気にするな――そんな事より。部下を倒してくれて感謝する」
肉片に――いや。死ぬから。気にするから、さすがに。大体何の根拠があるのか分からない。
そう言えばと私はようやく気配が『静か』になっていることに気付いていた。そうだ。さっきまで居た男たちがいないのだ。よくよく見れば地面にひれ伏している。
気絶しているようだった。エスがさっきの一瞬でそうしたのだろうか。
「ますます物理に磨きが……すごいねぇ」
思わず感心すると『誰のせいだ』と不満じみた声が響く。
「そんな事を言っている場合じゃねぇよ。ともかく『コレ』はまずいのは分かるか? ――俺もこいつが居るって聞いてねぇし。あんのクソガキ」
ほぼ呪詛のように聞こえるのは気のせいだろうか。私は軽く苦笑を浮かべて誤魔化した。さすがに『そうだね』とは言えない。
「ああ、うん」
ともかく、どうやって『逃がす』かを考えているけれど一向に思いつかなかった。多分ビアはここでも『魔法』が使える。一方で私もエスも元々使えない。そしてどう考えても逃がしてくれそうにもない。
死んだな。
諦めると言う選択肢しか思いつかなかった。それはとても悔しいことだったけれど。
燈芽ちゃんには申し訳ない。多分その後ろに居る『使い魔』さんにも。どうやって謝ればいいのだろうか。
でも。仕方ないよね。私はちらりとエスに目を向けるとエスは怪訝な顔を浮かべて見せる。
「――一緒に死んでくれる?」
「……」
「……」
何故黙るんだろう。嫌なのかな。まぁ『一緒に死んで』なんておこがましいか。私だってエスに死んで欲しくなんて無いけれどそう思わないと『立っていられない』気がした。出来れば情けない自分は見せたくない。
怖くて。だから嘘でも言ってほしかったんだけど。逃げてもいいからそう言って欲しかったのだけれど。
苦笑を浮かべた。
「死体が、死ぬとはこれまたおかしなものだな――。ここで死ぬのは北の魔女の身体のみだと言うのに」
「ビァート」
制止するように低く響く声。それにビアは肩を竦めて見せた。
――どうやら知り合いらしい。なら『エスール』とはおそらくエスの事なのだろう。初めて聞いた名前。
私はエス事をほとんど知っているつもりだったけれど、知らないことがある。それが些か淋しかった。
いや。
多分――羨ましかったのだと思う。
「知らないのか」
ビアはククッと喉を鳴らす。何を。そう私が問う前にエスが慌てたようにして口を開いて見せた。
「そんなことよりっ。お前何でここに居るんだよ? 人間に与したのか?」
くくっと喉を鳴らすビア。
「人に――人間らしい考え方だな。大体お前ではあるまいし。そんな感情は持ち合わせてない――疑似使い魔なんて戯言やめたらどうだ?」
何を言っているのか一文字も理解できなかった。『疑似』って何だろうか。ますます機嫌が悪く――おまけに目つきも悪くなっていく少女には聞けなかった。
怖いし。どうせ『黙れ』が落ちの気がする。
大体エスは昔から細かいことを教えるのは嫌っている風潮があるから問い詰めても話すことなどないだろう。
なら。
私はおずおずと掌を上げていた。
「どう言う事です? 一つも意味が分からないんですけど」
あからさまに睨むのをやめて。
「こいつが本当を言っていると思うのか? 魔だぞ?」
「エスだって使い『魔』だよね、信じるか信じないかなんて私が決める」
どうせ。信じたい事しか信じないのが人間の常だし。私もきっとその域を出ないし。
なぜか不安そうに見つめるエスに笑って見せた。




