東京メトロ(営団地下鉄)東西線 ①
「さてと、今日は何の話をしようかな・・・江田さんは何か質問とかある?」
4月中旬、相変わらずの二人だけの鉄道研究部。部活初めの一服をしたところで、木藤は桜に尋ねてみる。
「う~ん・・・」
紅茶の入ったカップを置き、桜は何を聞こうか考え込む。そもそも鉄道に興味がなかったから、そうそう聞きたいことなどない。
しばし考えた後、ようやく朝ニュースで見たことを思い出し、それを口に出してみる。
「そう言えば、今日の朝のニュースで東京メトロ東西線のことがやっていたんですけど、東京メトロってことは、その東西線って地下鉄ですよね?」
「そうだよ」
「でもニュースじゃ、外を走っていましたよ。それってどういうことですか?地下鉄って、地下だけ走るんじゃないんですか?」
地下を走らないなんて、もう地下鉄ではないと思う桜であった。
しかしそれは思い込みであることを、木藤が教える。
「別に地下鉄は地下だけ走るものじゃないよ。現に地上を走る区間を持つ地下鉄は、東京以外にもいっぱいあるよ。札幌とか名古屋とか大阪とか。まあ、東京メトロ東西線は確かに別格ではあるんだけどね。何せ地上区間が全線の4割近い14km近くもあるからね」
「4割って、ほとんど半分じゃないですか!なんでそんなに地上を走るんですか?」
「それはね、東西線が走っている場所に原因があるんだよ」
木藤は地図帳を出して説明する。
「東京メトロ東西線は、JR中央線と接続する中野から、九段下、大手町、東陽町、葛西を通ってJR総武線と接続する千葉の西船橋を結ぶ、30km程の路線なんだ。この路線が最初に開通したのは1964(昭和39年)で、さっき言った高架区間は1969(昭和44)年の3月に、中野から西船橋までの全線が開通した時に誕生した区間だよ」
地図に描かれた路線をなぞる木藤。
「最後の開通区間である東陽町から終点の西船橋までが高架として建設されたんだ。この内東陽町あたりまでは、もともと市街地だったから文字通り地下鉄として建設されたんだ。だけど、それより西の区間はまだ開発が進んでいない地帯で、土地の取得も容易だったし、莫大な建設費が掛かる地下に通す意味もなかったんだ。だから建設費の安い高架になり、今でも珍しい全線の半分弱が地上を走る地下鉄になったんだ」
「なるほど。でも、開発の進んでない地域に電車を通して、お客さんが乗るんですか?」
鉄道は人がいるところに走るというイメージを持つ桜にとって、開発の進んでいない地域に地下鉄を通してお客さんが乗るのかと首を傾げる。
「鶏が先か、卵が先かの論理だね。鉄道の場合古くから何もない所に路線を造って、そこに人を呼び込んで新たな街を作るっていう手法は珍しいことじゃないよ。現に、東西線高架区間の沿線は、元々は湿地帯とかだったけど、今じゃすっかり開発されて、開通前の面影なんかないよ。逆にラッシュの時なんか乗客が多すぎて、電車の窓ガラスが割れるなんてことも起きてるくらいだよ」
「窓ガラスが割れるって、どんだけ混んでるんですか!?」
「今や東京でも有数の混雑路線だから。でも東西線自体は、本来混雑を和らげるために建設された路線なんだけど」
「どういう意味ですか?」
「この東西線の両端の終点は、JR。当時は国鉄だね。国鉄の中央・総武緩行線の駅なんだ。この中央・総武緩行線は、千葉から錦糸町や秋葉原、新宿と言った都心部を通って、中央線の中野駅までを結んでいるんだ。この路線は戦前にはもう中野まで完成していて、戦後もしばらくはこの形で運行していたんだ。ところが戦後、人口が増えて千葉から東京への通勤客が増えると、凄まじい混雑を起こすようになったんだ。そこで、この総武線の混雑緩和のために、バイパスとして東西線が千葉の西船橋に乗り入れることとなったんだ」
「へえ~・・・て、千葉ですか?あれ、でも東京の地下鉄なんですよね?何で千葉県を走るんですか?」
「それはね、現在は東京メトロだけど、当時の東西線を運営していたのは営団地下鉄。正式名を帝都高速度交通営団て言ったんだだけど、知ってる?営団地下鉄」
「なんかすごい名前ですね。ごめんなさい、知りません・・・アレ?でも、東京都の地下鉄じゃないってことですか?」
東京メトロと言うのだから、てっきり東京の地下鉄だと思い込んでいた桜。
「ズバリその通り。東京都が運営する地下鉄としては、別に都営地下鉄と言う組織がちゃんとあるよ」
「・・・なんかよくわからなくなってきました」
「じゃあまず、東京の地下鉄の歴史について、簡単だけど説明してあげよう」
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