近鉄名古屋線③
「ごちそうさまでした。先輩」
桜は木藤に買ってもらったレモンティーの缶を手にしながら、礼の言葉を彼に言う。
「いえいえ。こっちこそ、こんなものしか出せなくてごめんね」
二人は先ほどまでいた社会科教室に戻ると、一端席に着いて買ってきた飲み物で一服する。ちなみに木藤が買ったのは炭酸のジュースだ。
二人は飲み物を飲みながら、おしゃべりを再開する。
「さてと、一服したところで、話の続きをしようか。昭和20年、つまり1945年8月15日に戦争は終わったけど、国と同じように鉄道もボロボロだった。そんな中、近鉄は昭和22年の10月に名阪特急の運転を開始したんだ。この列車はただ駅を通過して速いってだけじゃなくて、この列車のために整備された専用の車両を使った座席指定の電車だったんだ」
「名阪ってことは、名古屋から大阪の間ってことですよね?」
「そう。大阪の上本町と名古屋の間。ただ当時の近鉄名古屋線と大阪線は線路の幅が違っていたから、伊勢中川で一度乗り換えだったけどね。それでも、まだまだ戦争の傷跡が痛々しいこの時代に、座席指定の有料で、しかも車両も戦前製とは言え、わざわざ特別整備した車両を投入したことは本当に画期的だったんだ。色も上部がクリーム、下がブルーていう二色塗り。このころの電車って言うのは、大概茶や緑の一色だった時代だから、そういう意味でも多くの人には新鮮に映っただろうね」
「へえ~。でもどうしてそんな時期に、そんな特急電車を?」
「理由については僕もあんまりよくわからないけど、暗い時代だからこそ明るい話題を提供しようとしたんじゃないかな。実際この特急列車は人気を博して、その後の戦後近鉄特急の先駆けとなったんだからね。それから、近鉄はこの少し前に南海電鉄を分離して新体制に移行していたから、それも絡んでるかも」
「心機一転てわけですか?」
「まあ、そんな所じゃないかな?その後時代は復興から高度経済成長へ向かっていくけど、並行するように世相も落ち着いてきて、人々の生活にもゆとりが生まれてくる。昭和28年に、最近も話題になった伊勢神宮の式年遷宮が行われることとなったんだけど、これも伊勢へ向かう近鉄には追い風になって、新造車の投入も続々と行われるようになったんだ。最初の頃は戦前のスタイルを焼き直した電車ばかりだったけど、昭和30年代に入ると一線を画す新型車が続々と出てきた。そのパイオニアとも言うべき電車が、昭和33年に登場した10000系の初代ビスタカーだったんだね」
木藤は桜にその写真を見せる。
「うわ!今までの電車と全然違いますね!」
「さっきも言ったけど、戦後も車両の新造は行われていたけど、戦前の設計の焼き直しみたいな車両で、性能もやっぱり戦前と同じ吊り掛け式だったんだ。けどこのビスタカーは見ての通り、それまでの電車とは違う斬新な設計で、特に新造時から冷房付きで、二階建て車両を組み込んだのは時代の最先端の試みだったんだ。台車もカルダン駆動の空気バネ付きで乗り心地がよくなった。外観もアメリカの機関車をモデルにしたって言われる顔に、塗色もそれまでのクリームとブルーから、オレンジとブルーの組み合わせになって、その後半世紀も続くデザインに変わったんだ」
「二階建ての電車なんて、今でも珍しいですよね?」
「まあ、今でも東京だったらグリーン車は二階建てだし、ヨーロッパじゃ二階建て電車なんて珍しくないけどね。と、話が逸れたね。この10000系の初代ビスタカーは、確かに当時としては斬新だった。けどこの電車は7両編成1本しか製造されなかったんだ。あくまで、その後造られる特急電車の試作品だったから。
本命と言えたのは、その翌年から製造された10100系二代目ビスタカーで、こっちは3両ていう短い編成だったけど、他の電車との連結が可能で、増結を行ってのフレキシブルな運用が出来る量産型電車だったんだ。そしてこの列車は、来る名阪直通特急に投入される車両になった」
「直通ですか?・・・あれ?でも名古屋線は線路の幅が・・・」
桜が直通と言う言葉に反応し、指摘する。
「いいところに気づいたね。その通り。だから近鉄としては、早く名古屋線の線路幅を標準軌に拡幅して、直通運転をしたかったんだ。じゃないと、いつまで経っても名古屋から大阪や伊勢へ行くとき、伊勢中川で乗り換えなきゃいけないからね。逆もしかり。
と言っても片道78km、支線を加えるとさらに長くなる距離の線路幅を変えるんだから、一大事だよ。昭和32年から、近鉄名古屋線の拡幅に向けた工事が始まったんだけど、枕木の交換や、予め既存の線路の外側に標準軌の線路を敷いておいたり、交換するポイントを組み立てて置いたりと、様々な準備がされたんだ。それから、路線の改良も行われたんだ」
「改良?線路の幅を広げるのとは違うってことですか?」
「そう。前にも話したけど、名古屋線は伊勢電が作った区間、参急が作った区間、そして関急が作った区間に分けられるけど、この内一番古い伊勢電が作った区間は急な曲線があって、ダイヤや車両運用上のネックになっていたんだね。特に四日市と諏訪の間にあったカーブはほぼ直角に針路を変える急カーブだった。こうしたことから名古屋線の車両は、大阪線の車両より長さをどうしても短くしなきゃいけなかったんだ」
「直角のカーブってすごいですね」
「それから、今は名古屋線も大阪線も上下方向にそれぞれ線路が敷かれた全線複線だけど、当時はかなりの箇所に単線、つまり線路が1本しかない区間が残っていたんだ。特に名古屋線でネックになったのが、三重と愛知の県境に連なる木曽三川の揖斐、長良、木曽川を渡る区間だったんだ。そこで近鉄は、これらの橋を複線の近代的な鉄橋に架け替えたんだね。そうして少しずつ、将来の名阪直通特急を走らせる準備を進めていったんだ」
「着実に準備を進めたんですね」
「そういうこと。けど、それを文字通り吹き飛ばす事態が昭和34年に発生したんだ」
「昭和34?西暦だと・・・」
「1959年だね」
と木藤が助け舟を出すが。
「1959年ですか・・・すいません。何がありましたっけ?」
桜はパット思いつかず、泣きついた。
「それはだね。戦後最悪の台風被害をもたらした、伊勢湾台風だ「おい、木藤君」
教室の扉が開き、中年の男性教師が入って来た。
「あ、江木先生」
「おや?そっちの娘は?」
「新入部員の江田桜さんです。あ、江田さん。この人がうちの顧問の江木先生」
「名前だけどね。中等部の1年生、しかも女の子が鉄研とは。珍しいこともあるもんだ」
「僕も驚いてますよ。で、先生。何か御用ですか?」
「そうそう、もう下校時刻だよ」
木藤と桜が腕時計を見ると、確かに下校時刻が迫っていた。
「下校時刻じゃ仕方がないね。江田さん、今日はありがとう。久しぶりに楽しい時間を過ごせたよ」
「こちらこそ。楽しいお話ありがとうございました・・・あの、明日も来ていいですか?」
「もちろん。部員なんだから遠慮せずに来なさい」
「ありがとうございます!」
こうして桜の、鉄道研究部部員としての1日目が終わった。
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