鉄道連絡船 ⑩
「紙テープと同じ頃に青函航路から消えて行ったのが、それまで輸送の主力を担ってきた旧式船だった。戦前から戦後復興期までの青函連絡船を支え、戦争や洞爺丸台風を生き残った船たちも、老朽化には勝てなかった。ナンバー付きの青函丸シリーズは、最後の「第十二青函丸」が1965年の7月に引退。そして最後の石炭炊き船だった「十勝丸」も1970年の3月末に引退して、航路の開設以来モクモクと黒煙を吐く石炭炊き船は津軽海峡から姿を消したんだ。とは言え、それは青函連絡船が新しい時代へと前進した証でもあるけどね」
「新旧の交代劇て、何かジーンと来るものがありますよね」
「そんな新造船がバンバン就役した直後の1960年代から70年代前半が、青函連絡船の絶頂期と言える時代だったけど、そんな中でも困難な事態が発生したんだ。例を挙げると1967年9月に函館から札幌を結ぶ重要幹線である、室蘭本線の分断はその一例だね」
「分断て、何が起きたんですか?」
「台風による地滑り。これによって室蘭本線は長期不通になっちゃった。そしてそれによって死活問題になったのが、現在も貨物の重要な輸送品目である、北海道産の農産物だね。道東で生産されたそれらを本土に運ぶには、貨物列車と青函連絡船が重要な運搬手段だったんだけど、北海道内から函館まで運ぶ経路が経たれちゃったんだね」
「うわ~。大変ですね」
「だから国鉄では、すぐに連絡船を函館から室蘭に迂回させて代行輸送を実施したんだけど、これがスゴク厄介だった」
「厄介ですか?」
「思い出してよ江田さん。青函連絡船は貨車を直接船の中に入れるんだよ。そしてその船と陸の線路を結ぶための可動橋が青森と函館の港には設置されていたんだ。だから連絡船は船尾のレールを可動橋に接続して、陸の線路から直接貨車や客車を引き入れられたんだ。ところが、室蘭には普段青函連絡船は入らないから、当然可動橋がない」
「ああ!つまり、陸上に貨物列車を降ろせないってことですね」
「そ。だから、貨車の中身をバラシて運ぶしかなくなったわけ」
「うわ、面倒くさそう」
「実際、それで長時間の停泊をよぎなくされたからね。そして追い打ちを掛けるように、室蘭本線で再び土砂崩れが発生して、路線の復旧は余計遠のいた」
「ひえ~、ですね」
「とは言え、輸送を止めるわけにはいかないからね。特に時期が悪かった。ちょうど秋で、農作物の収穫期だったから。そこで国鉄。は仕方なく、お金は掛かるけど室蘭に臨時の可動橋を設置して、貨車を陸上に直接あげられるようにした。そうしてなんとか、貨物をスピーディーに運べるようになったわけ」
「めでたしめでたしですね」
「ちなみに、可動橋を作ったからいっそのこと、大昔の青森から室蘭への航路を復活させるなんて話も出たらしいけど、結局室蘭本線が復旧すると連絡船は津軽海峡に戻って、可動橋も撤去されたそうだよ」
「確かに、せっかく造ったならって思いますよね」
「まあね。でも青函連絡船はあくまでも青森と函館の間を結ぶ船だから。そんな困難もあったけど、青函連絡船の乗客数は右肩上がりで、1973年に最高の年間498万人と言う数字に達したんだ」
「おお!スゴイですね・・・でも最高値てことは、その後は減り始めたってことですよね?」
「そう言うこと。それまでの右肩上がりの乗客数を保障していたのは、戦後復興期から続いていた経済成長によるものと、青函連絡船を代替する交通機関が存在しないことだったんだ。ところが、1973年末に中東での戦争を切欠とするオイルショックが発生して、物価が高騰したんだね」
「アレですよね?トイレットペーパーを買いに走った人たちのいた頃ですよね?」
「正にそれね。このオイルショックを契機に、日本の高度成長は終わったんだ。それと同時に青函連絡船も終焉への道を本格的に進み始めたんだ。青函連絡船に取ってこの頃から、次から次へと厳しい事態が襲い掛かるんだ。まず、時代が本格的にモータリゼーション、つまり自家用車の時代に。そしてそれまで鉄道が独占していた長距離は、質量ともに充実してきた飛行機という時代に突入したことだね。これは旅客はもとより、自動車が発達するということは、トラックも発達する。そのため旅客で言うと北海道への人員輸送では74年に前年度割れの上に飛行機に逆転された。そして貨物も72年度から前年度割れが続くようになる」
「やっぱり自動車と飛行機の普及は大きいですよね」
「加えて、この頃国鉄自体が深刻な赤字や、労使関係の問題を抱えていたんだ。そのために運賃や料金の値上げを毎年のようにするようになった。特に1976年には50%以上のアップなんていう極端な値上げを実行した」
「ご、50%!?なんですかそれ!?いきなり1,5倍以上ですか!」
「数パーセントの物価上昇でも庶民には苦しいのにね。でもって、さっきも言ったけど国鉄は労使関係に深刻な問題を抱えていて、この頃ストライキが頻発するようになった。特に1975年にはそれが最高潮と着ている。値上げの上に、列車が動かないとこれば、誰だって乗りたくないし信頼しなくなるよね」
「うわ~」
あまりにことに、桜は頭を抱えたくなった。
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