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近鉄名古屋線②

 とりあえず感想が来たので、2話目更新します。


 この作品ではゆる~く鉄道に関する雑学を知ろうという話なので、内容は大雑把にして、なるべく細かい年号や車両形式は避けようかと考えていますが、必要と思う所には使っています。

「伊勢電の路線のその後と関わることだけど、ここでちょっと話を巻き戻すことにするよ。江田さんは、軌間ゲージで言葉わかる?」


「・・・ごめんなさい」


 彼女の申し訳なそうな態度に、逆に木藤が恐縮してしまう。


「だよね。この場合のゲージて言うのは、線路と線路の間の幅のことだよ。桜さんは新幹線乗ったことある?」


 桜は小さく頷く。


「じゃあ、その新幹線とJRの普通の電車の線路の幅が違うって知ってた?」


「そうなんですか?知らなかったです」


「まあ、それが普通かな。日本では鉄道会社によっていくつか違う線路の幅が採用されているんだ。ポピュラーなのは、JRの在来線や多くの私鉄で採用されている1067mm幅のいわゆる狭軌だね。これに対して、新幹線や関西の私鉄、一部の路面電車なんかで採用されているのが1435mmの、主にヨーロッパで使われる標準軌ていう幅の線路なんだ。他にも馬車軌間ともいう1372mm、特殊狭軌の762mmとか914mm、それに610mmとか、ほとんどおもちゃに近い381mmなんて幅もあるよ」


「たくさんあるんですね」


 知らないことだけに、桜はフンフンと感心している。


「で、日本の鉄道の場合は最初に開通した新橋と横浜間の鉄道が1067mmだったから、在来線の多くは狭軌なんだけど、後発の私鉄や新幹線はより広い標準軌を採用しているね。線路の幅が広ければ車体も大きくできるし、速度を出した時の安定性も良くなるから」


「なるほど、線路の幅が広い方がいいんですね。でも、ならなんで日本の鉄道は狭軌なんですか?」


「諸説あるけど、日本の場合国土が山がちで狭いし、最初は鉄道の技術は全部外国任せだったから、身の丈に合わせたって話もあるし、狭軌は主に植民地で採用された線路幅だから導入したイギリスやアメリカに見下されていたからなんて話もあるね・・・で、大軌と参宮急行は関西の私鉄に多い1435mmの標準軌を採用したんだ。ところが、買収した伊勢電は線路幅1067mmの狭軌だったんだ」


「それじゃあ、参急の電車が入れませんよね?」


「その通り。参宮急行は名古屋に向けての路線を津から伸ばして、伊勢電の江戸橋に接続。そこから桑名までは伊勢電の線路を丸々使って、桑名から先は新線を建設したんだけど、江戸橋から桑名までの伊勢電と、桑名から名古屋までの関西急行電鉄は狭軌だったから、当然標準軌の参宮急行の電車は入れない。名古屋から伊勢と大阪への特急が走り始めたけど、伊勢方面へは参宮急行に入らず伊勢電の大神宮前へ。大阪へは江戸橋で大阪行きに乗り換えになっちゃったんだ」


「面倒ですね」


「その通り。乗り換えがあるってことは面倒だし、時間のロスも大きい。しかも、江戸橋駅での接続になると、参宮急行の大阪から来た路線とは直接に乗り換えられないし、伊勢神宮へのお客の流れが名古屋と大阪から別々に二重になってしまう。そこで、参宮急行は一度江戸橋から大阪線との分岐点である伊勢中川までを標準軌から狭軌にして、乗り換え駅を伊勢中川に変更したんだ」


「え?つまり、線路の幅を狭くしたんですか?」


「そういうこと」


「けどそれなら、江戸橋から名古屋までの線路を標準軌に変えた方が合理的じゃないですか?」


「そうだね。そうすれば、大阪からも伊勢からも標準軌で線路が繋がるから、参宮急行にとっては都合がいい。そうしなかった理由は僕も確たるものはわからないけど、まず名古屋までの拡幅だと65kmだけど、伊勢中川までなら13kmて短く済む。そして何より、時代が許さなかったんじゃないかな」


「?」


 桜が首を傾げる。


「江田さんは昭和12年、つまり1937年の7月に何が起きたか知ってる?歴史の授業で習ったとは思うけど」


「ええと・・・中国との戦争ですか?」


「正解。戦争となれば、資源や人は軍隊に優先的にとられてしまうから、とても65kmの路線を拡幅する余裕なんてなかったんだろうね」


「なるほど」


「戦争は名古屋線にとって大きな影響を与えたんだ。戦時中に国は国策で交通事業者の統廃合を進めたんだけど、参宮急行も例外でなくて、まず昭和15年に桑名から名古屋間の関西急行電鉄を合併。すると今度は翌年の昭和16年に親会社の大軌が参宮急行を合併して関西急行鉄道に。さらに、戦争がもっと激しくなった昭和19年、今の南海電鉄を合併して近畿日本鉄道になったんだ。これが今の近鉄の名前のもとだね」


「ややこしいですね!」


 桜が呆れ、木藤はその姿に苦笑いする。


「この国策による合併は色々なところで行われて、現在もその影響を引きずっている路線は多いよ。まあ、今回はそれが主題でないから省略するけどね。で、アメリカとの戦争も始まった翌年の昭和17年には、伊勢電の路線を引き継いだ伊勢線の新松坂~大神宮前が並行の不要不急路線として廃止になって、残る路線も単線化。それによって捻出した線路は他に転用したんだ。名古屋から大神宮前間には一時期直通の特急や急行も運転されたけど、最後は呆気ない幕切れになったわけ。残された路線も単線の完全なローカル線になっちゃった。そしてこの状態のまま、昭和20年の8月15日の終戦を迎えたんだね」


「戦争のせいで、伊勢電だった線路は廃止になって、名古屋線も線路を標準軌に出来なかったってことですね」


「それだけじゃないよ。戦時下だから自慢だった特急の運転も取りやめ。車両の製造もままならないし、交換用の線路だって手に入らない。それどころか空襲で橋が破壊されるし、戦後の物資不足や電力不足もあったから、線路も車両もボロボロ。修理しようにも修理できない。近鉄もそうだけど、日本の鉄道はそこから立ち上がらなくちゃいけなかったんだ」


「小学校の時に語り部の人から話を聞きましたけど、戦争って本当に大変なことなんですね」


「そうだね。だけど、この時代の遺産の上に僕たちは生きてるってことも忘れちゃいけないよ。さっきも言ったけど、近鉄って鉄道が出来たのは戦争による国策だったからね。他にもそういう話はあるけど、それはまたいずれね・・・さてと、喋ってばっかり聞くばっかりじゃ疲れるから。ちょっとコーヒーブレイクにでもしようか。何か飲みたい物ある?おごるよ」


「いいんですか?」


「貴重な時間を潰してくれてるお礼だよ。自販機のジュースで悪いけどね」


「ありがとうございます」


 二人は一端話を切り上げ、自販機のある場所へと向かった。



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